このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

7.端出場(マイントピア別子)

昭和時代に入り、採鉱場所の下部移行により、採掘鉱石は全て端出場に集中させる事になり、昭和2年、坑外に端出場手選鉱場が建設された。
坑内水処理については、既に大正12年から全坑内水を第四通道からの排出に切り替えており、第三通道は、これまで果たしてきた物資輸送の
大動脈としての地位を第四通道に譲るかたちとなった。これに伴ない、東平収銅所、東平選鉱場が昭和初期に廃止されている。そして、
東平時代到来の象徴が採鉱本部の東平移転であったと同様、端出場時代到来を意味する採鉱本部の端出場移転が、昭和5年実施された。
ここから、別子銅山休山まで、端出場は採鉱、運送両面のセンター機能を果たしていく事になった。

第四通洞・四通橋

第四通洞は1915年に完成した、運送のために水平に地中深く掘られたトンネルである。トンネルの長さは4,596m。
トンネルは更に掘り進められて19942年には、およそ10,000mの長さになった。四通橋は1919年に第四通洞と結ぶ橋として開通した。

坑内からは排水の音と冷気が噴出し、真夏はクーラーの前にいる感じだ。坑排水は鉄道跡に沿って山根収銅所まで約3.4km、さらに磯浦まで約6.4km 総延長約10kmにもなる。

芦谷川橋 奥が中尾トンネル
現在は観光用の列車が走っている

マイントピア別子の駐車場の後ろ手にある巨大な貯鉱庫 脇に鹿森社宅への侵入路がある

鹿森社宅入り口より少し上がった所 鉄道の跡

端出場水力発電所

明治45年完成。明治時代の後期、大量出鉱体制を整えつつあった別子銅山では、動力の増大が課題であった。
そこで、銅山峰の南を流れる銅山川の支流の水を利用した水力発電を行なう事とした。日浦に集められた水は、
日浦通洞第三通洞 を通り、水路で石ヶ山丈の 煉瓦造りの水槽 まで引水し、当時日本一を誇った落差597.18m
水力を利用した発電を行なった。大正時代に入り、水路の拡張と発電機の増設を実施。この増設により、大正10年から
始まった四阪島精錬所の大改造計画で急務とされた、蒸気動力の電気転換の為の電気供給が可能となり、同11年
新居浜−四阪島間約20kmの海底ケーブルが敷設され、送電が開始された。昭和45年、発電所は廃止されたが、
煉瓦造りの建物内には、運転開始時のドイツ国シーメンス社製の発電機や同国フォイト社製の水車などが残っている。

 平成22年4月1日住友共同電力株式会社から新居浜市に寄附されました。


完成当時の端出場水力発電所

現在のの端出場水力発電所
正面入り口

以下、1月30日産業遺産巡りバスツアー参加時に撮った写真  県道より正面入り口

写真右手、県道路肩部分が崩れているのが判る
公開までにこの箇所の補修と進入通路(対岸のマイントピアより陸橋など)、室内に放置されている備品、
内部の安全面、その他など問題が多いそうです。これでは一般公開は1年以上掛かりそうですね



建物全体の煉瓦に黒い箇所があるが何と戦時中にカモフラージュのためコールタールを塗ったそうです
ばかげた事をするものだ 余計に怪しく目立つのではないか



正面

内部
発電機の塗装こそ剥がれてきているが錆は無くきれいに保存されている

















壁にはメンテナンス用と思われる工具類が埋め込まれていました





入り口正面にある二階部分


二階内部
床部分が弱っている為、入場の人数が制限されました




1階入った直ぐ右手に在る半地下室
物置としていた様だ

裏にある水車は発電所とは全く関係が無いそうで極最近建てられたそうです


送水管伝いに貯水槽へ           10.四阪島へ


山根                                                          鹿森社宅

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください