このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

霞ヶ浦出島地方を尋ねて

 霞ヶ浦は右手でじゃんけんの「チョキ」を人差し指と中指で作り、掌を手前に向けた形をしています。人差し指の先端が石岡、中指の先端が土浦、曲げた薬指の辺りが美浦村、手首が水郷地方です。

今回は、人差し指と中指が作る股の部分、すなわち出島地方を廻ってみました。ここは、以前は、その名の通り、出島村であったのが、1997年に霞ヶ浦町となり、2005年、千代田町と合併し、かすみがうら市となったものです。

この一帯は、旧石器時代の頃は、象なども住んでいたようですが、縄文中期の海進時代には、海で、その後、海が退くにつれて、人が住むようになり、弥生時代から古墳時代になると、稲作が広まり、この一帯は「豊葦原瑞穂の国」と言うにふさわしい土地であったようです。

大和朝廷の支配下では、九州や東北経営の兵站の拠点でした。たくさんの大型の前方後円墳がそれを物語っています。

明治以降も、農業や漁業が盛んな土地です。しかし、周辺の市町村の人口が増え、汚水が湖を汚し、過剰な養殖や、護岸工事で葦原が無くなるなど、自浄作用も減り、霞ヶ浦の汚染は、今でも進んでいます。

今、那珂川などから水を引こうと言う計画が進んでいますが、それだけで問題は解決しないでしょう。周辺の市町村の下水道の完備など、汚水の流入を防ぐことが第一と思われます。

 今回は、常磐道を進み土浦北ICで降り、出島の土浦側の湖岸を進みました。

この一帯は、護岸の湖側に、葦原などもわずかに残っています。筑波山も生憎の曇り空で、はっきりは見えませんでした。護岸の内側の土地は稲田の他、湿地の部分は蓮田が多いようです。

  

進んでいくと一面の蓮田                     更に進むと土浦市外が



生憎と筑波山の霞んでいる

更に進んだ辺りは蓮田と稲田が混在

 護岸の道路横には、車を止めて釣りをしている人が大勢います。ブラックバスなどを釣っているのでしょう。

    

護岸からの釣り人と車

 護岸の道と並行して走る従来の道も狭いところが多く、集落が点在していて、出島のほぼ先端近くまで来ると、「歩崎公園水族館」があります。ここは公魚などの帆引き船漁の発祥の地とされ、小さいながらも立派な水族館です。しかし、週日と言うこともあって、客はいません。

  

淡水魚の他、子供向けのタツノオトシゴ、カメ、オウムガイなどもありました。紀伊半島に行った時、宿のそばの石垣に潜んでいた
紅いはさみの蟹がアカテガというものであることを知りました。( 紀伊半島の旅その7 ))をごらんください。クリック!


  

霞ヶ浦で取れた小型の魚類

    

  天然記念物のヒメタナゴ                      紀伊半島にもいたアカテガニ 

80cm位のイトヨ(小魚がうろこをクリーニング)

  

お子様向けのタツノオトシゴ

ここで入場券を買う時に、「郷土資料館」?と聞くと共通県があることを教えてくれ、道路の反対側の坂を上った所です。これまた立派な天主閣風の建物です。

りっぱな4層の資料館

中には、帆掛け舟の模型、昔の暮らしの道具、この地方の歴史などを展示するいわば、何処でも共通な資料館です。

  

帆引き船の模型                        当時の漁具

懐かしい時代

しかし、設備や展示は立派です。だが、四階立ての建物には、急な階段しかなく、年寄りにはいささかきついでしょう。

 最上階は展望室となっていて、霞ヶ浦が良く見えますが、生憎、段々、曇ってきて筑波山などは見えません。

 これだけの箱物を霞ヶ浦町といった時代に作ったのでしょうが、見てくれる人をどうやって集めるか?今後の大きな課題でしょう。土浦市から周辺への道路は複雑で狭く、車社会に対応するにはいささか問題があります。

 ここから、再び湖岸に出て出島の先端まで進むと、対岸と結ぶ霞ヶ浦大橋です。ここは、出島の動脈である354号線土浦から玉造石岡方面に向かう355号線と交差し、更に進むと海岸線を走る51号線と合流します。

霞ヶ浦大橋とふれあいランドのタワー

 霞ヶ浦大橋をわたると、道の駅「たまつくり」「霞ヶ浦ふれあいランド」があります。

ふれあいランド展望塔水の科学館からなっています。周辺はかなり広い公園になっていて家族連れなどもいましたが、週日でもあり、人影は余りありません。

   

タワーとそこから見た玉造方面

すこし先に進むと、郊外店が集まった場所があり、ここの買い物ついでにでも来ているのかもしれません。

展望台は、前回、鹿島鉄道に乗って歩いてきた時は、全くの曇りで上りませんでしたが、今回上っても遠景までは見えませんでした。
鹿島鉄道 をご覧下さい。クリック!

   

    タワーから見た霞ヶ浦大橋方向                    ご存知芹沢鴨(この辺が故郷です)

「水の科学館」の作りは、東海村原子力科学館と良く似た構成です。基本的には子供向けの設備です。
原子力関係展示館 をご覧下さい。クリック!

   

水の科学館

ここの箱物の規模は、かすみがうら市よりもさらに大きく、これまた維持は大変でしょう。

 そんなことを思いながら、ここから354号線経由で岩間ICに向かいました。

途中、茨城百景の桃浦の碑があり、そばの桃浦駅は、廃線のあとをそのままにわびしい姿をさらしています。

  

桃浦駅と廃線の線路


                                    ( 鹿島鉄道 をご覧下さい。)

NAVIの言うとおりに進むと、懐かしい「ひょうたん美術館」の前を通って岩間ICに出て、そのまままっすぐ帰ってきました。( ひょうたん をご覧下さい。クリック!

行程約160kmですが、歩いた距離はわずか、4000歩強と言った位です。

古い神社仏閣、遺跡などと違って、車で乗り付けてみるだけとは言え、いかに平地かが分かると思います。

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