このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
Nobusan's PHOTO GALLERY
のぶさんの写真です。
AIZU-KAWAGUCHI sta.
只見線 会津川口
Create: 05/12/03 11:05 / Update:
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Monochrome of railroad
会津川口駅 この頃から導入されたDLの姿が。 昭和49年10月10日撮影
只見線で走っていて誰もの印象に残る駅が「会津川口駅」ではないだろうか。
会津若松に行くときも、そこから帰るときも、列車はここで交換する。山間を走る只見線だが、ここはダムのために川幅が広がり、水面はとても近く、駅前も数軒の家が並ぶ。駅構内には数本の引込線があり、ターンテーブルなどの機関車の駐泊施設も整い、とても開けた印象の駅だ。
昭和49年10月10日は、鉄道趣味の友人に誘われての日帰りでのSL撮影であった。会津線の桑原−湯野上に寄り、只見線の本名へ。そして最後が会津川口だった。
駅に着くと、旅客列車とDLの牽く貨物列車、そしてC11の牽く貨物が待機していた。この頃、C11に代わるためのDLが導入され走り始めた頃だった。旅客列車と貨物列車が交換のために4編成揃う。駅構内も含めて鉄道模型で再現したくなる光景であった。
会津川口の「C11 192」。奥のキハたちも懐かしい。
昭和49年10月10日撮影
会津川口で発車を待つC11の牽く貨物。
昭和49年10月10日撮影
会津川口駅を小出に向けて発車する。只見線ではここで列車交換があった。
昭和50年8月撮影
SLがなくなった昭和50年の夏、私は家族と只見線に乗っていた。草生した山間を走る。並走する道路の車もまばらで、時折小さな古めかしい集落が現れる。そんな光景が好きであった。走っているディーゼルカーも雑多に形式が入り混じり、そんなところが面白く「ローカル」を感じたのであった。
会津川口は交換のための待ち時間もある。ホームに出、どんな列車が来るのだろうと交換列車を待ち、緑を浴びて、太陽を浴びる。逆の時は、ホームにどんな列車が待っているのかを期待する。そんな楽しい駅だった。
もう「C11」と出会うことはない。
昭和50年8月撮影
緑が生した真夏の只見線。
昭和50年8月撮影
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思い出のローカル線
Memories of railroad trave
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