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自自公連立の成果を直視せよ
〜不祥事の陰に隠れて、政策論争を忘れてはならない〜

中島 健

 衆議院の解散を間近に控えて、最近の与野党の国会での攻防は、専ら不祥事がらみの議論に終始している。その典型例が森首相の 「神の国」発言 に関する問題であるが、その他、続発する警察不祥事や「教育勅語」発言問題(森首相が、教育勅語について「いいところもある」と発言したことに対する批判)、青木首相臨時代理の指名問題等で、今や自民・公明・保守・改革の連立政権は最大の危機に瀕している。各種世論調査でも軒並み支持率は10〜20%台(産経新聞社の調査では12.5%)と最低を記録しており、総選挙では野党の躍進も期待されている。
 なるほど、たしかに現在の森内閣は、発言が安易に過ぎるという首相の資質の問題や、これだけの不人気にも関わらず連立維持のため代りの人材を自民党が出せないでいる点で問題である。森首相自身の政策ビジョンも今だ公表されておらず、内閣自体が、首相のリーダーシップではなく連立三党の幹事長と青木官房長官によって運営されているような印象すら受ける。
 しかしながら、こうした現時点での森内閣の問題点に目を向けるあまり、自由党が連立から離脱するまでの自自公連立政権の成果をきちんと評価することを忘れてはなるまい。
 小渕自自公政権を振り返ってみると、その成果の多さに驚かされる。例えば、刑事事件における証人保護や通信傍受の制度を導入した組織犯罪対策法は、我が国の組織犯罪対策を先進国水準にまで引き上げるものであったし、97年の「日米防衛協力の指針(ガイドライン)」に基づく関連法( 周辺事態法自衛隊法 改正法)は、我が国がとるべき外交安保政策としては消極の部類に入るとはいえ、冷戦終結後の日米安保体制を最終的に確立し、安保条約をより実効的なものとした点で評価されてしかるべきものである(残るは、日本有事の際の有事立法のみである)。党首討論の導入国家基本政策委員会設置、国会法改正)は、与党側にも「反論権」を与えて野党党首の無節操な質問を抑止し、それまでとにかく質問・追及さえしておればよかった野党を与党と同じ言論空間に立たせた上で基本政策を論じるもので、回数や時間の点でまだまだ改善の余地はある(例えば、首相が多忙であれば首相に代って与党側から誰か人を出せばよいだろうし、小政党の質問時間の短さを考えると、議席数の比例によって按分している現在の方式を改め、各党5分の基本時間に加算して議席数に基づく時間配分をすべきであるし、全体の時間も現在の2倍は欲しいところである)が、政策論争の活発化という点では画期的なものである。少なくとも、政治の中枢にある与野党の党首がその時々の論点をぶつけあうことによって、現在言われているような「政治に対する不信感」への対策としては、大きな意味を持つのではないだろうか。更に、曲折を経て常任委員会から調査会形式へと「格下げ」になったとはいえ、 憲法調査会 の設置国会法改正)は、戦後の我が国政治最大の懸案であった憲法改正問題に新たな一歩を踏み出すものであり、それまでタブーとされてきた「論憲」を可能とする、これまた極めて画期的な出来事であった。その他、入学式・卒業式における混乱に終止符を打ち「学習指導要領」の国旗国歌条項に成文法の根拠を与えた 国旗・国歌法 、オンライン化による住民サービスの向上を図った住民基本台帳法改正法、中央省庁改革に合わせた閣僚数の削減、行政に対する政治の監視を強めるべく行われた各省庁政務次官の強化政府委員制度廃止(政府参考人制度導入)、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)の不審船に対する戦後初の海上警備行動発令不審船対策として海上自衛隊・海上保安庁の連携強化と高速艇建造・護衛艦への機関銃配備、細川護煕政権でも遂に達成できなかった、衆議院の選挙制度を純粋な小選挙区制度へ近づけるための衆議院比例代表定数20削減(公職選挙法改正、そして景気の回復等、その政権前半期には特に多くの成果が挙がっているのである。これだけの法改正・制度導入を一度に成し遂げたことは、やはり自自公連立政権そして小渕首相の際立った成果であり、前の橋本龍太郎政権を遥かにしのぐものである。中でも、閣僚数の削減や党首討論、政府委員制度廃止といったいくつかの重要な政策は自由党が後押ししてできたものであり、自自公三党(改革クラブは論ずるに値しない)の中でも特に高い評価が与えられるべきであろう。なお、西村真悟前防衛政務次官の「核武装検討発言」問題についても、表現方法や発表媒体の選択(西村次官の発言が収録されていたのは「プレイボーイ」誌であった)で問題無しとはしないものの、少なくとも防衛問題やそれを論じること自体をタブー視するきらいのある我が国の言論空間の歪みを正す上では、記憶されるべき出来事であったと言えよう。
 無論、これらの「成果」の中には、野党側からは「誤った政策」として批判を受けるもの(通信傍受法等)も無いわけではないが、多くは与野党間でそれなりのコンセンサスが得られたものばかりであり、それだけに野党側からも(日本共産党はともかく)、これらの成果を正面切って否定出来ないはずである。例えば、ガイドライン関連法について言えば、自衛隊の出動計画の国会承認の是非はともかく、ガイドラインそれ自体については民主党も賛成していたし、党首討論、憲法調査会、政務次官強化・政府委員制度廃止、海上警備行動発令についても同様であった(特に、自由党の提唱していた党首討論と政府委員制度廃止は、事実上与野党の幅広い賛同を得ている。こうして見ると、90年代の改革派のリーダーであった小沢一郎自由党党首が、新進党解党後も改革に大きな影響力を持っていたことが理解できよう)。比例定数削減問題についても、小選挙区制度導入を推進して政権交代のチャンスを狙いたい民主党は絶対反対というわけではなかったし、国旗・国歌法についても、自主投票となった民主党は半数が賛成<国旗だけに限ってみれば全員が賛成>に回っていた。このことは、政策的に大きな隔たりがあった自社さ連立政権よりは、均一性が高い自自公連立政権のほうが、連立のあり方としてはより適切であったことを物語っていると言えよう(逆に、今も野党版「自社さ連立」を続けている民主党は、小渕政権に対してほとんど何等の成果も挙げることが出来なかった)。「自社さ」なるシステムが如何に我が国に不幸をもたらしたかは、もはや明かであろう。
 たしかに、自自公連立政権は、公明党の政権参加に対する批判や相次ぐ警察・自衛隊不祥事、自由党の分裂・連立離脱等で全く問題が無かったわけではない。公明党が提出した児童手当の拡充法案や地域振興券法案、自由・公明両党が提出した外国人に地方参政権を与える法案も、首を傾げざるを得ない政策であった(特に、地方参政権法案を自由党が共同で提案したことには驚いてしまった)。更に、現在の森首相や自公保連立政権の枠組みについても、もはや自自公と同じように評価することは出来ない(自自公連立が評価されるのはそれが幾多の成果を挙げたからであり、小沢一郎という改革派リーダーを欠く保守党は、自自公政権における自由党と同じではない。少なくとも、現在のような状態では、自社さ連立における「新党さきがけ」の如く、単なる数合わせに終わるであろう)。しかし、それでも、自民・自由・公明三党の実現させた政策は数多く、実りの多い政権であったことは否定出来ない事実である。特に自自連立時代から一貫して政権に貢献してきた自由党は、「政策を反映させた」という意味で連立を最も上手く使った政党であると言えよう(今にして思えば、三党連立からの引き際も見事であった)。
 であるならば、来るべき総選挙においては、森首相の言動を云々するのではなく、こうした自自公の実績を踏まえた政策論争(例えば、憲法改正問題)こそが争点とされるべきではないだろうか。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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