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映 画 で 日 本 一 有 名 に な っ た ? 私 鉄 路 線 を 行 く
− 京 成 電 鉄 ・ 金 町 線 −
TAKA 2006年08月13日
今まで「関東鉄道めぐり」で色々な路線を見てきましたが、今回は「日本で一番有名な私鉄路線」と言える路線を訪問します。それは京成金町線です。トップの写真を出してしまったので、解答を出してしまった様な物ですが、京成金町線(と言うか柴又駅)は国民的映画「
男はつらいよ
」シリーズで必ずと言って良いほど登場するので、年輩の方々を中心に「京成金町線」を知らなくても、トップの写真のシーンは知っていると言う方が殆どと言うほど有名な場所です。
今回は「男はつらいよ」シリーズで有名になった京成金町線を訪問します。京成金町線沿線は「寅さん」だけでは有りません。唯一の中間駅柴又は、
柴又帝釈天
の門前町で有り有名な川魚料理の店が有り、帝釈天の裏の江戸川には矢切の渡しがあるなど、下町風情が残り非常に魅力的な観光地となっています。そう言う訳で今回の訪問では柴又でちょっと長めの途中下車をして、下町風情も楽しんでみました。
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☆ 京成金町線は「京成創業」の路線
「
京成電鉄
」と言えば、千葉県成田市にある成田山新勝寺への参詣輸送を目的に設立された会社ですが、会社の歴史的に見て一番古い路線はどこか?と言うと意外な事に今回取り上げる
金町線
になります。
元々京成電鉄は東京〜成田間の連絡を目指して押上から路線建設を始めますが、その時に合わせて柴又帝釈天の参詣客輸送を狙い曲金〜金町間の路線建設を目指します。只この区間で先に出来ていたのは日本鉄道の金町駅から柴又帝釈天を結ぶ帝釈人車鉄道でした。この人車鉄道は1899年に金町〜柴又間の路線を開業し既に柴又帝釈天の参詣客輸送を行っていました。
そこに都心(押上)からの直接輸送で割り込もうとしたのが京成電鉄です。京成電鉄が1909年に設立されこの路線計画が動き出すと、どのような裏があるのかは知りませんが、帝釈人者鉄道は1912年4月27日に京成電鉄へ金町〜柴又間の軌道免許の譲渡を行い、9月24日には帝釈人者鉄道は京成電鉄と合併してしまいます。
京成電鉄が作った押上〜伊予田(現在の江戸川)間・曲金(現在の高砂)〜柴又間が開業したのは1912年11月3日ですから、買収により手に入れた金町〜柴又間の人車鉄道のほうが京成にとっては1ヶ月ちょっと先に運営していたことになります。そう言う訳で金町線が一番古く「京成創業の路線」と言うことになるのです。
その後人車鉄道で運営されていた金町〜柴又間も、1913年10月21日には人車鉄道から普通鉄道への改築が完成し、今の形が金町線の完成します。その後今まで93年間、駅舎の改築等は行われても根本の形は変わらず、走る車両こそ今の京成の車両ですが、雰囲気的には昔の「古きよき時代」を残しながら今も走っています。
☆ 京 成 金 町 線 訪 問 記
(1)京成金町線 高砂〜柴又間
京成金町線を訪問したのは7月2日の日曜日、午後
東武大師線を訪問
する前に午前中に京成金町線に寄って、その後昼食を川魚料理で有名な柴又の
川甚
で奮発して鰻でも食べようと思い出撃することにしました。
自宅から西武池袋線・JR山手線を使い京成への乗換駅である日暮里に着いたのは10時半過ぎでした。「金町行きの直通普通が有るかな?」と思い時刻表を見てみましたが、休日の昼間には直通の列車がありません。仕方ないので次に来た特急成田空港行きに乗り金町線の始発駅の高砂まで進んで、其処で金町線に乗り換えることにします。
日暮里からの京成特急は座席が埋まる程度の混雑率です。無料特急にも「如何にも海外渡航客」と言うスーツケースを持った人たちが散見されます。これが京成の特色でしょう。特急は青砥で都営線からの直通列車(高砂行き)を受けて少々立ち客が出た状況で高砂に向かいます。高砂では乗車を降車が上回る状況です。降車客も階段を上がり改札口を目指す人とホームで他の列車を待つ人が半々位です。私も金町行き列車を待ちながらホームを散策してみます。
高砂は複々線の終端駅にして本線から北総線・金町線が分岐してしかも車庫があるという京成の要衝です。その為配線も複雑で踏切は東京でも珍しい「警手付の踏切」でしたが、竹ノ塚の事故を受けて「
自動化
」されました。ホームで踏切の状況を見ていると北総線の印旛日本医大行きが来てホームの客半分位を乗せ座席が半分埋まる程度で出発していきます。その後4番線に折り返しの金町行きが入線して来ます。入線して来るとかなりの人が降りて乗り継いでいきます。折り返し私達金町線利用客が乗りこみ座席が埋まり立ち客がちらほら居る状況で出発を待ちます。4両編成で20分毎というのは輸送力がちょっと少ないのかな?もう少し頻度を増やせないのかな?とは率直に感じました。
左:京成高砂駅 東側状況 右:4番線で発車を待つ金町行き普通
金町行きの列車に乗ってしばらく待っていると、上野からの京成本線普通の接続を受けた後時間が来て発車します。高砂を出るとすぐに左へ分岐して金町線に入ります。金町線は右側に高砂の車庫を見ながら東→北に方向を転じます。金町線の上り線は車庫線の一部の様な使われ方をしています。
左:金町線と高砂車庫 中:高砂〜柴又間のSカーブ 右:柴又駅構内状況
高砂の車庫を過ぎた後、金町線は複線で進みます。途中でかなり曲線半径の厳しいSカーブが有り列車は40km/h程度のゆっくりしたスピードで進みます。やはり元々が「軌道法」準拠で作られた路線だけ有り路線の規格は高く有りません。只駅間距離が1km程度なので、速度が遅くてもそんなに苦痛には感じません。Sカーブを過ぎてしばらく進むと金町線唯一の中間駅である柴又の駅になります。柴又駅は6両編成が入れて渡り線があり折り返しも出来るようになっています。私は詳しくは知りませんが昔は柴又で折り返しの電車が有ったのでしょうか?
左:金町線車内状況(高砂発車前時点) 右:柴又駅での乗降風景
左:金町線車内状況(柴又乗降完了時) 右:構内踏切が開くのを待つ乗客
左:柴又駅金町方面状況(ここから単線になる) 右:柴又駅上りホーム
柴又では、流石に下町有数の観光スポットにして帝釈天の門前町という事も有りかなりの乗客(数十人位)が下車します。只柴又から金町へ向かう人も多く同じ位の人が乗り込んで来るので全体としては車内の乗客数は変わらないと言えます。その状況から見て柴又へ来る人の流れは金町線の起終点である高砂・金町両方から半分ずつ位の割合と言えると思います。
柴又は駅自体は「古くも無く新しくも無く」と言う感じです。只駅舎は一度建て替えているそうです。しかし構内踏切が残っているのにはちょっと驚きました。「男はつらいよ」のシーンではよく見ている風景ですが、東京23区内では数少なくなった構内踏切を見るとレトロな雰囲気を感じます。しかし柴又自体はお年寄りが多い観光地ですし、列車の運行本数も多くないので、簡便かつ究極のバリアフリーとして割り切ってみればこの形がベターなのかもしれません。
構内踏切を渡った後、高砂行きのホームを見てみます。このホームは「男はつらいよ」でエンディングのシーンで必ず出てくるところです。日本で一番映画に出た鉄道施設でしょう。しかしこれだけ有名な映画に露出していても京成はそれを上手くビジネスに繋げた形跡はありません。そういう点ではイメージアップの絶好の機会を逃しているともいえます。但し「トレンディドラマ」ではなく「男はつらいよ」なので知名度は上がれどイメージアップは難しいかもしれませんが・・・。
降車客の半分近くは慣れた人or住民の様ですぐ駅前から消えていきますが、残りの半分近くは観光客の様で駅前の「寅さん」銅像で写真を取ったりした後、最大の観光スポットである柴又帝釈天と帝釈天参道の方へ進んでいきます。私も今回は半分は観光客なので、柴又で一度途中下車をして柴又散策&昼食を取る事にしました。
(2)柴又帝釈天&江戸川河川敷散策
柴又の駅で途中下車をしたので早速柴又を散策することにします。私にとって柴又は「通過したことは有れども観光した事が無い」場所なので、散策のルート的には「帝釈天参道→帝釈天参拝→江戸川河川敷&矢切の渡し→昼食」と言うごく有り触れた一般的コースで柴又散策をすることにしました。
まずは観光客の流れに沿って帝釈天の参道に向かいます。駅から帝釈天に向かい「帝釈天参道」のゲートを過ぎると・・・、其処は正しく「男はつらいよ」のセットの世界です。「男はつらいよ」で出てくる街並み・店がそのままの姿で残っています。これは中年以上の「男はつらいよ」を毎年見ていたマニアな人たちには堪らない「男はつらいよの聖地」とも言える観光地でしょう。
但し参道の店のラインナップは完全に「昭和」の時代から抜けきっていません。この「昭和」の景観を守ってきた事が柴又の「売り」でしょうが店の中身は「懐かしさ」以外の何かを得られるような物も有ると言うバリエーションが必要なのかもしれません。「老人の原宿」である巣鴨に比べ地元の高年齢層のリピーター性が低そうなのはその当たりなのかもしれません。
左:帝釈天参道入口 右:帝釈天参道内風景
とりあえず店を見ながら帝釈天に向かい参拝を済ませます。帝釈天自体はそんなに大きなお寺では有りません。金町線の歴史を見れば昔から参拝客は多かったのでしょうが、実際の所は「男はつらいよ」が無ければこんなに有名にならなかったのかもしれません。西新井大師との賑やかさの差は「映画で有名になった」と言う事の効果なのかも知れません。
帝釈天に参拝した後は裏側にある江戸川の河川敷を目指します。江戸川の河川敷に出ると視界が開け一変に風景が変わります。左には常磐線と水戸街道の橋と金町浄水場のトンガリ屋根の取水口・目の前には矢切の渡し・右には北総線の鉄橋が見え、河川敷グラウンドでは野球やサッカーをしています。
この江戸川&矢切の渡しは柴又の観光地としての奥行きを持たせていると感じます。昭和の街並みの門前町・帝釈天参拝・自然を感じる江戸川&矢切の渡しと感じの違う3つのスポットがあるので只単純に一つだけを見て御終いという単調さは有りません。只松戸側に観光地が無いので周遊性に欠けるのは有りますが・・・。
左:柴又帝釈天境内 右:江戸川河川敷 (奥の鉄橋は北総線)
左:矢切の渡し 右:川千家のうな重
ここで矢切の渡しを渡って対岸を訪問しようとしましたが、急に天候が悪化してきて雨が降り出してきました。なので矢切の渡しは諦めて川甚で鰻を食べようと早足で向かいます。川甚は帝釈天と江戸川の河川敷の間にある大きく有名な川魚料理の店です。しかし店に行ってみると観光バスが何台も来ていて混雑しているようです。1階の受付で聞いてみると「満席で予約がないと入れません」と冷たく言われてしまいました。
仕方ないので帝釈天の参道に戻り昼食を取る事にします。
川千家
も川甚と同じ川魚料理の店で歴史は古く「男はつらいよ」でも出てくる有名な店です。座敷と食堂が有りますが、今日は一人なので食堂で食事を取る事にしてうな重の松(2,500円)を頼みます。感想と言えば「柴又までわざわざ来て食べるほどの物ではない」と言う感じです。美味しくそれなりの値段ですが、東京都内で食べるのと差は有りません。そういう点では「食べることを目的に来る観光地」と言うことは出来ません。
川千家で食事をした後、金町線訪問を完遂する為に柴又駅に戻ります。只1時を過ぎたこの時間でも駅から帝釈天方面に向かう観光客がまだ大勢居ました。確かに東京から近く比較的コンパクトに纏まっているのでふらりと来る観光地としては良い所であると言えるかもしれません。後はリピーターを引き寄せられるようなバリエーションを持たせる事が肝要ではないでしょうか?
(3)京成金町線 柴又〜金町間
柴又観光が終わったので、早速本来の目的である「京成金町線訪問」に戻ることにします。柴又駅に着くと丁度金町行きの列車が行った後です。次の電車は20分先です。「この待ち時間は痛いな!」と思いつつ次の電車を待つことにします。待つ事7〜8分経つと金町方面から高砂行きが来ます。「あれ?柴又で交換にしては早いな?」と思いよく考えると20分間隔の金町線は1編成の列車が往復するだけの運転なのです。柴又〜金町間は単線の棒線なので柴又で交換すれば10分間隔運転が可能(高砂で金町線折り返しと本線・北総線が相互に支障する可能性があるが・・・)と言う事です。東京23区でこれだけ利用されしかも京成線と常磐線を結ぶネットワークの一端を結ぶ路線ですからこの運転間隔は何とかしたいものです。
上り高砂行きをやり過ごしてもう10分ほど待つとやっと金町行きが着ます。待つ事17〜18分もしかしたら歩いていたら金町に着いていたかも知れません。柴又〜金町も1km程度の距離ですから「待つより歩く方が早い」可能性も有ります。金町行きは又かなりの乗車率で来ます。ここで私を含め数十人の人が乗車して金町線の電車は終点の金町を目指します。
左:京成金町線車内状況(金町到着前) 右:京成金町駅乗降風景
金町線電車は柴又を出ると
東京都水道局金町浄水場
の脇を通り、平成5年に完成した水戸街道の立体交差(
国道6号線新宿拡幅事業
による「金町立体」)の下を潜り側道の踏切を渡り、JR常磐線の金町駅前に入る道に沿い細かくカーブしながら進んでいきます。丁度金町駅前の広場にぶつかった所が京成の金町駅です。
金町駅ではすでにホームで電車を待っている人が多数居ます。金町での折り返し時間は数分しかなく、客の乗降が終わり運転手・車掌のエンド交換が終わるとすぐ発車するような感じです。棒線行き止まりのホームなので致し方ないのですが、一応はターミナル駅なのに乗降に余裕が無い事は間違いありません。
左:京成金町駅とその手前の区間を見る 右:京成金町線と国道6号線金町立体の交差地点
左:京成金町駅駅舎 右:常磐緩行線ホームから京成金町駅を見る(線路は常磐快速線と貨物ヤード)
京成金町駅は近年建て替えられ、am・pmやコーヒーショップや英会話塾が入るこじんまりしたターミナルビルになっています。ここから道路を挟んでJR金町駅の駅前広場になっておりJR常磐緩行線の金町駅にはすぐ乗換えが出来ます。(この距離感は常磐線ホームから取った写真で感じてください)
その為京成金町駅の乗降客数は意外に多く平成14年度で「定期15,442人・定期外10,764人・合計26,206人」(
関東広告協議会レポート
より)となっています。この数は「僅か2.5kmの支線の終点」のターミナルの乗降客数としては多い部類に入ります。(京成線の駅毎の乗降客数で比較して見ると「関屋<金町<お花茶屋」と言うレベル)
この京成金町の乗降客数のかなりの部分はJR常磐線からの乗り換え客です。しかも特に定期客は「柴又への観光客」と言う訳ではなく、金町で京成線に乗り換えて高砂以遠(特に都心方面)に向かう客であると言えます。京成金町線は距離の割りに利用客の多い路線ですが、この利用客は柴又への観光客とそれ以上に多い通貨需要でありこの存在が、京成金町線を支えしかも本線・押上線の培養線として大きな役割を果たしていると言えます。その点では京成金町線のキーポイントは、柴又もキーポイントですが同じく金町も重要なキーポイントであると言うことが出来ます。
☆ 「京成創業の路線」は今後どうなるのか?
今回この様に「京成創業の路線」とも言える京成金町線を見てきましたが、よく言えば「軌道的風情のある路線」と言えますが、実際は「(駅舎以外は)93年間何も変わって居ない路線」と言うことが出来ます。実際人車鉄道からの改築以来(京成全線の改軌工事を除いて)ほとんど手が入っていません。
その点は過去に取り上げた「
京成千葉線
」と変わらないと言えます。但し京成千葉線の場合は「千葉急行開業」「幕張本郷駅開業」等の変化要因が過去にも発生し、これからは「新京成電鉄乗り入れ」と言う大きな躍進の可能性が控えています。それに比べて金町線は現在の段階で改良予定などの変化の兆しは全く有りません。
京成にしてみれば「短距離だがこれだけのお客さんが利用してくれて、しかも培養効果まである」と言う金町線は、美味しい路線であることは間違いありません。しかも大規模な設備投資がほぼゼロで資産はほとんど償却済みでしょうから、ある意味ぼろ儲けの路線であると言えます。
しかし本当にこれでいいのでしょうか?私はYESでもありNOでもあると思います。この路線は現況でも十分収益性は高いと推察できますが、一段の投資をすればもっと良くなり利用者が増えた可能性もあるといえます。
金町線に関係する「変化の可能性」と言えば、過去において京成金町線が大きく飛躍する可能性がある、金町線が関係したプロジェクトが2つ有りました。
新京成電鉄柴又延長線
と
国道6号線新宿拡幅
に伴う改良事業の2つです。
昭和30年代に計画された新京成柴又延長線は、今や北側での新京成線と京成線との連絡と言う役割を間接的に北総がその役割を代行していますが、もし出来ていたら新京成線の都心直結路線として期待されていた路線であり、これが柴又にくっつけば金町線に流入してくる客が大幅に増加した可能性がありますし、松戸で常磐線の客がこの路線に流れてきて今以上の常磐線バイパス路線として機能していた可能性は有ります。
又国道6号線の新宿拡幅事業に伴う金町立体交差は、金町線にしてみれば「連続立体交差化事業」には該当しませんが、立体交差建設の目的の一つは「都市計画道路である国道と形成金町線の平面交差の解消」ですから、鉄道との完全平面交差解消には、今の道路の立体交差(側道が地上に残る)より立体交差と金町線の地下化を併用した方が事業的には優れていることは間違いありません。本来ならこれに便乗して隣接道路下を利用して金町線の地下化を行い金町駅の「常磐線接着」「1面2線化(棒線の解消)」「8両編成化」を行っていれば、「青砥・高砂止まりの都営線直通列車の金町延長運転」が実施できて、それにより「バイパス効果強化により常磐線からの流入客の増加」が出来て、京成金町線が劇的に変わっていた可能性があります。(但し同時に困難な高砂の改良が必要になる可能性がある)
しかしこれは「京成の負担が少なく地下化が出来た可能性はあったが、この当時ではイレギュラーな事業形態になるので、其処まで建設省に強く掛け合うほどの政治力が京成に無かった」「金町立体が具体的に企画されていた(と思われる)昭和50年代〜60年代は京成の経営再建期間中で金町駅地下化に投資をするだけの余裕が無かった(建設省を巻き込めば京成の負担は減っただろうが、それでもかなりの負担を強いられた筈である)」と言う事情があったと推察され実現化されず、京成金町線だけが完全に取り残される形になりました。
この様な状況が成長の可能性から考えて決して言い訳ではありません。京成金町線は東武大師線・西武豊島線のように「短く行き止まりの盲腸線」と言う訳では有りません。これらの路線に比べたら遥かに多い可能性を持っています。その可能性が過去の「放置プレイ」で目が詰まれてしまい、今の閉塞感に包まれた状況を現出させていると言えます。
しかしこの様な路線は鉄道会社としては決して悪い路線ではありません。逆に美味しい路線ともいえます。投資をせず最低限の運転でもお客さんがそこそこ乗ってくれて最低原価で収入が上がるので相対的に利益が上がり、しかもバイパス利用による培養線効果で他路線にもいい影響を与えてくれる路線ですから、「放置プレイ」の結果「美味しい果実」を手に入れられたとも言えます。
こうなってくると「投資をする事」が良い事なのか?と考えると判断は難しくなります。其処から考えると今後取るべき道は2つあるといえます。
一つは「積極策に打って出る」と言う方策です。金町駅地下化(駅前広場乗り入れによるJR駅接着・1面2線化による増発余地捻出・8両対応化による都営線直通列車乗り入れ)と高砂駅改良工事(金町線〜本線・押上線への直通運転対応)に打って出て、今の高砂・青砥止まりの都営線直通を金町に引き込んで、常磐線から乗客を奪うことを狙う方策も有ります。又これらの方策には国土交通省の補助事業として「
交通結節点改善事業
」もしくは「
都市鉄道等利便増進法
」を適用できる可能性も有り、そうなると(全額負担よりは)少ない金額で、積極策に打って出る改良工事を行うことが出来ます。この様に補助を受けることで京成の出費のハードルが低くなれば大規模改良工事を伴う積極策も勝算が出てくると言えます。
もう一つは今のまま「放置策を継続し、合理化を進め最低投資下での収益を極大化する」と言う方策です。これだけ利用客が有るので駅の無人化は無理ですが、完全線内運転化(場合によっては高砂に別ホームが必要?)によるワンマン運転を行う等の合理化策はまだ余地が有りますし、この様な合理化策を打たなくても、全日・全時間20分間隔運転化で線内は1編成で金町・柴又は委託駅化する等今に+αの合理化で対応と言うことも出来ます。どちらにしてもこれらの合理化策はリスクが少ない収益極大化策であると言えます。(但し過度な合理化策がバイパス客にどのような影響を及ぼすかは慎重に考える必要が有ると言える)
果たしてどちらが良いのでしょうか?鉄ヲタ的には「迷わず前者」と言うことになるでしょうが、経営の側面から見るといろいろな分析・精査が必要になりますが、どちらも「間違いではない」と言う可能性も有ります。只リスクが大きい可能性が高いのは前者・得られる果実が大きい可能性があるのも前者と言う事だけは間違いありません。正しく「京成金町線の将来はこの究極の二者択一」に左右されるのではないでしょうか?
(個人的には「国交省の補助が受けれるのなら前者を行う価値はあるし、勝算も決して皆無ではない」と考えます。但し「京成に鉄道事業で前者の様なリスクを負う冒険をする勇気はない」と思いますが・・・。果たしてどうなんでしょうか?)
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今回何の気なしに訪問した京成金町線ですが、色々考えてみるとなかなか奥の深い路線であると考えさせられました。
確かに鉄道的には軌道的雰囲気の路線に、普通の上野直通列車と線内折り返し列車が走るだけの大都市のローカル路線であり、鉄道的な面白みに欠ける路線である事は残念ながら否定できません。
しかし沿線を散策してみると、柴又と言う観光地が有るが故に色々見所があり、今回の訪問だけではまだ見足りない所があると言えます。1日掛けてゆっくり柴又散策〜江戸川散歩をしてみるのも面白い地域であると言えます。実際「男はつらいよ」で全国区になった「草だんご」も食べていませんし、川甚で鰻を食べれなかったのも後悔が残ると言えます。その点では今回の訪問は「未完の路線訪問」であるとも言えます。
又金町線の経営的側面を考えれば、今回検討を加えたように「究極の選択」を迫られるほど、(危機ではないが)悩ましい状況に有るのも又事実であると言えます。この様な「投資による積極策or現状維持策」と言う決断は、鉄道経営において今までも今後も迫られる究極の決断であると言えます。どちらの判断が好ましいか積極的に考える事は、非常に面白い事であると言えます。その事に関して今回結論が出せなかったので、そういう意味では今回の金町線訪問は「重い宿題が残った」訪問・分析であるとも言えます。
只この「重い宿題」にかこつけて又訪問したくなる魅力も兼ね備えているのかな?とは感じました。又何かの機会に訪問して、「草だんご」と「金町線の今後」と言う今回の「未完の宿題」に何とか方向性を付けたいと改めて思わされました。
※「
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