このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鹿森社宅

私はいつもある場所を特定する時に地図ソフト「スーパーマップル」と空中写真の「グーグル・アース」を使いますが、
鹿森社宅跡の場所がマイントピア別子でボランティアの方に貰った「産業遺産を歩こうマップ」の場所と実際に
現地に行った場所とでは誤差があるように思え四苦八苦していました。
しかし発見!グーグル・アースに写っているではないか! みなさん気が付きましたか? 
上の写真にマウスを当ててみてください。鹿森社宅跡の写真は現地に立っていた銅版を撮り使用しました。
当時の写真を使いたかったのだが…

鹿森社宅跡は予想していたより近く、マイントピア入り口よりわずか15分ほどで着く。

索道終点 この索道は鉱石の運搬用でなく一般生活用品を運んでいたらしく下の始点よりわずか数百mしかない    右・鉄塔の側にある給水タンク

索道終点(高電圧鉄塔)33°54'3.30"N133°18'27.11"E

住宅の底辺部 入り口

住宅の図は右側の銅版を使用

鹿森社宅の主になる階段 初めて目の当たりにしたときは思わず唸った。写真では解りにくいが、斜面に沿って真上一直線に数百m延びている。
左右対象同じ造りで整然としている。 みごとだ!このように上に続く階段がこれとは別に2〜3個あるが雑木に覆われ登りにくい。私は蛇と蜂が怖い(^_^;)
 銅山全体の中では鹿森社宅は比較的新しく全盛期には300戸、1300余りの人々が生活していた。

 

浴場跡

浴槽

この石垣の下部が元運動場だと思う。運動場と言ってもみなさん勘違いしないで下さい。50mプール一個分ぐらいの広さだから。私の古里 旧・中の川小学校といい勝負だ(笑)

カマドの跡か  殆どが同じ造りで整然としている

 

鹿森神社跡  石碑には大正15年5月1日とある

 

石垣の上が鹿森神社跡になる


端出場                                                        遠登志              

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