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国鉄特急 |
<本州〜九州>
へいわ、平和〔heiwa〕 PC特急 DC特急 2009年10月18日新設 2012年9月30日更新( 写真追加 )
戦後、初めて登場した名誉ある歴史的な特急列車。特急の運転は、戦局の悪化により昭和19年(1944年)以降、中断されていましたが、戦後、落ち着きを取り戻し始めた、1949年9月15日改正で、特急が1往復、復活する事になり、命名されたのが、へいわです。
運転は、東京〜大阪間で、戦前に運転されていた燕(つばめ)と同様なダイヤで、編成も展望車や食堂車が連結され、戦前の燕を彷彿されるものでした。名前としては、あまり評判が良くなかったのか、1950年1月1日からは、その つばめ に列車名が、変更され、僅か3ヶ月半で、一旦姿を消しました。
その後、昭和33年(1958年)10月の改正で、東京〜長崎間の寝台特急として、漢字表記の平和として再度、登場しました。この2代目平和では、平和の鐘をアレンジしたヘッドマークが取り付けられたEF58やC62に牽引され運転されました。翌、1959年7月20日に実施された、寝台客車の20系化では、名称が さくら に変更され、再び短期間で姿を消しました。
2年後の昭和36年(1961年)10月1日改正では、大阪〜広島間のDC80系による昼行特急へいわとして、三度、登場しました。この時点で山陽本線の電化は、三原まで達していて、翌年の1962年6月には、広島まで電化が完成し、電車化される際には、特急名は、つばめとなり、又、僅か8ヶ月で姿を消しました。その後、へいわの列車名は、使われれる事は、ありませんでした。
写真は、特急平和のHMを付けたEF60501です。EF60 500番台は、1963年〜1964年、ブルートレイン牽引用機関車として製造されましたが、EF65の登場によりブルートレインの牽引からは外されました。又、EF60登場以前に、平和は廃止されたためEF60が平和を牽引することはありませんでしたが、平和を改称した さくら の牽引にはEF60が使用されました。1985年3月に、高崎第2機関区でのイベントにて、Takazawa様が撮影された写真を掲載しています。
特急<平和>EF60501 高崎第2機関区にて 1985年3月 Takazawa様撮影
写真は、特急平和のHMのアップです。1985年3月に、高崎第2機関区でのイベントにて、Takazawa様が撮影された写真を掲載しています。
特急<平和>HM 高崎第2機関区にて 1985年3月 Takazawa様撮影
写真は、リバイバル運転時のEF5861牽引の平和です。1983年7月24日に、摂津富田にて、デジアナ様が撮影された貴重な写真を掲載しています。リバイバル運転では、東京〜大阪間で下りは1983年7月23日に、上りは1983年7月24日に運転されました。客車は14系が使用されました。
特急<平和>EF5861 1983年7月24日摂津富田 デジアナ様撮影
戦後の平和を先導した様な特急列車でしたが、列車名としては、3度も短命で終わるという薄幸の列車でした。
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