◆ #06 Semarang~Jakarta
KRISMONのジャワを行く(私の好きなインドネシア) |
3月9日(火)
◆ドームの教会~中部ジャワ州博物館 ジャカルタへ戻るフライトは2時過ぎなので、午前中は、車を調達し市内をもう少し見物しておくことにした。
ホテルをチェックアウト後、まず、4年前に来た時に外観しか見ることができなかったドームの教会 (Gereja Blenduk, Jl. Letjen Suprapto)へ向かう。今回は中へ入れてもらい、1753年の建立時から据え付けられているというパイプ・オルガンを拝見する。残念ながら、現在は機能していないとのこと。Restore するのは金が掛かるんでしょうね~。
★オルガンの写真をスマランのページに掲載しています。
[
スマラン
]-[
Greja Blendukのオルガン
]
中部ジャワ州博物館(Ronggowarsito Museum, Jl.Abdulrahman Saleh)も2回目の見学。前回(4年前) は「写真撮影ダメ」だったのだが、なぜか今回は「ok」(^^;。前日のカルティニ博物館同様、平日の午前中のせいか、見学者はほとんどいない。暇だったのだろうか、受付の女の子が全行程案内に付いてくれました。ここの博物館はやはりいろいろと面白いものが沢山陳列されている。遺跡からの出土品、ワヤン、現代史資料、etc. 片っ端から写真に撮る。そうそう、ミニアチュアモデルの中に1945年10月14~18日のスマラン事件(five days battle
*1
)の様子をあらわしたものがありました。
帰り際、案内に付いてくれた女の子にかぶっていた帽子 (赤いキャップ) をお礼に上げた。
★博物館の写真をスマランのページに掲載しています。
[
スマラン
]-[
中部ジャワ州博物館
]
◆昼食はナシ・グデ スマラン初日のナシ・グデが今一つだったので、どうしても諦めきれず、今度は、Jl.Mataram のお店へ行ったのですが、なんとこちらも内装が完全に奇麗になってしまっており、エアコンがギンギンに効いておりました(@_@)。
しかも、4年前はお客さんが沢山いて、席が空くのを待ったのですが、今回は丁度お昼時(12:00過ぎ)というのにガラガラ。(私の他にお客は2組)
お値段 (税込み)
・ナシ・グデ(ゆで卵付き) Rp. 5,280
・アヤム・ゴレン Rp. 6,050
・お茶 Rp. 770
計 Rp.12,100
96年~97年のまだ景気の良かった時期にリノベーションしたが、現在は客足が遠のいてしまった、ということでしょうか。
95年の5月に同じお店で食べた「ナシ・グデ(ゆで卵付き)」が、Rp.2,145 でしたから、2倍以上の値上がりですね。
その間、収入が2倍になったわけではないでしょうから、食べに来なくなるのも当然のような気がします。
◆ジャカルタへ戻る 明日(10 日) バンドゥンへ持って行くお土産(Bandeng Presto:魚の薫製とスマラン名物のお菓子Wingko Babat) を買って、空港へ。フライトはほぼ予定通りに飛び立ち午後3時にはジャカルタへ到着。今回もアライバルロビーでBluebird Taksiを頼み、ホテルへ戻る。(今回もタクシー代Rp.70,000)
★ジャカルタへの復路の機内で録音したアナウンスの音声をフォトギャラリーのページに掲載しています。
[
フォトギャラリー
]-[
マンダラ航空機内アナウンス
]
◆コタ~ブロックMへ ホテル(Le Margot )で一服後、列車の切符を受け取るのと電話を掛ける為にSkylineまで歩いて出る。旅行代理店の Ibu T の話では、復路(Bandung-Gambir)はバンドゥンで購入してくれとのこと。(切符は列車の出発駅でしか発券できない、と話していた) 駅で自分で切符を買うのはこれまでやったことがないので少々不安だったが、他に方法もないので、往路分切符(列車:アルゴゲデ)の代金を支払い、ビルに隣接するWartelへ。
Wartelであちこちに電話を掛けているうち、タイミングよく、在住のSさんとコンタクトすることができ、Wartelまで来てもらうことにした。
さて、そろそろ晩飯の時間なのである。
Sさんと相談し、コタのJl.Manga Besarへ行くことにする。お店は先日開いているのを確認していた「369 」。お店に入ったのが6時前と少々時間が早いせいか、お客は我々だけ。小龍包、豚の角煮、麺類を頼んだが、味は昔と変わってない。Sさんとの話題も、政党が乱立する総選挙、次期大統領選、と王道(?) を行くのでした。(時折、「なんでこんな話題ばっかり出て来るんでしょうね?」とお互いに苦笑いするのだが...)
食後は、ブロックMのカラオケ屋さんへ。
老舗のHというお店に入る。このお店、私の駐在中からあるのだが、入るのは初めて。しかし空いてますね~。Sさんと約3時間弱粘ってましたが、他のお客さんは1~2組程度だったのでは。(個室はどうなっていたか知りませんけど。) ボトルを一本入れて、おつまみ、氷、水、テーブルに付いてくれた女性(2名)の指名料&彼女たちの飲み物代、といったところで計百万ルピアを少し越えました。随分と高額なようにも思いますが、円換算後だと、私が駐在していた頃(91-94)とほぼ同じ水準。
【注】[
本文へ戻る
]
*1:スマラン事件 - 太平洋戦争終了後2ヶ月がたった1945年10月14~18日、インドネシア人の来襲を恐れたスマラン駐留の日本軍が決起し、インドネシア側と衝突した事件。
★スマラン事件については、次のページをご覧ください。
[
スマランとその周辺
]-[
青年の塔
]
ページの先頭へ戻る
|