このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

更新日 2012/5/1

戻る

大夕張 1997.11.10

〜ダムに沈む街〜


この年11月末に四十余年の歴史をもつ美鉄バス(旧三菱鉱業バス)大夕張営業所が,鹿島地区住民移転のため閉所となりました。写真はその二十日前,美鉄バス最後の活躍の様子を収めた貴重な記録です。最盛期には二万五千人とも言われた鹿島地区は,1997年1月時点で約430人,翌年1月には33人となり(讀賣新聞記事より),文字通り街が消えることになりました。「ダムに沈む街」と言われた鹿島地区ですが,予定の2004年から4年経った今でも,ダムはいまだ完成していません。

大夕張(旧大夕張駅前)バス停,清水沢方向は道路を挟んで大夕張駅舎の筋向かいにあった。この時点でも駅舎はまだ残っていたはずで,駅横の鹿島通運(左端)と日本通運(中央寄り)の建物が確認できる。道路の右側バス停の真後ろに見える三角屋根は郵便局,奥には栄町商店街の建物が残っている。(写真提供:渡部 洋様)

美鉄バスが到着。NO.79号は 大夕張さよなら号 として最終日を走った車で,車齢19年を数える。西日の陰が長いことから14便15時36分大夕張発夕張駅前行きか。札幌特急線は前年一足先に廃止となり,夕張急行線3往復,清水沢急行線2往復が最終期大夕張営業所の全系統である。(写真提供:渡部 洋様) →大夕張営業所 H8.12時刻表

僅か数名の客を乗せて出発。沿線左側の拓銀や夕張信金の建物は既に撤去されているらしい(右端の大きな影は消防署?)。昭和40年代の写真にも登場する歩道橋は鹿島小学校通学用のものか。校舎は線路を渡って右奥にあった。(写真提供:渡部 洋様)
〜拓銀は奇しくもこの日から7日後,銀行そのものがこの世から消えることになる...

シューパロ湖畔を走る美鉄バス。かつて湖畔亭のジンギスカン,貸しボートなどがあり行楽地として賑わった時代があったと言われるが,今は小さな展望台があるのみで,当時の隆盛を想像することは難しい。(写真提供:渡部 洋様)


〜砿業所跡地に残された一台のバス〜

1973年冬に閉山となった大夕張砿業所の門構えはその後もずっと残っていたようである。その門横の車庫に見慣れた美鉄(旧三菱)カラーの古いバスが眠っていることが,地元の人やこのころ同地を訪れた人々に確認されていた。約二年後,同車保存のための活動が開始され,さらに三年後,「三菱鉱業バス保存会」として正式発足することになった。(写真提供:渡部 洋様)

ページトップへ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください