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国鉄特急 |
<本州>
ひたち 〔HITACHI〕 DC特急 EC特急 L特急 2007年10月28日更新 2012年2月27日更新( 写真追加 )
首都圏から常磐本線沿線を結ぶビジネス特急。運転区間は上野〜平間で1部は仙台まで達していました。東北本線の ひばり 等と比べ、比較的地味なL特急で、名前も旧国名の常陸(ひたち)にちなんでいて、ローカル特急のイメージがありましたが、新幹線ルートから外れた事もあり、他の在来線特急が消えていったのとは対象的に、成長を続け常磐線のエース特急として君臨しました。
ひたちは、1969年10月の改正で新設され、最初は80系によるDC特急でしたが、1972年10月からは485系により電車化されると共に計5往復に増発され、この改正で登場したL特急の第一陣に指定されました。
下の写真は貴重な気動車特急時代のひたちの写真です。1972年頃、Sakamaki様の撮影です。車両はボンネット型のキハ81型、特急として新設された1969年10月から電車化される1972年9月26日まで、ボンネット型のキハ81型を含むキハ80系で運転されました。写真では判り難いですが、キハ81型のヘッドマークには、由来の漢字名の「常陸」が、小さく書かれていました。これは、茨城県の日立市に由来しているのでは無い事を配慮して示されたと言われています。又、常磐線は既に電化されていましたが、 いなほ のキハ80系の間合い運用として、気動車特急として新設され、 いなほ の電車化に伴い、ひたちも電車化された経緯があります。
特急<ひたち>キハ81 上野駅にて 1972年頃 Sakamaki撮影
写真は、夜の上野駅で並ぶ485系300番台ひたち8号と583系 ゆうづる 1号です。1976年頃にToyoshima様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
特急<ひたち>と特急<ゆうづる> 上野駅にて 1976年頃 Toyoshima様撮影
写真は上野駅で撮影したひたちです。1976年3月に撮影、車両はボンネットタイプの485系です。この頃は8往復が運転されていました。その後の改正毎に増発され、ピーク時には30往復に迫る本数が運転され、名実ともL特急にふさわしくなりました。
特急<ひたち>485系 上野駅にて 1976年3月26日撮影
下の写真は、1985年2月25日に、上野駅で、デジアナ様が撮影されたひたちです。この頃は、全列車が485系による12両編成で、12往復が運転されていました。
特急<ひたち>485系ボンネット 上野駅 1985年2月25日デジアナ様撮影
この写真は、赤スカート、ひげ無しのボンネット車のひたちです。1985年2月26日に、上野駅で、デジアナ様が撮影された貴重な写真を掲載しています。この頃、九州地区で余剰となった485系ボンネットの先頭車が、大挙して関東地区へ移動してきたため、ひたちはこの頃、全列車が、ボンネット車で運用されていました。この中に、赤スカート車も含まれていた様です。
赤スカート先頭車の特急<ひたち>485系 上野駅 1985年2月26日デジアナ様撮影
下の写真は、イラスト入りヘッドマークのひたちです。1987年8月に、上野駅で、デジアナ様が撮影された写真を掲載しています。JR化後も485系によるクラッシックスタイルによる運用が続きましたが、車両の老朽化が問題になり始め、新型車両への置き換えが始まり、485系によるひたちは減便して行きました。
イラスト入りヘッドマークの特急<ひたち>485系 上野駅 1987年8月デジアナ様撮影
その後、ひたちは1989年3月から新造651系によるスーパーひたち、1997年10月からはE653系によるフレッシュひたちの登場により、1998年12月に廃止されました。
下の写真は現在のフレッシュひたちE653系です。正面には“HITACHI EXPRESS”の文字が電光掲示されています。
特急<フレッシュひたち>E653系 上野駅にて 2007年1月 撮影
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