このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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網走側は駅間が短いところが多くなる。西訓子府〜西富間もわずか3km
であり、私もこの区間を歩いたことがある。またこの区間はほぼ直線で、
並行する道道を走る車はかなりスピードを出している印象がある。
西訓子府と駅名に“西”がつく駅が続く。訓子府の隣駅で本来であれば
西富が「西訓子府」と名乗っていいような気もするが、ちょっと不思議である。
西訓子府から続いているハエタタキも西富を通過し、西富のもう少し先まで
存在している。西富も駅施設はホームと待合室のみ。待合室は少し離れた
ところにあり、どちらかというと物置?ではないかというほど小さなものだ。
駅の施設ではないが、西富駅の池田方にある小さな橋梁に注目したい。
表示には「汽車製造合資会社・明治43年製造」とあり銀河線の全身、
網走本線が開通した当時の姿のままということがわかる。北海道がいとも
簡単に廃線・バス転換を選んだふるさと銀河線であるが、このような
観点からも貴重な「北海道遺産」であるということを知っていたのだろうか。
ホームは1線のみ。上りは740D、742D、702D下りは快速「銀河」の
701Dが通過する他は全列車が停車している(’06年現在)。
↑西富駅ホームのすぐ横は畑(2005/07/02) | ↑西富からもハエタタキが見える(2005/11/13) |
↓年代もの?の踏切の道路標識(2005/11/13) | ↓置戸行き744Dを見送る(2005/09/04) |
↑西富を出て道道と交差すると 訓子府の市街地に入る(2006/04/16) | ↑写真中、西富駅の池田方には橋梁があり、 表示には明治43年製造と刻まれている(2006/04/20) |
↑駅名標、時刻表は当然はずされている。 鉄路にもさびが浮き始めている(2006/05/20) | ↑西富駅北見方の西富28号線踏切。 踏切跡は凹凸の道路標識(2006/05/20) |
↓踏切跡の段差が解消され凹凸の 道路標識も無くなった(2006/10/15) | ↓ホームが先日の大雨の影響により えぐられてしまった(2006/10/15) |
↑西富駅駅前を颯爽と通過する北見バスの 北見行き。車内の乗客は数人(2007/04/22) | ↑ハエタタキの撤去も進む中、西富駅付近に あるハエタタキは未だ健在(2007/04/22) |
↓ホームは土台のみとなった(2008/04/27) | ↓ここのハエタタキも健在(2008/04/27) |
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