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大阪に出来た「怨念の塊」と言える?新線を訪ねて

− 3月20日開業の「阪神なんば線」を訪問して −


TAKA  2009年04月13日



九条の「嘆きの壁」は阪神の「怨念」の象徴?

 ☆ ま え が き

 ここ1〜2年で大阪都市圏では新線の開業が続いています。2006年12月24日に「 大阪市営地下鉄今里筋線 」が開業した後、2008年3月15日に「 おおさか東線 」が放出〜久宝寺間で部分開業し、10月19日には「 京阪中之島線 」が開業するなど、今まで溜まっていた「マグマ」が噴出すように続々新線が開業して居ます。
 今回その一連の新線開業の「取りを飾る」大物新線が開業しました。それが2009年3月20日に開業した阪神西大阪線の西九条駅と近鉄難波線の大阪難波駅を結ぶと同時に、阪神〜近鉄間で直通運転を行い神戸三宮〜大阪難波〜奈良間を1本で結ぶ「阪神なんば線」です。

 阪神なんば線は、元々戦後直ぐの1946年に阪神・近鉄共同で「上本町-難波-千鳥橋間の新線」免許を提出して構想が現実化して居ますが、その後「 大阪市の市営モンロー主義に寄る反対 」で躓き、その後大阪市営地下鉄は阪神-近鉄免許線の平行線で有る 千日前線 を1970年に建設する物の、近鉄は同年に千日前線と同時施工で上本町-難波間を開業させ、先に近鉄は大阪の南の繁華街である難波への乗り入れを実現させます。
 それに対して、阪神はこの免許を基にして1964年に千鳥橋〜西九条間を延伸し環状運転を開始した大阪環状線に接続した物の、その後1967年に西九条〜九条間の工事に着手する物の九条商店街の強い反対を受けて同年工事中断の憂き目に合い、その後反対や建設費の高騰等が障害になり阪神電鉄の乗り入れは中断してしまいます。
 その後、京阪中之島線の整備スキームでも導入された「第三セクター活用による償還型上下分離方式」が地下高速鉄道整備事業費補助制度の対象になる事を受けて、阪神西大阪線の延伸も補助金で採算性・事業性が向上した事を受けて、2001年に第三セクター西大阪高速鉄道が設立され、同年に第二種鉄道事業:阪神電気鉄道・第三種鉄道事業:西大阪高速鉄道と言う運営形態で鉄道事業許可を受けて、2003年に工事着工し約6年の工事期間を経て、最初に構想が出来てから約63年後の本年やっと完成しました。

 本来なら約40年前に既に建設が始まり、遥か昔に開業していて可笑しくない鉄道で有り、この鉄道が開業していれば神戸と大阪の難波が直結されていてしかも阪神〜近鉄の直通運転が行われて居るなど非常に利便性の高い路線で有った事は間違い有りませんでした。
 しかし阪神には延伸の意志が有りながら、「大阪市の市営モンロー主義に依る妨害」や「九条地域住民の反対」等の「外圧に依る妨害」に合って、挫折して来た路線です。その様な妨害に対する阪神の「怨念」が詰まった新線は果たしてどんな新線なのか?今回4月3〜5日に関西を訪問した折に 交通総合フォーラム でお馴染みの和寒様・とも様・KAZ様と一緒に、開業してから未だ日の浅い阪神なんば線を訪問して見ました。果たしてどんな新線なのでしょうか?

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 「参考サイト」 ・ 阪神電気鉄道HP  ・ 近畿日本鉄道HP  ・ 阪神なんば線HP (阪神HP内) ・ 近鉄 阪神直通運転 (近鉄HP内) ・ 西大阪高速鉄道HP
         ・ 阪神なんば線 (wikipedia) ・ まみあっく阪神  ・ 阪神電気鉄道 阪神なんば線 (未来鉄道データーベース)
 「参考文献」  ・鉄道ダイヤ情報2009年4月号 (特集:3月20日阪神なんば線開業!)

 ※本記事は「 TAKAの交通論の部屋 」「 交通総合フォーラム 」のシェアコンテンツとさせて頂きます。

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 ☆ 阪神なんば線現地訪問 (4月3日〜5日 現地訪問)

 今回阪神なんば線に関しては、「4月3日夕方に大阪難波〜ドーム前間試乗とドーム前駅見学」、その後「同日夜ドーム前⇒九条⇒尼崎間の試乗・見学」と、「4月5日朝尼崎⇒難波と難波⇒ドーム前⇒尼崎(その後阪神へ直通)」と3回に分けて試乗しました。
 先ずは一番最初の4月3日夕方の「大阪難波〜ドーム前間試乗とドーム前駅見学」です。この時は丁度とも様・KAZ様と一緒に三重県内から近鉄特急で大阪に向かい、特急を布施で下車して直通電車に乗換えてドーム前に向かいました。時間は丁度17時過ぎでした。布施から乗ってきた車両は近鉄車でしたが、奈良方面に向かって走って行った直通車は阪神車が連続して居ました。多分「ラッシュの最盛期に19mの阪神車を入れない為」にこの様なダイヤを組んで居るのでしょう。この当りにも直通の苦労が垣間見れます。

4月3日「阪神タイガース開幕戦」直前の阪神なんば線ドーム前駅
  
左:名前通り大阪ドームが目前に見える!!  右:開幕日の阪神戦だけ有り物販も気合いが入る?
  
左:改札口へ向かうエスカレーターの場所も吹抜け  右:吹き抜けに大面の壁のタイルが特徴的なホーム

 さて、ドーム前駅に降りたら先ず最初に地上を見る事にします。ドーム前駅は南側地上出入口に ガラスと金属パネルを使い幾何学的模様に仕上げて 有り、 京セラドーム大阪 の金属的な外観と違和感無く上手く合って居るデザインです。
 丁度この日は4月3日で大阪ドームでの「阪神開幕戦」が行われた日でした。その為改札口外の乗換コンコースでは売店が拡張され阪神のハッピを着た人が風船やら色々な物を売って居ました。でも日数限定でも波動の多客時が有る駅ですから、券売所などの臨時施設は用意して居るので、売店なども臨時施設を作っても良いのでは?と感じました。
 しかし改札内に入りワンフロア降りるとかなり贅沢に空間を使って有ります。深さ30m・地下5階のドーム前駅ですが、開削工法で作って居るためその空間を上手く使い地下4階には 多客用のサブコンコース を設けて居ますし、サブコンコース・ホームにも大きな吹き抜けを造り、縦の空間の広がりを使い地下駅の圧迫感を上手く無くしています。
 でも、壁には各所にコストを掛けて レンガを使い見栄えがする造り をして居るのと同時に、吹き抜けを多用して(細かく床スラブを造るより)見栄えがするコスト削減をするなど、「良く考えて作って居るな」とは感じました。しかし色々な空間が余って居る状況から考えると、特に阪神タイガースも絡む拠点駅になるドーム前駅では京阪なにわ橋駅の「 アートエリアB1 」の様な「チョット文化的施設」を作っても良かったのかな?とは思いました。

 「 大正通のバス交通 」見学を挟んでドーム前駅を2回見た後は、阪神なんば線に一駅乗り隣の駅の九条に移動しました。ドーム前〜九条間は駅の端で見ると僅か300mしか離れて居ません。どちらも地下鉄乗換駅なので造らざる得ないにしても、この短い駅間では電車もスピードが出ません。
 九条駅では、先ず最初にドーム前駅よりの東口のNTTビル地下1階に有る「 約40年ぶりに日の目を見た九条駅東口出入口 」を見て、表題に掲げる40年前に造られたNTTビルの出入口のタイルとその説明の説明盤の写真を撮りました。

4月3日中間駅の一つとして九条駅に途中下車して見る
  
左:交差点に面した大きな駅舎だが・・・。上層には何が有るのか? @九条駅西口駅舎  右:壁・柱に金属感を前面に出して居る九条駅ホーム

 その後、地上を通り地下鉄中央線との連絡口を兼ねた西口へ向かいます。西口では高架上を阪神高速と地下鉄中央線が走り、地下に阪神なんば線が走る逆転の状況になっています。その為も有り地下鉄中央線⇔阪神なんば線の乗換は少々不便な状況になっています。しかし九条には 大きな商店街 が有るので、両線を直結する乗換通路を造るより一度地上に出る経路の方が、商店街に乗換で途中下車する人を引きこむ為には良いのかも知れません。
 九条の交差点の角には、阪神電車の大きな駅舎が立って居ます。この駅舎は町工場の多い九条の立地を意識して「鉄とガラスのシリンダー」を意識して造られ夜になるとガラス部が光り幻想的な風景を醸し出しますが、1階が駅への出入口・地下1階は改札になって居ますが2階・3階は「 氷蓄熱方式冷房の氷を蓄えるタンク 」が入って居ます。普通ならこの立地を考えて商業施設を入れる事を考えますが、傍から見ると何に使って居るのか?分かりません。もしかしたら商業施設に使わなかったのには「商店街との複雑な関係」が有るのかも知れません。此処にも阪神なんば線を取り囲む「難しい状況」が見え隠れして居ると感じるのですが・・・。

 九条の駅周辺を一通り見て廻った後、再び阪神なんば線に乗り今度は阪神本線との接続駅で有る尼崎を目指します。この日は金曜日でしたが、乗車率は阪神なんば線内では座席が埋まる程度のそこそこの乗車率で西九条からは立ち客が出る程度の乗車率になります。全体から見れば「イマイチの乗車率」という事になりますが、元々19m4両編成で運転されていた路線が19mor20mで6or10両での運転に代わり輸送力が飛躍的に増強されて居ます。
 阪神なんば線の西九条〜大阪難波間が新規開業路線で、しかも元々の尼崎〜西九条間もロ-カルな支線で有り、しかも未だ開業から半月程度の時間しか経過して居ないと考えれば、良く利用されて居ると言えるかもしれません。

4月3日噂の「阪神尼崎での人海戦術分割併合作業」を見る
  
左・右:指導者やら沢山の職員を動員しての阪神尼崎での分割併合風景

 尼崎での注目は分割併合作業です。阪神なんば線内は大阪難波・桜川・ドーム前・九条・西九条・尼崎が10両編成停車可能ですが、其処から先の阪神本線は「近鉄車20m6両編成対応」までしか延伸できて居ないので、三宮方面に向かう快速急行は尼崎で4両切りはなさなければなりません。
 尼崎での切り離しは阪神の担当ですが切り離しは阪神車だけで無く近鉄車も担当しなければならないので、開業前から色々と訓練はしていたようですが、開業初日から「大苦戦」と言う話は聞こえて来て居り、YouTubeでも「 阪神なんば線 尼崎駅における快速急行の併結作業 」と言う映像が流れて居るほどです。
 さてさて、開業半月後の状況はと思い見に行きましたが、未だに人海戦術で4〜5人の駅員が集まって一つ一つ確認しながら解結・連結作業を行って居ます。時間的には「定時運転の範囲内」に収まって居ますが、普通の慣れた解結・連結風景を見て居る人にとっては「未だ慣れて居ないな〜」というのが、十二分に感じられる状況でした。
 まあ今まで直通運転をして居ない会社同士での直通ですから、(利用者に迷惑を掛ける混乱はNGだが)多少の混乱は発生するのは有る意味居た仕方ないと思います。良く直通運転による混乱は「東京メトロ副都心線開業時の混乱」が挙げられますが、今回は流石に学習したようでかなり念入りに訓練をしていた様です。それでもやはり一番負荷の掛かりそうな尼崎での解結・併結作業で混乱は発生したようです。でも此処まで原始的かつ人海戦術で行って居る以上、短期的には後は慣れしか有りません。慣れてくればもう少し洗練されるでしょうからこの風景何時まで見れるのかな?とは見て改めて感じました。

 さて、3日の日には夕方和寒様・とも様・KAZ様と見て廻りましたが、偶々5日の朝は和寒様との待ち合わせが「大阪難波駅」で其処から阪神なんば線快速急行で三宮に向かう事になって居たので、チョイと捻って宿の東梅田からターミナルの梅田に出て、梅田から阪神電車に乗り尼崎経由でもう一度阪神なんば線を見ながら大阪難波へ向かう事にしました。
 大阪梅田から阪神本線特急に乗れば一つ目の停車駅が尼崎です。尼崎では大物〜尼崎間で阪神本線下りを立体交差化させて、外側2線で本線は緩急結合が出来、その内側1線に難波線の線路を引きこみホームを造り三宮方に難波線使用がメインの引上線を造るなど「 大改良 」がされて居ます。

4月5日阪神なんば線を再度見ながら乗り通す
  
左:3面5線⇒4面6線へ変更の上立体交差も加えられた尼崎駅  右:大阪環状線を乗り越えてホームが延伸された西九条駅
  
左:白い壁に黒い柱 金属感とモノトーンが特調の九条駅  右:吹抜け・真弓監督ポスター・レンガの壁が特徴的なドーム前駅
  
左:ホームだけ見ると平凡な感じの桜川駅  右:既存と変わらない大阪難波駅で近鉄特急と並ぶ阪神車

 尼崎からは近鉄車の快速急行に乗り、一気に西九条を目指します。今までの阪神西大阪線区間では、各駅とも19m4両対応⇒20m6両対応にホーム延伸が行われて居ます。又西九条は今まで大阪環状線を跨ぐレベルで高架駅が造られて居ましたが、近鉄車に合わせてホーム延伸が行われていて新設ホームが大阪環状線を越えて九条側に伸びて居ます。
 西九条〜九条間で安治川を安治川橋梁で越えた後、40‰の急勾配で地下に入り3日に見た九条・ドーム前の駅になります。この両駅はとりあえずホームで写真だけ撮り、今まで降りた事の無い桜川の駅を目指しました。
 しかし桜川も「時間不足」でホームから外に出る事が出来ずホームだけの観察となりました。桜川は桜川〜ドーム前間に近鉄線専用の引上線が2本用意されて居るため(難波線開業で大阪難波駅の引き上げ線3本の内2本を本線に転用した為その代替措置)、桜川〜大阪難波間は阪神の営業区間で有りながら近鉄の乗務員で運行され信号システムの切り換えも桜川で行われ、近鉄の特急車などの阪神なんば線では普段では見れない車両も桜川駅では「回送」として見る事が出来ます。
 桜川の次はもう近鉄との乗換駅で有る大阪難波駅です。大阪難波駅は1970年の近鉄難波線開業時に出来た駅で、今回も駅の内部に関しては基本的に変更は加わって居ません。此処まで来ると近鉄特急は止まって居るし本当に「近鉄の駅」と言う感じですが、其処に普通に阪神車が止まって居ると未だ違和感を感じます。阪神は此処を目指すのに63年の年数が掛かりました。そう考えると本当に「路線を1本引く事の大変さ」と言う物を改めて感じさせられました。


 ☆ 果たして「阪神なんば線」は狙い通りの「ブレークスルーの効果」を発揮出来るのか?

 さてその様に、1946年に阪神と近鉄の間で最初に免許が出されてから足掛け63年間掛けて建設された路線ですが、阪神なんば線は大阪市内では始めての「(大手)私鉄同士の直通運転」であり、今までは大阪の「キタ」である梅田地区との結びつきが強かった神戸市に「大阪ミナミへのアクセスルート」を構築すると共に、近鉄線と直通運転する事で観光名所の多い奈良と観光客に人気の有る神戸を結ぶ「新ルート」として注目を集めて居ます。
 此の頃の新線・新ルート建設のトレンドの一つに「ブレークスルー」が有ります。日本の大都市圏では既に鉄道網はかなり稠密に引かれて居る為に「空白区間を埋める為の新線」と言う役割は既に少なくなってきており、近年では「直通運転で利便性を向上させる為の新線・インフラ改善」という形が多くなってきて居ます。そのトレンドは特に東京で強く、湘南新宿ライン・東京メトロ副都心線や現在建設計画中の相鉄・JR・東急連絡線がその代表格と言えます。
 大阪の場合色々な要因が有るにしても、大阪市内には「モンロー主義に凝り固まった大阪市交通局」と言う絶壁が有った為地下鉄との相互直通が進まず、1970年代の地下鉄拡張期に京阪・近鉄・阪神は「各々都心に乗り入れる」形態で活路を見出した為ブレークスルーの下地が作られず、大阪では今まで組織が異なる事業者との直通運転が阪急(グループ会社を含む)と大阪市営地下鉄の直通以外殆ど直通運転が行われない関係となって居ました。その壁を63年の時間を掛けてやっと打破したのが阪神なんば線と言えます。

  
左:ポスターに「真弓新監督」と阪神タイガースを前面に出して熱心にアピール  右:大規模な直通運転で阪神線内でも近鉄車を見るのが普通に @尼崎

 今回の阪神なんば線開業により、神戸地区で「神戸高速鉄道」を経由して既に直通運転を行っていた阪神と山陽の直通運転を合わせて近鉄・阪神・山陽が一本の線路で結ばれる事になり、(線路的には)名古屋〜大阪〜神戸〜姫路間が1本で結ばれる事になりました。
 実際この状況について、近鉄は「チャンスだ」と思って居る様で、既に 阪神なんば線経由で伊勢志摩〜姫路間の直通運転 に関して、近鉄が臨時運転で有る物の特急運転を行う計画を持つなど、壁をブレークスルーして線路が繋がった効果を生かそうとする新たな動きが出てきました。

 しかし本来はその効果が一番大きいのは阪神で有る事は言うまでも有りません。
 実際開業から未だ日の浅い現在においては、乗車して見た感じでは阪神なんば線の直通列車の利用客の大部分は大阪難波で入れ替わり、大阪難波から阪神間・神戸方面に向かう人達が阪神なんば線の利用客の太宗を占める状況で、阪神なんば線は「3路線が競合する阪神間輸送で新しいブルーウォーターの市場を造り出す」と言う非常に意味の有る路線と言えます。
 又今まで直通輸送の無い神戸・大阪ミナミ・奈良間の輸送を盛り上げる為に、阪神電鉄は「自分の持つメジャーブランド」である「阪神タイガース」を前面に出して、特に開業前の今年は広告やポスターの前面に、イケメンで有名の阪神タイガース真弓新監督を(私自身は「宣伝の為に岡田からイケメンの真弓に監督を替えたのか?」と穿って見たくなる程) 阪神なんば線開業の広告の前面に出して アピールしています。
 実際私が最初に阪神なんば線を見に行った4月3日は阪神なんば線沿線の大阪ドームでの「阪神開幕戦」が行われた日でした。阪神タイガースは春・夏の高校野球シーズンに甲子園球場が使えない為過去には「死のロード」に出て居ましたが、現在は甲子園が使えない時期は大阪ドームを使って居ます。そういう意味では阪神タイガースも試合構成的に助かって居る側面が有りますし、阪神沿線に「第二の球場」を持てた事は「阪神電鉄の経営の中で大きなウエイトを持つ球団とその関連の収益」と言う意味でも大きな存在が有るといえます。
 しかし阪神の企業戦略的に見ると、阪神なんば線開業に対しての、大阪ドームでのビジネス展開に関しては「少々物足りない」感じはします。
 阪神タイガースのサブ本拠地と言える大阪ドームは平成18年にネーミングライツで「京セラ」名を冠して居ますが、所有に関しても大阪市が経営に失敗し平成17年に会社更正法を申請し平成18年にはオリックスが入手して現在ではオリックス傘下で経営が進んで居ます。確かに大阪ドームではオリックス主催試合の方が多いですが、阪神のウエイトも無視出来ないレベルで有り甲子園がビジネスとして総合的に収益を上げて居る事からも、阪神なんば線を奇禍として大阪ドームを「第二の甲子園」にする事も可能で有ったと思います。
 まあ実際物大として、この時期には既に阪神なんば線の建設が進んでいた時期です。まあ大阪ドーム問題が有った時は阪神に「 村上ファンド 」問題が有り手を出す余力は無かったのでしょうが、今にして思えば「何かの形ででも関与しておけば」と感じる物です。その点では京阪中之島線開業と同時にオフィスビル用土地を中之島で仕込み将来的に総合ビジネスを考えて居る京阪の方が「一枚上手かな」と感じました。

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 ☆ あとがきに代えて −「阪神なんば線」は阪神に取って何故「怨念」の塊なのか?−

 この様に「神戸・大阪ミナミ・奈良」の三都市を結ぶ直通路線として完成した阪神なんば線ですが、基本的には「関西圏広域で影響を広げる」と言う意味で、上手く使えば効果は大きい路線で有りその持つポテンシャルは大きいと、私自身は感じて居ます。
 そういう意味では「京阪線の大阪都心部別線線増」であり、中之島地区の再開発には寄与しても、路線のネットワーク性も面的な広がりも乏しい京阪中之島新線と比べると、鉄道会社にもたらされる効果も、全体的に見た効果も高い物が有るとは感じました。

 しかしながらその様に「可能性の高い新線」で有りながら、肝心の運営者で有る阪神電鉄の「運営に対する熱意」が少し低い様に感じます。
 まあ第一の問題として、現在阪神電鉄自体が「 村上ファンドの買収攻撃 」を受けて、結局ホワイトナイトの阪急電鉄に救われた物の結果として阪急電鉄の買収されて100%子会社になってしまい、今や阪神電鉄傘下の事業の一部が阪急の事業に統合される(と言うか飲み込まれつつ有る)状況に有り、加えて阪神電鉄株のTOBの資金負担の後遺症に苦しんで居ると噂される阪急阪神HDの資金的事情も有り、資金的・モチベーション的に積極的施策に打って出れない事情も有るのだと推察します。
 けれども、問題はそれだけでは無いのかな?と言う感じが私の根底に有ります。その阪神が「イマイチ熱意が低い」理由ですが、その要因の一つに今回表題で取り上げた、阪神電鉄が阪神なんば線建設に費やした63年間に溜まった「怨念」の問題が有るのでは無いでしょうか?

  
左:沿線での反対の強さを示す「絶壁」と言える防音壁  右:トンネルの出入口には「紹復大業」の扁額が掲げられて居るが、阪神は本当にそう思って居るのか?

 有る意味阪神なんば線は、単純に考えて「神戸と大阪ミナミを結ぶ新線」で「しかも神戸・大阪・奈良を直結出来る」可能性を秘めた路線となれば、普通は積極的に歓迎され建設に対しても積極的に支援されてしかるべき路線です。
 しかしながら、1946年に阪神・近鉄が(共同の会社を作って)千鳥町〜難波〜鶴橋間の免許申請時には、大阪市交通局が1948年に完全な競合路線として「千日前線」を申請するなど(意図的な証拠は無いにしても)「実質的な妨害工作」を行い、実際1958年に阪神が千鳥橋〜難波間・近鉄が上本町〜難波間の建設を、大阪市営地下鉄線日前線と同時に、都市交通審議会で公式に認められるまで10年の歳月が経過して居ます。
 加えて、1967年に西大阪線第二期工事として西九条〜九条間の建設には着手する物の、九条地区での反対運動が原因の一つとなり着工僅か1ヶ月で工事中断に追い込まれます。この九条地区での反対運動は阪神なんば線の建設時にも再燃し( 敗訴 はして居る物の)建設差し止めの訴訟まで起きて居ます。
 まあ此処まで拗れれば、阪神とてやる気がイマイチ上がらないのは仕方ないのかも知れません。(あくまで憶測ですが)気持ち的には「免許は持って居るし公的セクターが好条件で金を出してくれて、普通にやれば失敗はしないだろうから造るか・・・」位の気持ちで新線建設に乗りだしたのかも知れません。
 しかし心の奥底では「怨念」を持って居るからこそ、冒頭に載せた写真の様な「嫌味か?」と取れる説明文をわざわざ造ったりするのでしょう。免許申請から63年、此れだけ苦しんで造られる新線も珍しいかもしれません。
 けれども新線が出来た以上、過去の「怨念」を引きずっていても始まりません。正しく阪神が自ら掲げた「紹復大業(前の時代からの偉大な事業を継承して、世の中を安定させよう)」の気持ちでは有りませんが、63年前からの事業を一番上手い形で継承して、今後の阪神・近鉄の発展だけで無く過去に怨念を抱いた「大阪市・九条地区住民」の発展の為に努力する事が、廻り回って阪神にメリットとして帰ってくる事でも有るのを認識して「怨念は流し去る事も大切な時が有る」気持ちを持つ事が、阪神電鉄と阪神なんば線の発展の為には必要なのでは?と改めて考えさせられました。



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