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                 Nゲージの世界へようこそ


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朝ドラ あまちゃん で一躍有名になった 三陸鉄道 2013/05/06

4月から始まったNHKの朝ドラ『あまちゃん』は、好評で視聴率も高くなっているそうですね。舞台が東北でやや地域おこしを感じるドラマですが、前回放送の「純と愛」のように暗いドラマでは無く(失礼)、明るいユーモアのある筋書きが受けている様です。このドラマで地元の活性化も出来たらいいですね。とそれは措いといて私が気に入っているのはオープニングや劇中で鉄道車両がでてくるシーンです。そう第三セクターの三陸鉄道36形車輌です。(使われているのは36-100形と200形のようです。)三陸鉄道は1984年に全国で初めての第三セクター鉄道として誕生した鉄道会社で、元々は国鉄の盛線、宮古線、久慈線の引き継ぎとこれらを繋ぐ未開業区間を開通させて、北リアス線(71.0km)と南リアス線(36.6km)の2つの路線をもっています。当初10年間は黒字で国鉄の第三セクターへの転換は成功したかの様に見えましたが、1994年に赤字転落して合理化と観光客誘致を狙って経営改善を図ろうとしました。しかしながら、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による被害で車輌(3輌)を含めた路線や駅舎の損壊がありました。現在、2014年までに全線開通を目指しているそうです。
さて写真の模型ですが、かなり昔に購入したもので前照灯と尾灯が点灯しません。(さすがに室内灯は点灯可ですが)実は36-100形(T車)と36-200形(M車)の非冷房タイプの2輌セット(製品番号92103)だったのですが、T車の方はどっかに行って今はM車しかありません。(><)手元にある1988年のカタログに載っていますから多分その頃に買ったのかも....現在の鉄コレ用モーターとは違いかなりうるさい音ですが、今でもちゃんと走行します。
一時生産休止(1990年代初め)でしたが、何時の間にか冷房化後の2輌セット(製品番号92136・92137・92143)が発売されています。ちなみに36って「さんりく」からつけたそうです。さて、朝ドラで「三鉄」を取り上げる事を知ってかどうか富井さんのHPで「2013.1.18(4/4更新)三陸鉄道 36形(キット、ずっと号)」の5月発売予定が載ってました。ついでに標準色(製品番号92136)のみが再生産されるそうです。(どうせなら前照灯と尾灯だけでも点灯させて欲しいのですが、ハイグレートととは申しません)


新しいあきた新幹線のこまち が入線しました。 2013/04/20

KATOさんは、E6系のデビューと同時にNゲージの発売を行いました。本来はあまり新幹線に興味は無いのですが、(新幹線の縮尺が1/150では無いので他の車輌と合わない事が理由です。本当は欲しいのですが...ただし在来線を運行する「こまち」だけは縮尺が合うので購入しています。)たまたま行ったいきつけの模型屋さんから「スーパーこまち」が入荷しましたよ。要りませんか?」と悪魔の囁きが....と思わず「基本+増設」買ってしまいました。(^^;)KATOさんは相変わらず繊細で表現豊かな作りで実物に近いスタイルで製品化しています。もちろん走行はフライホイール動力でスムーズな動きで、新幹線車輌の割には最小通過曲線R282のレールもOKです。
さて、在来線を走る新幹線は山形と秋田の2つの新幹線があります。どちらも以前はE3系の車輌を使用していました。(山形新幹線では、E3系使用前の車輌は400系でした。)そしてこの3月から秋田新幹線に新しい車輌が投入されました。車輌外観はE5系「はやぶさ」とそっくりです。色は「はやぶさ」の常盤グリーン/飛雲ホワイト から、車体上部にピンク系の赤(茜色)を配した派手な車体カラーとなってE3系のようなシックな落ち着いた感じではありません。見ての通り、長さ約13mのロングノーズ(E3系の約2倍)となっていて在来線のカーブ通過は大丈夫かなと思っていたら車体傾斜装置(なんとKATO製模型にもこの装置がついています。)を装着して対応しているそうです。他にも乗り心地を浴する為に車体動揺防止制御装置が取り付けられています。当面は300㎞/h(東北新幹線内)および130㎞/h(在来線内)で運行するそうですが、平成25年度末には320㎞/h(東北新幹線内)を予定しているそうです。


小田急 ロマンスカー が入線しました。 2013/03/26

小田急と言えば、やはりロマンスカーですね。ロマンスカーと呼ばれる車輌は3000形SE・3100形NSE・7000形LSE・10000形HiSE・20000形RSE・50000形VSE・60000形MSEを指すそうで、SEとは、"Super Express car"という意味だそうです。("Super Electric car"と言う意味もあるようで)全て鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞しています。(30000形EXEはSEではないので受賞していません 笑)また、特記すべきことは第1回目の栄えある受賞は3000形SEでした。(と言うより、この車輌を称える為にブルーリボン賞が出来たとか....噂)
私が思い浮かぶ私鉄特急電車といえば、東武のDC・名鉄パノラマカー・近鉄ビスタカー・南海こうや号そして小田急ロマンスカーですね。昔の私鉄特急にはそれぞれ特徴があって私達に旅への夢を与えてくれました。小田急ロマンスカーと言えば連接構造や前面展望席が特徴ですが、20000形RSE車はJR東海へ乗り入れを行う都合上、JR東海の371系車輌と仕様を揃える為に連接構造や前面展望席をやめて、そのかわり2階建て車輌を採用しています。また60000形MSEは東京メトロ(旧営団地下鉄)千代田線に乗り入れる為、他のロマンスカーのような特徴が無く分割・併合に対応した車輌ですが、どちらかと言えば通勤特急的な感じがします。現在営業運転している車輌は7000形LSE・30000形EXE・50000形VSE・60000形MSEで、すでに3000形SE・3100形NSE・10000形HiSE・20000形RSEは、営業運転から外れています。


MicroAceのキハ45系JR四国色』が入線しました。2013/03/07

二ヶ月ぶりの更新となってしまいました。この間にキハ72系や小田急50000系VSE、都電6000系など続々と入線しています。24日にはJR四国色のキハ45が入線しました。最近のアリさんはJR四国関連の発売が多く、昨年の秋にキハ47系JR四国色をリリースしたのに引き続き今度はキハ45系となりました。これでアリさんからリリースされたJR四国の車輌は、キハ32・キハ45・キハ47・キハ185・2000系・8000系・DF50・DF91(旧DF40)などかなり充実してきました。出来れば次は1000系(1200系)とか1500系をリリースしてして頂ければ(^^;)
さてさて3月末には鉄コレ17弾の発売予定されています。地方鉄道シリーズの小型電車シリーズの第3弾として14〜15m級小型車両です。お目当ては京阪の大津線350型や600型(2次車)そして高松琴平電気鉄道1000形・3000形のレトロ電車です。実はプラッツの京阪600形「けいおん!」ラッピング電車(613-614編成3次車)を製作中であったのでちょうど欲しい車輌でした。ついでにプラッツのキットはディスプレイなので下回りのモーター車が必要だったので助かりました。ついでに第17弾に入っている箱根登山鉄道と大津線350型は1BOXに1輌しか入っていません。と言うことは2BOX必要かと......最近高くなってきた鉄コレですが、最初の頃は1輌420円、今回は840円で2倍の価格になっています。高くなったものですね。


『気動車の動力機関』

最近、気が付いた事のひとつにNゲージの床下機器って結構いい加減になっていると思いませんか?車体は当然ですが台車やパンタなどは皆さん結構気にしているのに、床下にある機器って車体の奥にチラット見えているだけなので床下は結構他車種の車輌用を流用して使用とか言う事がよくあります。そこで今回は気動車の動力機関って一体どういった種類があるのかチョットだけ調べてみました。国鉄最初の気動車と思われるのが、昭和4年頃に池貝製作所製のガソリン動力式(48PS/1500rpm)のキハニ5000形あたりでしょうか?戦前の国鉄標準形としては、大きく2つの系統に分けられます。昭和8年新製されたキハ36900形を改番したガソリン気動車キハ41000形(後のキハ04形)と昭和10年に新製されたガソリン気動車キハ42000形(後のキハ07形)に分類されます。しかしながら動力機関は戦前からのGMH17型ガソリン機関しかなくディーゼル機関については戦後に新製されたDMH17型ディーゼル機関を待たなければなりませんでした。戦後はキハ10系に始まり、昭和30年代から一般型用キハ20系・準急用キハ55系・急行用キハ58系・特急用キハ80系へと発展をして行きます。 ところで、ディーゼル機関の名称となる『DML30HSE(例)』とは、最初の「DM」は英語のディーゼルエンジンを表す「Diesel Moter」の略です。三番目の「L」はAから順に1、2、3・・・12番目のシリンダ数を意味してこの場合12気筒となります。次の数字2桁はシリンダ容量を表しこの場合「30」となる為、30リットルとなります。ここまでが基本形式を表現していますが、以下の「H」は、横型エンジン(縦型エンジンにはHの表示はしません)を表し、続く「S」はSupercharger(過給機)の略です。形式表示の最後にくるアルファベットの「E」は、同形式機関のAからアルファベット順に5番目の改良型を表しています。
写真は、「キハ81 DMH17B(160PS/1,500rpm)×2」です。


『日本縦断山岳線区を駆抜けるアルピニスト特急』

国鉄からJRへ分割民営された翌年の昭和63年末にJR東海は、自社内の他の線区に先駆けて英国カミンズ社製C-DMF14HZ形ハイパワーエンジンを2基搭載した新製特急型気動車の先行試作を行い、年が明けた平成元年2月18日からキハ85系『ワイドビューひだ』を営業投入して一躍飛騨路路線は脚光を浴び出しました。新車登場当時の『ひだ』は、新製キハ85系が1往復で従来から使用されていたキハ82系が4往復の5往復でした。当然沿線からの新型DC特急での評判は良く「早くすべてのひだをワイドビューに」との要望が高まって行きました。こうした状況の中で、JR東海はキハ85系の増備を進めると共に高山本線の軌道改良にも取組みを進めスピードアップに向けた通過駅の分岐器(ポイント)の改善を精力的に努めました。(高山本線は上り勾配が25‰という単線非電化区間です。)そして準備万端となった平成2年3月10日のダイヤ大改正を迎え、キハ82系特急車輌および急行『のりくら』の廃止を行い5往復から一気に8往復へと増発され、すべての特急がキハ85系『ワイドビューひだ』に置換えられました。それまで名古屋〜高山間を2時間48分かかっていたのが32分短縮し2時間16分で走破するようになりました。さらに昭和60年3月14日のダイヤ改正以来、すべての『ひだ』が高山止まりになっていた従来の固定編成キハ82系『ひだ』を非貫通型と貫通型の2形式の先頭車輌を持ち分割運用が可能なキハ85系(登場当時は4輌+3輌の7輌編成)に置換える事により、高山駅で分割した3輌編成のみを富山まで延長できるようになりました。続いて平成7年夏の臨時列車では『ワイドビューひだ』の大阪乗入れが実現すると平成11年12月4日の改正では、大阪発の臨時便が定期化すると共に高山線内での『ひだ』運用は10往復となりました。しかしながら平成12年10月7日に東海北陸自動車道が飛騨清見インターの開業を初めると高速バスによる名古屋〜高山の旅客輸送に厳しい戦いを続けています。


『京阪神を駆抜けたJRの韋駄天たち』

戦前の昭和11年に当時世界的流行した流線型を取り入れた京阪神間急行運転用52系電車は、『流電』と呼ばれ当時ぶどう色(茶色)一色だった車体カラーにクリームとマルーンのツートンカラーという当時としては斬新な塗装でした。戦後になり昭和25年8月に当時の最新型車輌である80系電車を投入し、車体塗装も湘南色からマルーンとクリームのツートンカラーに塗り替えて『急電』と呼ばれました。昭和45年秋には113系を使った新快速が登場しました。所要時間は大阪−京都間ノンストップで32分でした。最初は「特別快速」という種別になる予定でしたが、「中央線の特別快速とは性格が違う」ということで、運転開始直前に「新快速」に変更されました。昭和47年の新幹線岡山開業時に『ブルーライナー』と呼ばれる153系になりました。『シティーライナー』の愛称で親しまれた新快速に117系が投入されるのは、昭和55年1月からでした。JR化後の平成4年にはアーバンネットワークとして『アメニティーライナー』と呼ばれた221系が投入され最高速度が120㎞/h運転になり、さらに平成7年より223系1000番代が投入され在来線特急車輌と同じ最高速度の130㎞/hとなり名実共に関西の俊足ライナーとして活躍しています。さらに、2010年12月1日から新快速用の車両としては6代目となる225系が投入されています。


『20系寝台列車』

Nゲージを最初に買ったのは、昭和53年の春でした。たしか『EF65-500』と『20系の寝台車』の単品売りでした。おそらくこの頃のNゲージというとまず殆どの方は、ここからスタートされたのではないかと思います。昭和56年当時の20系寝台客車は、まだ寝台急行列車の『銀河』(東京〜大阪)に使用されており、阪急の上牧駅(山崎と高槻の間でここは緩やかなカーブがあり住宅も無く田圃が広がる8ミリの撮影ポイントでした。)まで行って朝日に照らし出される20系の美しさに感動したものです。(牽引機は残念ながら前年まで牽引していたEF58ではなくEF65-1000に変わっていました。)昭和30年代、博多に住んでいた私は、高山への里帰りには20系寝台車の『みずほ』(当時岐阜駅には唯一『みずほ』だけが停車していた為です。)にはよく乗ったので懐かしさと愛着があり、3段式のベットの真ん中に寝ていた私は、興奮して眠れなかった事を思い出します。朝になると白い制服を着た車掌さん?がベットをたたみに来てその間じい〜っと通路で眺めいました。他の客車と違いクロスコンパーメントとなった長く広い座席に座って、子供心にこれが列車の旅だと思ったものです。


『EH10』

Nゲージマニア待望のKATOの『EH10』が新しく発売されました。当鉄道には以前より1両在籍いており、新旧2両となりました。私が最後に実機をみたのは、快速電車の車窓中からですが昭和56年に向日町運転所でした。さて、このKATOニュースは昭和56年に発行されたものです。EH10が表紙に描かれています。この頃に初めて製品化され、一度再生産はされただけなので流通している製品が少なくマニアの間では、幻のNゲージ車輌の1つとなっていました。それから22年後、二代目のEH10が発売されました。初代の製品は、写真でわかるようにスカートが車体では無く台車にくっついた形になっています。尚、実機は大阪市東淀川区の東淡路南公園に1輌のみ保存されています。





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