国鉄袋井駅の跨線橋を渡り隣のホームには駿遠線新三俣行き列車が出発を待つ。但しこちらのホームは新袋井駅と称する。機関車はまだついていない。最後尾車は小荷物室を有する合併車でデッキの入り口や後部妻面の曲線などユニークで魅力的なな車輌。1963.03.28 朝の通勤通学列車との交換 新横須賀駅 主要駅での小荷物の積み下ろしは半端ではない。一見手間がかかるが社会全体で見れば近年の運送、宅配などの資源がこちらに集中していただけのことであろう。
新三俣終点での機関車方向転換。使用していた小型蒸気機関車の主要構造を流用して自社工場にて作り上げたディーゼル機関車。方向転換は元の蒸気機関車のDNAをひきついでいることになる。ちなみにこれらの改造機関車は誰がつけたか”蒙古の戦車”とあだなされていた。 方向転換を済ませ機回し線を渡り折り返し列車となる。この先新藤枝まで線路は通じているがこの時点で直通する列車は日に数本になっていた。
まもなく新袋井行き出発。和服の乗客もなつかしい。 東の新藤枝から来た列車も多くはここ地頭方止まりとなっていた。 朝の通学列車 片浜駅 下り相良方面行き 1964.08 海草乾しの合間を縫って大田浜の海岸線を走る。 1964.08 国道150号線を横切り相良駅に向かう。 1964.08 10mにも満たない小型動力車(90PS)が2両の付随車を引く。真夏のある日大田浜駅1964.08 沿線一の賑やかな静波駅 駅前は大きな広場があり日通支店もあった。今は海水浴場で有名な静波海岸のそばでもある。1963.03 国鉄との連絡駅 新藤枝駅 貨物ホームとして国鉄ホームと繋がっている。駅舎は2階モルタルでターミナルスタイルの駅は国鉄から乗り換えて改めて鉄道の旅に出る一種のときめきを感じる雰囲気があった。ここから大手町方面と相良方面とに分かれて線が出ている。1964.08 本来の藤原宿とを繋ぐ線。さらに一時岡部まで伸びていたが早々短縮された。この撮影の1月後この大手線も廃止になった。 1964.08 大手工場 相良工場 機関車から客車まで大抵のものは自前で工夫しながら作った。 路線は大井川手前までに短縮され最後の活躍をした。 1969.06 |