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「ブルートレイン廃止」の必然性について考える

−変化に対応できない金食い虫の老兵の末路とは?−



TAKA  2007年11月21日



  
今回廃止・縮小が報道されたブルートレイン 左:銀河(08年廃止) 中:北斗星(1往復廃止) 右:富士(09年廃止)


 ※本文は「 交通総合フォーラム 」「 TAKAの交通論の部屋 」のシェアコンテンツです。

 ☆ ま え が き

 新幹線・高速道路・航空といった「高速交通網」が発達し国土を縦横無尽に結んでいて、大都市であれば国土の殆どの地域が「日着・日帰り圏」となっている日本で、此処30年間衰退続けていていまや絶滅寸前になっている交通手段があります。それは夜間を生かして目的地まで移動できる寝台特急です。
 まだ在来鉄道が国土内移動の主流であった1970年代までは、遠距離移動に長時間掛かる事が一般的であり、夜間のうちに寝ながら移動できて翌朝から目的地で行動できる寝台特急は効率的な移動手段として人気を博していました。同時にその人気と需要に支えられて、当時としてはハイグレードで「走るホテル」と称された時代の最先端を行く 20系寝台車 などが寝台特急に投入され、寝台特急が人々に取り「乗ることが夢」であり「憧れの存在」という時代も存在しました。又高速交通網の普及に伴い寝台特急の需要に陰りが見えてきた1970年代以降、国鉄の「 ブルートレイ ン」のPRが功を奏し、1970年代後半〜1980年代にかけて「ブルートレインブーム」が起きて、寝台特急が子供たちの憧れとなった事も有り、寝台特急(≒ブルートレイン)がある意味特別な存在になった時代がありました。
 実際私も1970年代前半生まれで、ブルートレインブームの末期に小学生高学年を迎えて、鉄道が好きな友人と東京駅にブルートレインをわざわざ見に行った記憶もあり、そのような事から子供の私は「新幹線とブルートレインは特別な列車である」という認識を持ち、憧れの存在として羨望の眼差しでブルートレインを見てました。

 しかし今や高速交通手段の発達で、日着・日帰りが全国ほぼ全域で達成され、同時に新幹線・航空・高速バス等所要時間・価格等の側面で利用できる交通手段が多様化され、加えて1970年代のブルートレインブームの時代から一部の例外を除いて殆どサービスレベルに進歩の無い寝台特急は、今や完全に利用者のニーズをつかむことができなくなり「過去の遺物」として衰退の道を歩みだしているのは、近年の情勢として否定できない物があります。
 実際国鉄がJRに分割民営化されてから20年が経過しますが、その間で寝台特急に関して世間の注目を集める様な新機軸を打ち出したのは、1988年の 北斗星 登場・89年の トワイライトエクスプレス 登場・98年の サンライズ出雲・瀬戸 の登場・99年の カシオペア という様に非常に限られており、それに比して此処毎年ダイヤ改正のたびに陳腐化し旧態依然として利用率が低いブルートレインに関して廃止・減便される事が相次いでいます。
 その様な寝台特急廃止の流れの中で、私も幣サイト「 TAKAの交通論の部屋 」で06年3月ダイヤ改正時の出雲廃止時に「 東京行き列車は重要か?−寝台特急出雲廃止について考える− 」という一文を書き寝台特急の必要性について書いています。又寝台特急の現状等については 交通総合フォーラム でおなじみの和寒様も「 夜行寝台列車衰勢に示される鉄道の構造的課題 」「 寝台特急「出雲」廃止か? 」という一文を書かれています。それらの中でも書かれている様に残念ながら「寝台特急の衰勢」は今や否定できない状況になってきています。

 その様な中で今回11月18日の朝日新聞の報道で「 消えゆく東京駅発ブルトレ「銀河」来春に引退 」という報道がなされ、08年春・09年春のダイヤ改正で現行の寝台特急が絶滅に近いほどの大幅な廃止がなされる事が明らかになりました。
 冷静に鉄道を見てきた人間にとっては「遅かれ早かれ訪れた必然」である事は自明の理でありますが、同時にブルートレインを憧れた世代としてみれば感情的にはショックを受ける物でもありますし、過去に05年に札幌〜東京間で 北斗星のロイヤル ・06年年末に東京〜高松間でサンライズ瀬戸のシングルを利用して、「揺れて寝れない寝台特急はヤダ」と感じた私にしてみれば、今の飛行機・新幹線の時代に寝台特急を使うのは「どうしても使わなければならない必然性」が無ければ、「物好きでなければ乗らない交通手段」であると認識していますので、今回の報道に関してもある意味冷静に受け止めています。
 けれども今回この様な報道がなされ、一時期は日本の交通手段の大きな一翼を担ってきた寝台特急が実質的に無くなるという状況に際して、やはり「なぜ無くなったのか」考えてみる必要性が有ると思い、此処で総括的意味を含めて「なぜ寝台特急は無くなるのか?」という事について考えてみる事にしました。


 ☆ 今回の08年・09年ダイヤ改正での「寝台特急廃止」報道の概要

 今回有る程度「流れとしては予想できた」とはいえる物の、印象的には突然出てきたともいえる、毎日新聞の「消えゆく東京駅発ブルトレ「銀河」来春に引退」という報道ですが、その要旨は下記の通りです。

・08年3月中旬のダイヤ改定で廃止のブルートレインは、京都—熊本間の「なは」、京都—長崎間の「あかつき」、東京—大阪間の「銀河」。
・08年3月中旬のダイヤ改定で減便のブルートレインは、大阪—青森間の「日本海」、上野—札幌の「北斗星」、どちらも1日2往復から1往復に減便。
・08年3月ダイヤ改定は今年11月中旬に正式決定12月中旬に発表の予定。
・09年春のダイヤ改定では、東京—大分の「富士」と東京—熊本の「はやぶさ」の廃止が、JR各社の担当課長レベルで合意済み。
・ほかの路線についても、新幹線の開業時期などに合わせて廃止することを視野に、検討しているという。
毎日新聞「「 消えゆく東京駅発ブルトレ「銀河」来春に引退 」より要約引用

 要は08年3月・09年3月のJR定例のダイヤ改正で九州ブルートレインは全廃・複数運行のブルートレインは1本に減便という事になります。その結果09年3月ダイヤ改正後も残る寝台特急・ブルートレインは下記の列車となります。

09年3月ダイヤ改正後も残ると予測される寝台特急・ブルートレイン
(1) カシオペア・トワイライトエクスプレスの予定日運行の不定期寝台特急。上野〜札幌間の北斗星1往復・上野〜金沢間の北陸1往復。
(2) 上野〜青森間(羽越本線廻り)あけぼの1往復・大阪〜青森間の日本海1往復・東京〜出雲市間のサンライズ出雲1往復・東京〜高松間のサンライズ瀬戸1往復。

 上記報道で「ほかの路線も新幹線開業時期に併せて廃止を視野に検討」となっている為、遅くとも2014年度の北陸新幹線長野〜金沢間開業時に北陸が、2010年度の東北新幹線八戸〜新青森間開業もしくは2015年度の北海道新幹線新青森〜新函館間開業時に北斗星・トワイライトエクスプレス・カシオペアが廃止される可能施が高いです(カシオペアは人気が有り車両の経年が浅いから生き残る可能性があるが・・・)。要は上記の(1)の分類の寝台特急・ブルートレインは整備新幹線開業に伴い、遠からず廃止される事が確実の寝台特急といえます。
 又直接整備新幹線と平行していない(2)分類の寝台特急・ブルートレインに関しても、あけぼの・日本海に関しては、使用している車両が製造最終年が1980年の 24系 であり、大部分の車両が現在の段階でも「経年30年以上の老兵」でありすでに車両の寿命が尽きつつあります。その事及びこの流れの中で「代替新造車」が製造される可能性がほぼ皆無である事を考えると、残念ながらその余命は長くないといえます。ですから今の段階で「当分先まで存続が確定的」といえるのは現在で車齢が約9年という JR西日本・東海285系 を使用しているサンライズ出雲・瀬戸だけという事になります。
 この様な事から、今回の報道の内容が「実質的な寝台特急の全廃を示す」という事になると考えます。実際の所北斗星・トワイライトエクスプレス・カシオペアに関しては北海道新幹線青函トンネル内工事の進捗状況に応じて工事間合い確保の点から、北海道新幹線開業前のもっと早期に廃止される可能性もありますし、あけぼの・日本海は「今回偶々廃止リストに挙がらなかった」という事も有り、09年3月ダイヤ改正以降何時廃止されてもおかしくは無い状況であるといえます。ですからすでに「(サンライズを除く)実質的な寝台特急全廃」は時間の問題であるといえます。


 ☆ 「交通手段の高速化と多様化・価格デフレの進行」という変化と「生活レベルの向上」という進化のに取り残された寝台特急

 先ずは「何故寝台特急は廃止されるのか?」という廃止の理由ですが、よくいわれる様に寝台特急は「交通手段の高速化と多様化・価格デフレの進行」という変化と「生活レベルの向上」という進化に取り残されたという事が、色々な所で指摘される事ですが、寝台特急の衰退のマクロ的な要因として先ず最初に挙げる事が出来ます。

 やはり新幹線の延伸・高速化と航空の発達により「日本が狭くなった」という事は、寝台列車を追い詰めた最大の要因で有るといえます。今や東京基準で見ても北海道・東北・中国・四国・九州の遠隔地の県庁所在地もしくは地方の中核都市では新幹線や航空路線が伸びており、普通の日程で滞在時間8時間〜10時間程度であれば東京から日帰りで移動する事が可能になっています。しかも複数の運行本数が確保されており、昔に比べて遥かに移動の利便性が向上しています。
 加えて高速道路網の進展により、東京を起点にして東北・北陸・関西・中国・四国地域には座席仕様で横になって寝る事は出来ない物の値段が半額程度の夜行バスが多数運行されるようになり、大都市から始まって人口10万〜20万クラスの都市まで、東京から直行の夜行高速バスが寝台特急とほぼ同じスピードでより低価格で結ぶようになっています。
 確かに新幹線が東海道にしか存在せず、航空が庶民に取り「高値の華」であった1960年代には確かに寝台特急・急行が、東京都地方を結ぶ重要な交通手段でした。しかし新幹線網の拡充による鉄道の高速化と航空ネットワークの各大が進行して日帰りを可能になると、確かに「夜移動する事での効率性」が有る寝台特急でも、新幹線・航空による「日帰りの楽さ」には適わず衰退して行く事になりますし、加えて1980年代以降の夜行高速バスの拡充により「夜移動する事での効率性」の部分でも安価な高速バスに奪われる事になり、必然的に寝台特急はその両方の谷間に落ち込んでしまい、同時に速度の側面でも機関車牽引のままで殆ど進化していない事も有り、必然的に寝台特急は陳腐化してしまい衰退の道を辿った事は否定出来ません。
 しかもその様な衰退の要因に加えて、追い討ちを掛けたのが「航空自由化による航空運賃の下落」が挙げられます。例えば東京〜福岡間では寝台特急はやぶさ23,040円(B寝台):新幹線22,120円(指定席):航空17,000(スカイマーク正規料金。JAL正規料金は33,800円)という様に大きな差は無くなっていますし、しかも航空は競争が激しく各種割引がある為に実勢料金は2万円程度になっており明らかに鉄道より安くなっています。東京〜福岡は極端な例かもしれませんが、傾向的には「航空が安くなっている」という事は全国的に変わりません。運賃が安くて所要時間は10分の1程度となれば殆どの人が航空を利用する様になります。こうなっては寝台特急は誰も使用し無くなります。1970年代から始まり1990年代から極端に激しくなる寝台特急の利用客の低落傾向の大きな理由はこの様な点に有るといえます。

 もう一つは日本人の生活レベルの向上に寝台特急のサービスレベルがついてこれ無くなったという点が寝台特急が衰退した大きな要素の一つであると思います。
 ブルートレインの元祖とも言える20系寝台車登場時には「走るホテル」とまで形容されて、高いサービスレベルを誇っていた寝台特急ですが、実際の所20系寝台車が登場したのは1958年です。この時代の生活レベルと過去の夜行列車のサービスレベルから考えれば、確かに20系寝台車は「ホテル」と形容されても可笑しくないサービスを提供していたと思います。しかし今のカシオペア・サンライズ等の新型寝台特急車を除いて他の寝台特急の主力となっている14系・24系は20系の後継車両と位置づけられる車両ですが、3段ベット→2段ベットに変わった以外大幅にサービスレベルが進化したでしょうか?これは明らかにNOで有るといえます。
 確かに1980年代後半の国鉄末期時代に14系・24系の改造車で「ロビーカー導入・B個室寝台(カルテット・デュエット)」が導入され、その後JRになってからも14系・24系の改造車で1人用B個室寝台車(ソロ)等が導入されましたが、それ以上の根本的な所での「寝台特急のサービスレベル改善」は、サンライズやカシオペアといった例外的な新型車両導入以外は、殆ど改善されずに今の時代を向かえています。
 しかし根本の大部分は1950年代から殆ど変わって居ない寝台特急のサービスレベルに対し、日本人の生活レベルはこの約50年間で劇的に改善されて居ます。電化製品は増えて居ますし家でも個室が当り前になっています(私は未だに「個室」で生活した事がないが・・・)。その為寝台特急の中では「現在の近代的な生活が過ごせない」という悲しい状況が有ります。私が北斗星ロイヤルを利用した時には、ロイヤルにはコンセントが無くて携帯電話の充電に苦労した記憶が有ります。今や携帯電話は大部分の人が持ち歩く時代で「携帯電話の充電」は結構重大な問題であるといえます。携帯電話だけ出なくてもデジカメ・ノートPC等持ち歩く電化製品は多数思い浮かびますが、その充電用のコンセントが寝台料金17,180円の個室に無いのです。確かにロイヤルはベットも良いですしAVシステムも有りますしシャワーも有ります。そういう点ではサービスは良いですが21世紀の時代から見ると「不足している」点も数多く見られます。
 今や東横インやAPAホテルの様にビジネスホテルも低価格化が進んでおり、五千円台〜八千円台でそれなりの広さで設備もしっかりしたビジネスホテルに泊まる事が出来ます(しかも軽食の朝食付の所も多い)。それに対して寝台特急の宿泊料金に該当する寝台料金はB寝台で6,300円です。という事は寝台料金は低価格ビジネスホテルの価格帯とほぼ被る事になります。確かに狭い車両の中というハンデが寝台特急には存在します。しかしビジネスホテルとB寝台を比べて価格と価値と条件を比較して、許容範囲に収まるのはサンライズのB個室シングル位でしょう。それ以外はほとんどが「大きく見劣りする」といえます。まだソロ・シングル等の個室寝台ならば未だ良いでしょうが、開放2段寝台のB寝台であればなおさらです。これでは今の便利な生活に慣れた利用客は逃げ出してしまいます。
 この様な、今の日本人の生活レベルと隔絶した寝台特急のサービスレベルの差も、寝台特急から利用者が逃げ出した大きな要素で有るといえます。

 この様に寝台特急は、他交通機関の高速性と低価格性の狭間に沈み、日本人の生活レベルから見て貧弱なレベルのサービスしか提供できない状況では、残念ながら日本の交通網の中で既に寝台特急の社会的役割は終わったといえます。
 実際の所寝台特急が無くなって困る地域は殆ど無いといえます。実際出雲廃止時に「 東京行き列車が無くなる 」と騒いだ鳥取県でも、実際廃止されれば特に騒ぐ事も無くなりましたし、昨年12月30日にサンライズ瀬戸使用時に夜明け前の上郡駅で「出雲廃止救済列車」のいなば91号への乗り換え状況を見てみましたが、帰省期間中でも乗り換え客は数える程(10名程度)だった事からも、出雲廃止に伴う騒ぎも「大山鳴動して鼠一匹」と言う状況でした。この事からも実際に寝台特急が無くなり困る人は数えるばかりで、その社会的使命は既に終わっており、今や寝台特急の廃止は必然といえます。


 ☆ 実際の所「寝台特急」は鉄道に取り「邪魔な存在?」

 今回の寝台特急廃止に関して、その要因として上記で述べた一般的にいわれる「時代遅れの寝台特急」という事由に加えて、もう一つミクロ的な側面ですが鉄道会社の経営・運営的な面から考えて寝台特急は「投資効率が悪く、コストが嵩み、メンテナンスに邪魔な存在」という事がいえます。

 一つは和寒様が「 夜行寝台列車衰勢に示される鉄道の構造的課題 」で述べられている様な、汎用性の低い少数の特殊な車両を持つ事による経済的非合理性という問題があります。確かに寝台特急は夜間に長距離しか走る事ができず、大体の場合は「夜に起点から終点まで片道走り昼間は車庫で昼寝」というパターンが大部分です。1日の中での稼働時間を考えたら大体10〜14時間程度が一般的であり、それ以外は車庫で昼寝が大部分です。その点普通の車両であれば朝早くの始発から夜遅くの最終まで1日18時間〜20時間程度は稼動する事が可能です。この点から見ても寝台特急車両の生産性が落ちるのは明らかです。
 この問題は昔からあった問題です。だからこそ旧国鉄は「昼は特急に使えて夜は寝台特急」というリバーシブルで使用可能な 583系 の様な特急電車を製造したのです。しかし583系は構想時点では「リバーシブルで昼も夜も稼ぐ投資効率の良い特急列車」という事でしたが、実際の所「昼の特急としてはクロスシートでアモコディーションに劣り、寝台組み立て解体に手間がかかり、24系の二段寝台に比べると夜の三段寝台はサービスレベルが劣る」という中途半端な車両になってしまい、実質のところ「企画倒れ」に終わってしまい、「投資効率の良い寝台特急車両」は夢物語に終わってしまいます。
 その為国鉄・JR各社にとって寝台特急製造は「投資効率の低い投資」という事になり、その結果交通モードの進化による寝台特急離れで利用率が減り収入が減少すると、余計投資効率が悪くなり新しいサービスレベルの車両を入れる事が困難になります。そうなると悪循環に入りどんどんお荷物の存在・邪魔な存在になっていきます。此処まで来てしまうと最早寝台特急は「邪魔な存在で早く廃止したい」としかいえなくなってしまいます。この様な投資効率の悪さが鉄道会社にとって寝台特急を「邪魔な存在」にしたといえます。
 しかも今やJR旅客会社で客車列車は大幅に減少し、機関車で牽引する客車列車は寝台特急列車・一部のジョイフルトレイン・一部の波動用臨時列車に限定されています。これらのは客車列車である為に、列車運行の為にわざわざ少数の機関車を保有しなければなりません。わざわざ少数の列車の為に機関車を保有するコストも馬鹿には出来ない金額です。これも又車両のコストの側面で寝台特急を維持する事が困難になる要素の一つです。

 二つ目は「夜間に要因を確保する事のコスト」という要因があります。普通鉄道会社は旅客営業は寝台特急を除き4時台後半〜1時程度の20時間程度の時間帯であり、今や長距離貨物・寝台特急を除き1時〜4時半の深夜時間帯に営業している鉄道列車は日本では殆どありません。それはそうです。普通の人であればこの時間帯は寝ている時間帯です。その寝ている時間帯に列車を動かすということはそれだけコストが掛かるという事です。
 今のJRの運行体系で見れば、此処で寝台特急を廃止してしまえば、深夜帯に運転される列車は皆無になります。ただ貨物列車が運行される為、それなりの運行管理要因が24時間体制を組まざるえないのは解消されませんが、少なくともJR旅客会社の運転手・車掌・駅員は貨物列車運行には関係有りませんから、これらの人たちは深夜時間帯に仮眠をとる事が可能になり、勤務条件も改善されますし勤務シフトも組みやすくなります。
 又24時間体制を組むというのはコスト的にも色々な点で負担になります。その高コストを利用率が低い寝台特急の収益がカバーする事が出来る筈がありません。そうなると寝台特急は「高コストの運行体質なのに低収入」という鉄道会社からすると目も当てられないお荷物で邪魔な存在になります。これもJR旅客会社が寝台特急を廃止したくなる理由であるといえます。(良く「寝台特急運転をJR貨物に移せば?という意見も有るがこれはコスト体質改善に限定的意味しか成さない。確かに運転手はJR貨物に委託すれば良いが車掌・駅員はどうするのか?これを旅客会社から開放しない限りコスト縮減要因は限定的で、車掌・駅員をJR貨物に委託すれば新たな要員増加要因で余計高コストになる。そこからもこの発想は論外である)

 三つ目は「夜間の保守作業の邪魔になる」という事です。確かに寝台特急の走る区間の大部分は夜間に貨物列車も多数通る路線であり、その中で「1本の寝台特急が無くなっても大きく影響はしない」という考え方も出来るといえます。
 しかしこれは「現場を経験した事の無い人の話」です。実際夜の保線の現場では「線閉・機電停止の時間の1秒はダイヤモンドより貴重」というのが実情です。私はJRの保線工事は行ったことは有りませんが、民鉄の線閉・機電停止工事は監督として経験した事があります。民鉄ですから最低3時間程度は線閉・機電停止を確保した上での工事ですが、それでも線閉・機電停止工事は「時間との競争」であり「作業量を確保する事」よりかも「線閉・機電停止時間を守る事を絶対的に求められる」世界です。大げさかもしれませんが気持ち的には「作業が終わらなくて電車が動かなければ切腹」という世界です。この様な世界の中で「列車1本分の間合い」は保線作業にとり極めて貴重である事は、経験者であれば誰でもわかる事です。
 その様に考えると鉄道の保守作業に取り、夜間走る列車は「邪魔な存在」で有る事は残念ながら事実で有ると思います。ましてそれが空席多数で走る寝台特急であった場合「廃止してその分保守間合いを取れ」という事になる可能性は有るといえます。まして今や鉄道会社も保守を行う土木系会社も人手不足である事は間違い有りません。今やなかなか人海戦術を取る事が難しくなっています。そうなると「人海戦術で勝負」の保線作業の場合、人手を集める事が困難に成り機械化を進めると同時に保守間合いを長く取る必要性が出てきます。そうなると「一番社会性が低く採算性の悪い物から切り捨てて行かざる得ない」状況になります。その標的が寝台特急となっても全然可笑しくは有りません。

 この様な三つの要素から推察しても、JR各社に取って夜間少ない本数で走る寝台特急は今や「お荷物」と言える存在ですし、「邪魔な存在」とも言える状況になっています。
 只ですら寝台特急の利用者の側面で長期低落傾向である事は間違い有りません。上記毎日新聞の記事に寄れば「87年のブルトレ利用者数と比較すると、東京から西へ向かう路線全体の利用者は05年には21%にまで落ち込んでいる。」との事です。JR発足時の87年と比べてこれだけ利用客が落ちているという事は、今では「年末年始・GW・お盆」という様な超繁忙期以外は閑古鳥が鳴いているという事を示しています。これは九州ブルートレインだけで無く、トワイライトエクスプレス・カシオペア・サンライズ等の一部の寝台特急を除く全国的な寝台特急の普遍的な状況である事は間違い有りません。収入の面の深刻な低落傾向は、これだけでも「廃止に足る十分な理由」田といえます。
 それに加えて、鉄道会社の車両・要員・保守の面で見ても、寝台特急にはこれだけのマイナス面が有ります。お客さんは殆ど利用してくれないのにコスト的にはこれだけ不利な要素が有る寝台特急です。有る意味鉄道会社に取り「邪魔な存在」というのは強ち無茶な話では無いといえますし、「邪魔」とまで思わなくても「何とかしなくては」とは思っていたと言うのは外れていないといえます。その点からも寝台特急の廃止は「必然であった」と考えても間違い無いと思います。


 ☆ 結 論 に 変 え て

 この様に「時代の変化と進化に取り残された」というマクロ的側面と「鉄道会社の経営運営的に見ても邪魔な存在」というミクロ的側面から、寝台特急廃止の要因について見て来ましたが、この様に「何故寝台特急が廃止されたのか?」という要素を見れば見るほど、残念ながら「寝台特急の廃止は必然の結果だった」と結論付ける事が出来ます。

 確かに今の段階でも「寝台特急がビジネス的に成立する可能性のある所」は少なくても存在して居ると思います。実際最終列車並みの時間に発車して新幹線や飛行機の初便より比較的早い朝7時位に到着して、しかも夜行バスには真似出来ないビジネスホテル程度の居住性を、今のB寝台程度(もしくはプラスα)の価格で提供出来る所があれば、未だ寝台特急でもそれなりに採算を取る事が出来た可能性は有ったとは思っています。実際の所時間をもう少し工夫してサンライズの車両で運行した銀河であれば、今の急行から格上げした特急料金でもそれなりの利用率と採算は維持出来たのでは?とは思います。実際サンライズ車両であれば予備車両共通化等のスケールメリットも生かせますし、98年のサンライズ登場時点から時間が経過して居ない時期に、一番収入比率が大きいJR東海が旗を振れば、この様な展開も成立した可能性は有ったのでは?と今でも思います。
 けれども問題は、その様な需要は極めて限られた「ニッチマーケットに過ぎない」という事なのです。実際上記の寝台特急が成立する可能性があると指摘した東京〜大阪間で、もし285系寝台特急を毎日1往復運転してそれが満席になったとしても運べる人数は僅か158人に過ぎません。これが同じ東京大阪間を結ぶ東海道新幹線のN700系で有れば満員であれば1,323人の人を輸送出来ます。東京〜大阪間を乗り通す人が定員の50%としても661人です。285系寝台特急の4倍強の人を運ぶ事が出来ます。しかも運賃収入は単純計算で「寝台特急17,640円*158人=2,787,120円:新幹線13,850円*661人=9,154,850円」であり、掛かるコストを計算すれば1日1本しか運転出来ない寝台特急に力を入れる事が経営的には効率的でない事は明らかです。
 しかも今の料金制度では例えば東京〜大阪間で比べると新幹線より寝台特急の方が料金が高く、しかも新幹線「のぞみ」の登場により東京〜大阪間が2時間半で結ばれるようになり「最終で出れば東京・大阪による9時近くまで居れる。始発で出れば8時半には東京・大阪に着ける」というほどに利便性が向上し、加えてビジネスホテルが5000円程度に低価格になれば、誰もが新幹線+宿泊を選択するようになり寝台特急を利用しなくなります。この様な交通機関の高速化と航空料金・ホテル代金の低価格化は、東阪間だけで無く日本全国で進んで居ます。だからこそ寝台特急から乗客が逃げていったのです。
 この様な状況で有り、しかも「ニッチな部分でしか成立しない」状況の今の寝台特急ですから、民営化して上場会社となったJR本州三社が、サンライズやカシオペア等の「特定条件下での限定的事例」以外に「寝台特急に投資をして改善しよう」という考えを持たなくなるのは有る意味当然です。その様な市況になった段階で寝台特急の寿命は尽きたのです。

 だからこそJR各社は寝台特急が生き残れる可能性がある数少ない可能性に投資するよりかも、寝台特急は投資を行わず現状維持のまま進み、設備が老朽化して息絶えて来た段階で廃止するという、寝台特急の安楽死を選択したと言っても過言では無いでしょう。今の「廃止」という動きはこの選択の結果でしか有りません。既に寝台特急の命運はJRが車両に新規投資を諦めた段階で残念ながら遅かれ早かれ決まっていたのです。
 実際寝台特急の大部分で使われている24系寝台特急の車両を見ると、車体は錆でボコボコになっている所が散見されており、パテ+塗装で補修してあっても下地の錆の跡の悪さを容易に予想できるレベルの外板状況であり、既に鋼製の車体がかなり劣化している状況である事が容易に見抜ける燦々たる状況です。前に弊サイトで183系引退時の姿について「 特急車両が満身創痍で運転されていて良いのか? 」と言う一文を書きましたが、今回この記事用の写真撮影に銀河・北斗星・はやぶさ・富士の車両を見てきましたが、これらの寝台特急に使用されている14系・24系車両も引退直前の183系の惨状とほぼ同じ状況です。
 もう車両自体が此処まで状況が悪化してしまい、残念ながら既に小手先の車両修繕や更新では対応出来なくなっています。しかも「新規投資による車両更新の意思が無い」のであれば、残念ながら選択肢は列車自体の廃止しか有り得なくなっています。今回の「寝台特急廃止」には今まで述べてきた様に色々な要因が重なっていた事は間違い有りませんが、それ以上に「使用している14系・24系寝台車であと1〜2年程度しか持たない車両が多数出てきた」という可能性が一番高いかもしれません。今の14系・24系の状況を見るとこの理由も強ち「的外れ」とはいえません。そう言う意味でも寝台特急廃止は「必然」だったのでしょう。

 
この様な車両の痛みではもう運行続行は不可能だ・・・。 左:北斗星 右:はやぶさ

 この様に今回の「寝台特急廃止」は色々な視点から見ても、残念ながら「必然」で有ったという事が出来ます。すでに時代の変化に対応出来無くなった寝台特急はその存在価値を失いました。寝台特急は既に利用客の低落傾向に歯止めが掛からなくなっていた1990年代でその使命は終わっていたといえます。又本当なら「あさかぜ・さくら・彗星」と言う九州ブルートレイン3本が廃止され、今の夜行列車完全廃止への口火を切った2005年の段階で今の様に「(一部を除く)寝台特急完全廃止」に踏み切っていても良かったのかもしれません。その意味では今残っている寝台特急はその時に死刑執行が延期されたといえるのかもしれません。
 私も子供の時代には「ブルートレイン」に憧れを抱いた世代です。ですから「ブルートレイン」がこの様なボロボロの状態で廃止されて行くのは見るに忍びないというのが偽らざる心境です。しかし時代の流れに取り残された寝台特急が、時代の流れに逆らう事は今更出来ません。もう「老兵は死なず。只消え行くのみ」しかないのです。我々には今は静かに寝台特急という「老兵の消えざま」を見守るしかないと改めて感じさせられました。



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