このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 
高松は本降り。さすがにやる気が削がれて幻滅の度合もはなはだしい。
おまけにジャンボフェリーが30分遅れの入港で、予定の列車に乗れない可能性が。
駅の構造(改札からすぐにホームに到達可能)にこのときは(・・・・・)救われてギリギリで琴平行きに乗り込む。

順調に讃岐財田まで到達するものの、お天道さまだけはご機嫌ななめ。
駅で乗換えを待つだけの気力はもとよりなく、香川県産オサへの希望を胸に山へ挑む。
土砂崩れの危険があるような崖を雨の日に掘っているうちに小規模な“崩れ”を起こす。“オサ屋がオサになる”のはご勘弁。それにろくな休息も食事もとってないものだからか、途中クラっとくる一面も。ずぶ濡れになっただけで駅に戻る。
作業着は水を吸って重く、冷たく、袖を通せない。我ながらレインコートを持ってこなかったのは愚かだった。“雨の日プラン”も考えておいたほうがよいかもしれない(高2の11月に 高麗 でも似たような経験をしたが、レインコート持参&それなりの収穫があったからまだ良かった)。
このまま予定通りに江口に行っても同じ目に遭うだけだ。山道を4時間も歩きたくない。

〜・〜・〜

前日、大道具長より一通のメールが届く。
私はその内容から、氏本人が四国入りしているのではないかと推測を立てつつ、展開を見守る。すると全く見当もつかない驚きの答えが返ってきた。

父が徳島駅にて610を救援する

来た道を引き返し、高徳線経由でひとまず徳島に向かう。つぎの阿波池田行きは1時間後、徳島線経由で行くとすれば財田の待合室で凍え死んでしまう。
北方旅行記の反省から得た“靴下の上にビニール袋を履く”応急処置を採集前に施した結果、靴下への浸水は最小限にとどまり、靴はキシャの中でだいぶ乾いた。

駅で氏の父上と落ち合い、うどんをご馳走になりつつ救援物資をいただく。おみやげもいただいてしまった。
お世話かけて申し訳ありません。そして、助けていただきありがとうございました。

まだまだ雨は止まない。学に出る予定だが、少し時間をつぶしたい。
何の気もなく、牟岐線阿南まで往復。全く無駄な時間を過ごすうちに雨は止み、16時過ぎに学到着。吉野川河川敷にて、2年越しの捜索が始まる。

沈下橋で川を越えたあたりの河原にはモーレツな様相の河畔林が形成されている。木が流れに沿って曲がっている。“Г”こんな具合だろうか。ともかく、背中側に大量の漂流物を背負っており、その下にマイマイは潜んでいそう。しかしはがそうとするも、相当ガッチリ食い込んでいてびくともしないどころかひどく乾燥しており、パサパサの土ぼこりが舞い上がっては目に入りまともに作業できない。
そもそも乾燥しているようなところにはマイマイはいない。ということはここにはいないのか。

雨でだまされているのかもしれない。しかし条件のよい木を発見。スコップをあてがい、我が目を疑う。

ヨシッ!ついに・・・

あれ?

様子がおかしい。マイマイにしては小さく、クロナガにしては細長い。
オサムシではなかった。
脳内の昆虫図鑑では即座にユミアシオオゴミムシダマシのページが開かれる。日枝神社に棲息していそうで結局見つけられなかったが、まさかここでお会いになるとは…
マイマイもいるんじゃないか、そんな気がしてきた。けれども時間が足りない。今日中に須崎に出ないといけない。



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