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幹線鉄道と街の中心部を結ぶ「短い」生命線

− 関東鉄道 竜ヶ崎線 −



TAKA  2006年03月02日





関東鉄道竜ヶ崎駅と検車区



 2月26日の日曜日に「来年3月末での廃線」と言う報道が飛び出した 鹿島鉄道を訪問 しましたが、その帰りに折角茨城県まで来たので、常磐線佐貫で途中下車して、同じ関東鉄道系列の関東鉄道竜ヶ崎線を訪問して来ました。
 関東鉄道竜ヶ崎線は龍ヶ崎市内の常磐線佐貫駅と、龍ヶ崎市の中心部である龍ヶ崎の間を結ぶ、全長僅か4.5kmで駅が佐貫・入地・龍ヶ崎の3駅で全線が龍ヶ崎市内で完結と言う日本で3番目に短いミニ路線で、龍ヶ崎市内と常磐線を結ぶ典型的フィーダー路線です。
 路線距離は極めて短く、龍ヶ崎市街と常磐線を結ぶのが役割と言うシンプルな路線で、昔はこの様な幹線と外れた街を結ぶ鉄道と言うのは、結構色々な所に有りましたが、別の鉄道が開通したり、モータリゼイションの中で廃止されたりという環境の中でだんだん姿を消してしまって居ますので、現在では珍しくなっています。(関東では総武流山電鉄が該当する)
 その様な関東でも珍しい「街と幹線鉄道を結ぶ短距離フィーダー路線」なので、私の「関東鉄道めぐり」で取り上げるには好ましい路線だと重い、今回取り上げる事にしました。


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 ☆関東鉄道竜ヶ崎線の概要と生い立ち

 関東鉄道竜ヶ崎線は佐貫〜龍ヶ崎間4.5kmの路線で全線を7分で結んでいます。途中に中間駅として入地駅が有り佐貫駅は委託駅・入地駅は無人駅・竜ヶ崎駅は無人駅です。全線単線・非電化でスタフ閉鎖・交換設備なしと言う極めてシンプルな施設なので、ごく単純に1本の路線の上を1列車が単純に往復すると言う運行形態です。
  所属車両 は3両で、旧型のキハ532型1両・新型のキハ2000系が2両在籍しています。基本的に単行ワンマン運転で運行されています。(竜ヶ崎線は日本初のワンマン路線(路面電車を除く)として知られています)
 
 関東鉄道竜ヶ崎線の前身は、龍崎鉄道が1900年に日本鉄道を龍ヶ崎市街の接続を目指して、佐貫〜龍ヶ崎間を開通させたのが前身で、今はJRの常磐線・水戸線を除くと茨城県内で一番古い路線です。当初は人車鉄道で計画されていた鉄道が、輸送力確保のために軽便鉄道に変えて開通しています。
 この幹線と経由されなかった街との間のフィーダー鉄道と言う形態は昔は良く有った話で、やはり地形的問題で東海道本線に御殿場経由で迂回された熱海も、同じ 1900年に豆相人車鉄道 (後の熱海鉄道、国鉄熱海線開業で廃止)を造り、国鉄線とのアクセスを確保しています。竜ヶ崎線もこの形態の路線と考えて良いと思います。実際日本鉄道も龍ヶ崎から最短の場所の佐貫に(日本鉄道は敢て此処で線路をカーブさせ土浦へ向けて、霞ヶ浦等の地形障害を避けた線形を作ったと考えられる)龍崎鉄道開業時に同時に駅を開設しています。その点からも、この時代からすでに龍ヶ崎には「フィーダー路線を造り」「一番近い曲線上に敢て駅を作る」だけの需要があった街だったと言えます。


常磐線佐貫駅ホームから上野方面を見る
(丁度駅が曲線上に有る。橋上駅舎の先が竜ヶ崎線ホーム。この様な所に駅を作るだけ龍ヶ崎との接続は重要だったのだろう)


 その後軽便鉄道から普通鉄道へ改軌され、戦時中に鹿島参宮に統合され、その後合併により関東鉄道の所属になっています。只その期間経営形態・車両等は変われど、運行区間・インフラ設備等は殆ど変わらず、現在まで創業当時の106年前と同じ運行区間で運行されています。(一度だけ1902年に龍ヶ崎〜伊佐津間14.3kmの仮免許を受けているが、1904年に失効している)
 竜ヶ崎線の運行区間は全域が龍ヶ崎市にはいります。只龍ヶ崎市の人口の中心は龍ヶ崎ニュータウン(竜ヶ崎線北側に広がり、佐貫駅へバスアクセスが近い)と佐貫駅周辺で龍ヶ崎駅周辺の龍ヶ崎地区は16,400人の人口しか居なく、東側は田園地帯である事から考えて、竜ヶ崎線は「龍ヶ崎地区の住民」「流通経済大の学生」「龍ヶ崎市中心部への用務客」で支えられていると考えられます。

 ※今回参考のHP
 「 わずか2区間3駅 4.5km〜〜関東鉄道龍ヶ崎線  ( 以久科鉄道志学館 : 和寒様)」
 「 関東鉄道HP 」 「 関東鉄道路線図 」 「 関東鉄道車両案内 」 「 竜ヶ崎線沿線地図 (龍ヶ崎市HPバス路線案内より)」
 「 関東鉄道竜ヶ崎線概要 (wikipedia)」 「 龍ヶ崎市HP 」 「 龍ヶ崎市人口 (龍ヶ崎市HP)」
 「 地域とともに歩んできた竜ヶ崎線のむかし・いま・みらい  (竜ヶ崎市HP)」


 ☆関東鉄道竜ヶ崎線訪問記

 今回関東鉄道竜ヶ崎線を2月26日に始めて訪問しましたが、前にも述べた通り「全線4.5km・片道7分」と言う短さに加えて「鹿島鉄道の帰りがけ」に寄り、しかも「龍ヶ崎市内には特段に見るところが無い」「夜は地元で用事があった」と言うタイトな状況での訪問だったので、佐貫で列車に乗り竜ヶ崎でチョット時間を潰して次の列車で帰って来ると言う「関東鉄道めぐり史上最短の訪問」と言う味気ない訪問になってしまいました。
 
 前の訪問地鹿島鉄道との接続駅石岡から石岡15時02分発の常磐線普通列車に乗り、佐貫駅に着いたのは15時42分でした。常磐線の車内で案内放送を聞いていると「関東鉄道竜ヶ崎線竜ヶ崎行きは15時46分発です」と放送されます。時計を見て乗換時間を計算すると乗換時間は数分しか有りません。後の予定を考えると「この乗換は逃したく無い」と思い、ホームに下りたら早足で階段に向いましたが、同じ様に早足の人が数人居ました。竜ヶ崎線の利用客は東京方面からの乗換が主かとは思いましたが、意外に常磐線水戸方面からの乗換も多いのかもしれません。
 改札を出て、橋上駅舎の階段を東側に下りると、駅の階段の庇に接続して平屋の関東鉄道の駅が建っています。流石にJRの駅と比べてはいけませんが、でも一応自動券売機も有りローカル線の駅としては普通の駅です。既に竜ヶ崎行きはホームで待っているので、急いで190円の切符を買い単行のキハ2000系列車に乗り込みます。

   
左:竜ヶ崎線佐貫駅駅舎   右:ホームに停車中のキハ2000系竜ヶ崎行き



関東鉄道竜ヶ崎駅全景(帰りの車内から撮影 左側がJR佐貫駅)

 乗車すると直ぐに発車時間になったようで、駅舎の中から駅員が出てきて最後の乗客に「もう出るよ〜」と声を掛け、その乗客の乗車を確認してから発車の合図を出し、運転士が窓から身を乗り出し安全を確認してから発車します。竜ヶ崎線の車両は前も後ろも(竜ヶ崎に向かって)進行右側に運転席があり、各駅ともホームも同じ方に有り、運転手がワンマン運転時の安全確認をしやすいようになっています。小規模な鉄道でワンマンの歴史が長いからこの様な柔軟な対応が出来るのかもしれません。

   
左:15:46佐貫発竜ヶ崎行き列車車内(佐貫発車時点)   右:16:28竜ヶ崎発佐貫行き車内(佐貫到着前・比較参考用写真)

 日曜日の夕方ですが、キハ2000系の単行でも座席がサラリと埋まる程度(17〜18名位)の乗客が居ます。同じ日に訪問した鹿島鉄道では帰りの石岡南台→石岡間しかこの程度の乗客数を見る事が出来ませんでした。この人数が全区間を乗ってくれるのだから、鹿島鉄道に比べたら効率が良い事は間違いありません。


   
左:竜ヶ崎線沿線風景(佐貫〜入地・帰りに撮影)   右:入地駅ホーム(帰りに撮影)



入地〜竜ヶ崎間にある小川を越える竜ヶ崎線唯一の鉄橋

 佐貫駅を出ると常磐線と別れ左にカーブをして進行方向を龍ヶ崎市街地がある東南東に変えると後は一直線に進んでいきます。佐貫駅周辺には住宅地も広がっていますが、暫くすると住宅地も切れて田園風景になります。
 その様な風景の中を列車は60km/h位で淡々と進んでいきます。速度も上げていない事もあるし車両が新型の事もあるのでしょう。列車は極めてスムーズに進んでいきます。写真を見ても分かりますが、軌道にかなりの部分でPC枕木が入っていますし、バラストも定期的に入替えられている様です。系列の鹿島鉄道の(ローカル線としての)軌道整備のレベルの高さには驚きましたが、竜ヶ崎線も負けず劣らずです。そういう点は関東鉄道は真面目にかつ地道に整備をしてきたのでしょう。その姿勢は素晴しいと思います。
 淡々と3〜4分走ると入地駅に到着です。入地駅は無人駅ですが、運転士は集札も何もせず、ドアの操作をするだけです。実際は誰も降車客がなくドアを開けて降車客がないことを確認してドアを閉めて発車しました。簡素な無人駅ですが周りに民家も有るので、何時もは以外に乗降が有るのかもしれません(実際帰りの佐貫行では親子連れ3人が乗ってきた)。
 入地駅を出発すると後は竜ヶ崎駅を目指すだけです。途中竜ヶ崎線唯一の小川(用水路かな?)の鉄橋を超えます。竜ヶ崎線で地形的障害になり、造るのに手間と費用が掛かり、保守にも手間の掛かる土木構造物はこれだけです。完全な平地に一直線に路線を作るのですから、簡単にできた事でしょう。だから観光地などでもない中規模な都市へのフィーダー路線なのに、未だ民間でのローカル線建設が少ない明治時代の比較的早い時期に作る事ができたのだろうと思います。

   
左:竜ヶ崎線車両基地風景   右:竜ヶ崎駅に到着したキハ2000系

 唯一の鉄橋を超えるとだんだん町並みが広がってきて道路の陸橋を潜ると目の前に車両基地が広がり、竜ヶ崎駅に到着です。竜ヶ崎線の車両基地は木造と言えども検車庫があり留置線も2線有ると言う3両と言う所属車両の量に比べるとかなり立派な施設です。多分創業当時の昔からの土地と路線に建物・設備だけ手を加えたのでしょう。
 車両基地から道路1本離れた駅に着くと、乗客は我先にと改札口を出て駅前広場・街中に消えていきます。そして列車は直ぐ折り返す(15:53着で15:58発)ので、とりあえず改札を出て次の16時28分の列車まで、駅の回りを見てみることにします。


   
左:竜ヶ崎駅・駅前広場全景写真   右:駅前歩道橋から東側中心部を望む

 竜ヶ崎駅は平屋の物の駅舎に立ち食い蕎麦屋と小さなアーケード付きのテナント街(洋品屋等が入っている)が有り、駅前にはタクシーも待機していてバス乗り場もあり 複数のバス路線(市内を走る18路線の内9路線)が乗り入れている と同時に、 龍ヶ崎市のコミニティバス の全路線が乗り入れる結節点となっています。
 バス路線に関しては乗り入れている路線の内佐貫〜龍ヶ崎間で竜ヶ崎線と平行している路線もありますが、其れを割り引いても竜ヶ崎線を軸にした「佐貫〜竜ヶ崎〜その先の地域」を結ぶ交通結節点として、竜ヶ崎駅はそれなりに機能している感じです。この様に竜ヶ崎駅自体が地域の交通の拠点と言える「ハブステーション」となっている事が、短距離路線なのに竜ヶ崎線の利用客がこれだけ多い理由なのかもしれません。
 でもそれだけバス路線も集まるターミナルならば、もう少し開発を進めて「人が集まる場所」にすれば、尚更駅や竜ヶ崎線の集客力を高められるでしょう。もう一歩の開発が必要かもしれません。
 駅を見た後チョット時間が有るので、市街地を少しブラブラしてみます。市街地には近くに市役所等の役所もあり、歩ける範囲に流通経済大も有るのに、(日曜日だからかも知れませんが)シャッターの閉まった店が多い感じです。又店のレパートリーも「田舎のチョット大きな町の市街地」と言う感じです。龍ヶ崎市は佐貫〜竜ヶ崎間の北側に 竜ヶ崎ニュータウン が拡がり(竜ヶ岡地域は龍ヶ崎の中心市街地の方が佐貫より近い)流通経済大も有り、比較的購買力を持つ人が居る地域です。しかしこの中心市街地の状況ではその潜在的需要を生かしきれているとは言えません。
 駅周辺・市街地も時間つぶしかてら見て回ったら、折返しまでの待ち時間35分間が丁度良い感じで潰れたので、駅に戻り丁度入線してきて降車客を吐き出した車両に乗り込み、東京へ向かい帰る事にします。帰りの列車も行きと同じ位の乗客が乗っています。この1回の単純往復だけで全てを語ることは出来ませんが、少なくとも「沿線人口も極端に多くなく短距離のローカルフィーダー線」と言う条件で考えてみると、竜ヶ崎線は「堅調な利用があり当座は安泰なのだな」と感じました。


 ☆今後関東鉄道竜ヶ崎線はどうなるのか?

 今回訪問した関東鉄道竜ヶ崎線は見ての通り「山椒は小粒でピリリと辛い」と言える路線です。同じ様な「幹線と街を結ぶフィーダー路線」である 総武流山電鉄の様に強力なライバルが登場して経営の根幹が揺らぐような状況 は当面発生する可能性が低く、龍ヶ崎市の中心市街地から常磐線を経由して東京方面・茨城県内へ輸送すると言う立場は当面揺るぎそうに有りません。(常磐道・東関道のインターが遠いので、対東京・対水戸で高速バスの脅威も無い)
 創業以来106年間今の現状で均衡を保ってきた路線ですから、今のままでも十分フィーダー輸送と言う社会的役割は果たす事が可能と言えます。しかしそのままで良いのでしょうか?結論に変えて「今後の竜ヶ崎線の有るべき姿」を考えて見たいと思います。

 ・路線延伸による拡大路線は無謀?
 少なくとも一番簡単に考えられる事は「路線延伸による拡大」です。しかしこれは無謀な話です。考えられるのは「龍ヶ崎市街地中心部(龍ヶ崎二高バス停付近)への延伸」「龍ヶ崎ニュータウン(竜ヶ岡地区)への延伸」ですが、どちらも残念ながら現況では非常に困難であると言えます。
 何故なら竜ヶ崎線の竜ヶ崎駅は、龍ヶ崎地区の市街地にぶつかった所、つまり入口で止まっています。此処から先に延伸するとなると、市街地を迂回する事もままならないので市街地内部での新線建設になります。只市街地部の道路幅員も狭いので如何なる形で路線を造るにしても大幅な用地買収を伴う事になり、費用的には多額の費用を必要とします。その点から考えるとこれからの竜ヶ崎線の路線延伸は如何なる形でも無謀な事となります。

 ・では現況が好ましい形なのか?
 しかし106年間続けてきた「現状維持」が最善の策なのでしょうか?此れも厳しいと言えます。それはこの路線の最大の特徴である全長4.5kmと言う短距離が逆効果になる可能性が有るからです。龍ヶ崎〜佐貫間は竜ヶ崎線が走っているのと同時に、南側を県道が近接し平行して走っていて、この県道をバスが走っています。
 現在竜ヶ崎駅には9路線が乗り入れていますが、その内の複数の路線が(3路線が佐貫駅に乗入・2路線が佐貫駅入口を通過)竜ヶ崎駅を経由して佐貫駅方面に向っています。これらの路線は竜ヶ崎線の培養路線であると同時にライバルで有ります。佐貫行き(もしくは佐貫駅入口経由)のバスに乗って竜ヶ崎駅に着いた客が、直通バスからわざわざ 運転本数が毎時2〜3本 の竜ヶ崎線に乗換て佐貫駅に向ってくれるでしょうか?乗換をすれば運賃が二重に取られる事にもなり非常に不利になる事もあり、大いに疑問です。
 つまりバスは竜ヶ崎線に乗客を運んでくれると可能性が有ると同時に、竜ヶ崎線をパスさせてしまう可能性を持つ「両刃の刃」とも言えます。既に佐貫へ直通するバスの乗客は殆ど竜ヶ崎線に乗り換えていない可能性は十二分に有ります。(多分そうでしょう)
 そうなると「竜ヶ崎駅をバス終着点にするより全路線を佐貫へ延伸させた方がサービス向上になる」事になり、「竜ヶ崎線はいらない」と言う事になります。そうなると竜ヶ崎線にとりバスは危険因子になります。そう考えると、現状維持ではなく何か効率的な対応策を考えなければなりません。路線延伸だけでなく現状維持・無為無策もまた竜ヶ崎線にとっては好ましいことでは有りません。
 
 ・其れではどのような策を取るべきなのか?
 ではどのような策を取れば良いのでしょうか?如何なる策を取るにしても竜ヶ崎線開業以来106年の歴史の中で、最大の変革になります。果たして106年間も変化無く安閑としてきた竜ヶ崎線に、歴史を変えるような変化を起こす事は可能なのでしょうか?中々難しい事だと思いますが、此処で一つ私案を示したいと思います。
 私案のヒントは 龍ヶ崎市が運営しているコミュニティバス に有ります。周辺部と竜ヶ崎市の市街地を結ぶコミュニティバスは各路線の結節点を竜ヶ崎線竜ヶ崎駅に置いています。これを普通バス路線にも拡大展開させる事で、佐貫〜竜ヶ崎間のバスを竜ヶ崎線に代替えさせて、竜ヶ崎駅をバスと鉄道の結節点として竜ヶ崎線の存在価値を上げる事が出来ないでしょうか?
 その為にはバス路線の再編成と、竜ヶ崎駅のターミナルとして使いやすい駅への改築、輸送力増強(今のままでは20分毎運転が限界。朝夕を考えたら入地駅に交換施設を作り10分毎運転が必要)バスと鉄道の運賃共通化(二重に運賃を取ったら割高になって便益は低下する)が必要になります。しかし竜ヶ崎市が有る程度の支援をしてくれれば、バス運営会社も鉄道運営会社も同じ関東鉄道だから調整は可能でしょう。この方策で竜ヶ崎線の存在価値を増やす事は出来て、利用客増加を図る事はできますが、問題は「全体的に見てプラスになる事業なのか?」「バスから鉄道へのワンクッションの乗換を強要したら、乗客がバス・鉄道以外に逸走するのではないか?」と言う逆効果が発生する可能性が有ります。それらのプラス・マイナスを総合的に考えて、竜ヶ崎線の活性化策を考えなければなりません。


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 今回竜ヶ崎線を訪問して、極めて短距離の路線であるがフィーダー路線と言う絶妙な役割にジャストマッチした路線であるとは感じました。短い路線で効率よく輸送が出来ていたので東京から少々離れた場所でもこの様な小さく短い路線が生き残れたのだと思います。
 しかし106年間続いたこの地位は将来に渡り永続的に続く保証は有りません。上記のように竜ヶ崎線はその路線の短さが災いして「常磐線佐貫駅に直接接続するバス路線」により中抜き状態にされてしまう可能性は非常に高いと言えます。その様な状況の中で今後如何にして路線を運営して行くのか考えなければ、路線の運営が難しくなる可能性も有ります。
 実際地元の竜ヶ崎市も竜ヶ崎線の現況に危機感を持ったのか、「 関東鉄道竜ヶ崎線のアイディアを募集します 」と言う意見募集をしています。竜ヶ崎線改善の一方の旗振り役であるべき龍ヶ崎市役所が(もう一方は関東鉄道)ある程度の危機感を持って色々な事を考える事は、今後の竜ヶ崎線の維持・発展の為にも必要なことです。
 今後の竜ヶ崎線の為にも、106年の伝統を踏まえ、現状を認識しつつ活性化のために長所を伸ばして利用客を増やし地域の便益を上げる方策が今後とも重要では無いでしょうか?





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