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《東京の水辺》シリーズ
野川じてんしゃ散歩 Part2(谷戸橋〜深大寺〜野川公園)

 武蔵野の湧水を集めて流れる約20キロの小河川・野川。水と緑が豊かな野川の岸辺を走る「野川じてんしゃ散歩」のパート2は世田谷区をあとに狛江市・調布市を経て野川公園までをご案内します。

  パート1(二子玉川〜神明橋)    パート3(上流編)    パート4(源流編)     東京の水辺      自転車の旅     トップページへ


谷戸橋から上流を眺める。     谷戸橋(狛江市東野川4丁目・調布市入間町2丁目)

 ビジターセンターを過ぎると世田谷区から狛江市に入り、まもなく谷戸橋です。この橋の東側で国分寺崖線が北東方向に深く入り込んだ谷戸地形になっているため、この名前です。谷戸橋の真下に地下水路の放水口がありますが(下写真)、これは元々は谷戸の湧水が流れていたのでしょう。

(谷戸橋の先で国分寺崖線が奥まった谷戸地形になっている)

 この谷戸(仮に入間谷戸と呼びます)は谷戸地形が分かりやすい形で残っており、なかなか味わい深いです。今は宅地化されていますが、一部は入間公園になっており、最奥部も公園になっています。

(谷戸へ入る道。自動車は通り抜けできません)

(谷戸の奥の入間公園)


 野川はこの橋の下流100メートルぐらいは完全に狛江市内を流れますが、上流側は調布市で、橋の上が市境になっています。


     入間川合流点(調布市入間町2丁目)

 また、谷戸橋の上手300メートルほどの地点で東側から入間川が合流します(右写真)。現在は三面をコンクリートで固められた味気ない小河川ですが、調布市の深大寺東町あたりに水源をもち、国分寺崖線沿いの湧水を集める川で、上流には武者小路実篤が晩年を過ごした旧居跡・実篤公園(調布市若葉町1丁目)の湧水池などがあります。昔の入間川は今の野川の川筋を通ってさらに下り、中之橋の下手で旧野川(六郷用水)に合流していました。

 (入間川と実篤公園の湧水池)

(調布市若葉町3丁目の国分寺崖線の坂道。古くは狛江方面と都心方面を結ぶ主要道だった)


 このあたりから上流部の野川はしばらく国分寺崖線から離れた平地の中を流れています。


小足立橋の上流側     小足立橋(狛江市東野川3丁目・調布市入間町2丁目)

 このあたりの狛江・調布市境は複雑に入り組んでいます。谷戸橋から入間川合流点までは両岸とも調布市ですが、入間川合流点から上流100メートル余りはまた両岸とも狛江市になって小足立橋に至ります。ここでは橋の西側(右岸)が調布市です。さらに少し行くと両岸とも調布市になります。
 このあたり、川の中に草が茂っているのはなかなかいい感じです。大抵はこの辺に餌を探すシラサギ(コサギやダイサギ)がいます。


水が涸れた野川     渇水期の野川

 まるで砂利道ですが、これも野川の姿です。国分寺崖線の湧水を集めて流れる野川は渇水期になると、狛江市付近の一部区間が完全に涸れてしまうことがあります。このような場合、水は地下を通って流れていくようです。
 “砂利道”にはやがて雑草が生い茂り、そこに水流が復活すると、それもまた風情のある眺めになったりします。
 写真は糟嶺橋から小足立橋方面を眺めたところで、左側に国分寺崖線が続いているのが分かります。


糟嶺橋の上流側。     糟嶺橋(調布市入間町2丁目)

 小足立橋の次が糟嶺(かすみね)橋。橋の左岸側の住宅の向こうに小高い森が見えます。その頂部にあるのが糟嶺神社で、糟嶺大神ほか諸神が祀られています。また、本殿裏手の一段低い場所には明照院という天台宗の寺院があります。明照院は室町時代の創建で、本堂(阿弥陀堂)や観音堂、閻魔堂などがあり、調布七福神の弁財天が祀られ、多摩川観音霊場三十三ヶ所の札所にもなっています。

(糟嶺神社と明照院)


野川大橋の上流側・神代団地     野川大橋(狛江市西野川1丁目)

 糟嶺橋の次が野川大橋。バスも通る交通量の多い道で、信号があります。この道を右へ行くと400メートルほど先で入間川を渡って国分寺崖線の坂を上り、京王線の仙川駅方面へ通じています。左へ行けば、狛江市の中心部を抜けて多摩川方面へ出られます。僕も野川沿いをサイクリングしていて、ここで気が変わって多摩川方面へハンドルを切ることがよくあります。
 この橋の部分だけ一瞬狛江市ですが、すぐにまた調布市に入ります。上流側は神代団地です。団地内の高谷橋を経て小金橋へ向かいます。




     小金橋(調布市西つつじヶ丘4丁目・狛江市西野川2・4丁目)

 この橋近くから野川の旧河道が遊歩道となって分かれていきます。昔の野川はここから狛江市内を曲がりくねりながら南下して六郷用水に合流し、東に向きを変えて、現在の世田谷通りに沿って流れ、中之橋の下流で再び現在の川筋に出会っていました。

 

 左の写真は下流側の神代団地、右の写真は上流側の眺めで、右側は調布市立調和小学校です。


     箕和田橋〜馬橋

箕和田橋の上流側 箕和田橋(狛江市西野川4丁目)から上流側







野川橋の上流側 野川橋(調布市菊野台2・3丁目・国領町8丁目)

 向こうに見える高層マンションがあるのは京王線・国領駅前です。
 橋の袂にコンビニがあります。




野川のアヒル 野川のアヒル

 誰が放したのか、野川にアヒルが2羽います。この日は野川橋と次の大町橋の中間あたりにいましたが、下流の神明橋やさらに下流の大正橋付近で見たこともあります。どこにいるか探してみてください。




大町橋の上流側 大町橋(調布市菊野台2丁目・国領町8丁目)

 2車線の品川通りを渡す橋です。





京王線の鉄橋 車橋から見た京王線の鉄橋

 柴崎駅と国領駅の間です。サイクリングロードは両岸とも鉄橋の下をアンダークロスしていて、前後が急なスロープになっているため、鉄橋の向こう側の見通しが悪く、注意が必要です。
 線路をくぐると、すぐその先が甲州街道の馬橋です。




馬橋の上流側の眺め甲州街道・馬橋     甲州街道・馬橋

 国道20号線(甲州街道)を渡すのが馬橋です。昔、街道を行く旅人はここで馬を休ませ、水を飲ませた、ということです。
 今は4車線の街道を車がビュンビュンと行き交っていますが、川の両側に横断歩道があるので、安全に渡ることができます。
 また、ここでは野川と甲州街道が4つの町の境界となっています。甲州街道の北側左岸が柴崎1丁目、右岸が八雲台2丁目、甲州街道南側左岸が菊野台1丁目、右岸が国領町2丁目で、いずれも調布市です。
 写真右は橋の上から上流方面を眺めたところ。写真右手にはバッティングセンターがあります。


おかね橋の上流側中島橋から見たおかね橋。     中島橋&おかね橋(調布市柴崎1丁目・八雲台2丁目)

 馬橋の次が中島橋、その次がおかね橋で、いずれも柴崎と八雲台の両町をつなぐ橋です。このあたりの野川は西から東へ流れており、中島橋を過ぎると南寄りに向きを変えています。
 岸辺には桜が植えられ、川の南側(右岸)には調布市立第七中学校があります。また、この区間の左岸側は自動車も走れる一般道になっていますが、おかね橋を過ぎると、ちょうど川の流れに段差が見えるあたりから自転車・歩行者専用道に戻ります。
 また、中島橋付近からおかね橋の次の細田橋の少し先にかけて右岸側に旧河道の跡があり、一部は下布田緑地になっています。


細田橋の上流側     細田橋(調布市佐須町3・4丁目、八雲台2丁目)

 おかね橋から細田橋にかけては右岸に畑が広がり、のどかな感じです。また、このあたりはずっと桜が植えられているので、春にはみごとな光景です。今は花の季節の写真がありませんので、想像でお楽しみください。
 野川の岸辺は定期的に草刈りが行なわれており、写真で分かる通り、このあたりはちょうど草刈りが済んだばかりでした。春が来れば、新しい草が芽を出し、川べりはまた緑に被われていきます。
 ところで、この細田橋の袂で左岸から水が流れ込んでいます。深大寺の東方の国分寺崖線からの湧水が水路を通じて野川に流入しているのです。では、少し寄り道をして、この水路を辿ってみましょう。

 (細田橋の下で野川に流れ込む水路)


     池ノ谷戸(天神ヶ谷戸)と深大寺自然広場(調布市佐須町・深大寺南町)

刈り入れの済んだ谷地田と国分寺崖線 細田橋の下で野川に水を落とす細い水路を辿っていくと、途中から暗渠になりますが、源流部は国分寺崖線の谷戸になっています。谷戸とは台地や丘陵に湧水の侵食によって生まれた谷で、三方が高台に囲まれ、一方が低地に向かって開けた地形です。この谷戸は古くから池ノ谷戸あるいは天神ヶ谷戸と呼ばれていました。昔、この谷戸に湧水をせき止めた大きな池があったと伝えられています。谷戸の西側の台地上には池ノ上神社が祀られています。

 谷戸の出口付近には今も湧水を利用した水田が残り、農村の風情を伝えています。僕が訪れた時は稲刈りが済んだところでした。
 そこから谷戸の東縁を登っていく道の両側が調布市の深大寺自然広場です。道の東側はかに山と呼ばれる小高い丘(右写真の丘です)で、国分寺崖線の自然が残り、キャンプ場もあります。西側には野草園やホタル園が整備され、カタクリの自生地もあります。
 この谷戸を中央自動車道が横切っており、谷戸上は高架、その前後は切通しになっています。

 自然広場の奥は都立農業高校神代農場で、数多くの湧水があり、ワサビ栽培やニジマスの養殖も行なわれているそうです。
 谷戸の最奥の台上には神代農場正門と三鷹通りを挟んで向き合う形で青渭(あおい)神社があり、水神の青渭大神が祀られています。ちょうど秋祭りが行なわれていました。社前の大ケヤキは『江戸名所図会』にも描かれていた御神木です。また、池ノ谷戸の別名が天神ヶ谷戸というのはこの神社にちなんでいます。

(深大寺自然広場「かに山」)

(都立農業高校神代農場と農場から流れ出す湧き水)

(青渭神社の秋祭り 2006年10月15日)

 青渭神社のすぐ裏が深大寺、そして神代植物公園ですが、ここはいったん細田橋に戻って、改めて野川沿いに進みます。


大橋の上流側祇園寺     大橋と祇園寺(調布市佐須町)

 細田橋の次が祇園寺通りを渡す大橋です。ここを北へ行くと調布市の古刹・祇園寺(天台宗)があります。ここは深大寺を開いた満功上人生誕の地といわれ、本尊の阿弥陀如来像が安置された本堂のほか、秘仏の薬師三尊を安置した真新しい薬師堂、江戸期の建築である閻魔堂などがあります。また、僧形八幡菩薩像(調布市指定有形文化財)を所蔵しているそうです。1908年には祇園寺で自由民権運動の犠牲者を供養する慰霊祭が開かれ、千余名が集まり、出席した自由党総裁・板垣退助が植えた2本の赤松が大きく育っています。これらは「自由の松」と呼ばれ、説明書きによれば、「板垣死すとも自由の松は今もすくすくのびています」とのことです。

深大寺の湧水が流れ込む。 大橋の上流100メートルほどの地点で再び左岸側から水が流れ込んでいます。これは深大寺境内を含むもうひとつの谷戸の湧水を集めた水路です。

 また、この合流点の対岸(右岸)には野川の旧河道が「記念の森児童遊園」という遊歩道となっていて、300メートルほど上流まで続きます。




榎橋の上流側一の橋から榎橋方向を見る     榎橋(調布市佐須町1〜3丁目・調布ヶ丘3丁目)

 大橋から一の橋榎橋人道橋を経て榎橋に至ります。この橋は三鷹通りを渡します。この通りを北へ行くと、中央高速道路の下をくぐって、先に紹介した深大寺付近の2つの谷戸を隔てる台地上に上っていきます。そして、深大寺への参道を左に見送り、深大寺小学校前を過ぎると、すぐ先ほどの青渭神社と神代農場の前を通ります。
 写真は左が一の橋から榎橋の方向を見たところ、右が榎橋から上流側の眺めです。このあたりも春は桜が大変きれいなところです。

 さて、ここで再び野川から離れて、深大寺に立ち寄ることにしましょう。


深大寺門前     深大寺(調布市深大寺元町5丁目)

 三鷹通りから左折して「深大寺東参道」の標柱がある坂を下ると深大寺です。
 深大寺は正式には浮岳山昌楽院深大寺といい、天台宗の別格本山です。東京では浅草寺に次いで古いお寺で、天平5(733)年に満功上人によって開かれました。
 お寺は野川から入り込んだ谷戸の奥の傾斜地に立地し、水が豊かで、至るところに清水が流れ、池があり、不動の滝もあります(「東京の名湧水57選」選定)。深大寺の名も水神の深沙大王にちなんでいて、秘仏の深沙大王像(鎌倉期)は境内の西側の深沙堂に安置されています。このお堂の裏にも湧水の池があり、池の中には不動明王像が立っています。
 門前や境内はいつも多くの人で賑わい、これは江戸時代から変わりません。深大寺そばの店が軒を並べているのも江戸時代からのことです。
 茅葺きの山門(現存する唯一の江戸時代の建築)をくぐり、本尊の阿弥陀如来像(鎌倉期)を安置する本堂や第18世天台座主・元三大師(慈恵大師、912-985)の自刻像を安置し厄除けのご利益があるという元三大師堂、このお堂の下から1909年に発見された関東では数少ない白鳳仏の銅造釈迦如来倚像(国重文)を安置するガラス張りの釈迦堂などを拝んだ後は名物の蕎麦を味わいましょう。

(不動の滝)


水生植物園     神代植物公園水生植物園(調布市深大寺元町2丁目)

 深大寺前のバス通りの向かい側に神代植物公園の分園の水生植物園(入園無料)があります。深大寺から続く谷戸で、かつては湧水を利用した稲作が行なわれていましたが、そこに本来の湿地を復元し、ハナショウブやスイレンなどさまざまな湿生植物、水生植物が植えられています。湧水の流れる小川や池をめぐる木道が整備され、四季折々の草花を眺めながら散策が楽しめます。
 湿地の両側が高台になっていて、谷戸の地形がよく分かりますが、野川に向かって開けているはずの正面は中央高速道路に遮られています。
 なお、西側の丘陵は戦国時代(16世紀)に築かれ、短期間で廃城となった深大寺城跡で、空堀などが残っています。

 ほかにも、深大寺のそばに水車小屋が復元されていたり、背後の台地上には広大な神代植物公園があったり、また付近には深大寺温泉ゆかりという日帰り温泉施設もあるので、この一帯だけで1日楽しむことができます。

 深大寺前から西へ行くと武蔵境通りに突き当たり、坂を南に下ると野川の御塔坂橋ですが、再び榎橋に戻って野川の旅を続けることにしましょう。


     虎狛橋(調布市佐須町1丁目・調布ヶ丘4丁目・深大寺元町2丁目)

虎狛橋の上流側江戸期と昭和の庚申塔 橋の名前は近くにある虎狛神社にちなんでいます。この神社は927年の『延喜式』神名帳に記載された式内社のひとつとも言われる古社です。今は普通の神社ではありますが、境内には文政11(1828)年の「狛江郷佐須邨虎狛神社之碑」が立っています。碑文はすべて漢文なので、僕は年号を確認しただけですが。
 神社の北西角には佐須街道に面して庚申塔が2基並んでいます。1基は江戸時代のものですが、もう1基は昭和51年建立とかなり新しいものです。
 また、神社の南東側には田中子育て地蔵尊があります。

 虎狛橋のあたりで河口から10キロです。


又住橋の上流側。前方は中央道。     又住橋(調布市深大寺元町1・2丁目・調布ヶ丘4丁目)

 佐須街道を渡す橋です。佐須街道という呼称は比較的新しいものだそうですが、この道は甲州街道の柴崎駅入口交差点から始まり、御塔坂方面へ続き、古くは深大寺への参詣道だったようです。沿道には農産物の無人スタンドが多く、なかなかのどかな感じでもあります。右へ行けば虎狛神社、左へ行けば調布水産青果市場です。
 すぐ前方を中央高速道路が通っています。




橋場橋の上流側。上は中央道。     橋場橋(調布市深大寺元町1・2・3丁目)

 中央自動車道の高架下にかかる橋です。南側は水産青果市場です。北側へ行くと突き当たりの右手が天台宗の池上院、その隣が深大寺温泉ゆかりです。その背後に国分寺崖線が迫り、山の向こう側は深大寺のある谷戸です。






中耕地橋の上流側     中耕地橋(調布市深大寺元町1・3丁目)

 このあたりの野川は護岸に大きな自然石が埋め込まれ、かえって不自然な感じに改修されています。







御塔坂橋の上流側     御塔坂橋(調布市深大寺元町1・3丁目・三鷹市大沢4丁目)

 武蔵境通りを渡す橋で、南へ行けば調布市街、北へ行くと御塔坂を上って深大寺の参道入口、さらに北には神代植物公園正門前に至ります。
 写真の左側の建物は牛舎ですが、今はもう牛はいません。
 この橋の上流側は三鷹市となります。





羽沢橋     羽沢橋&清水橋(三鷹市大沢4丁目)

 
御塔坂橋の次が羽沢橋(写真手前)、その次が清水橋です。
 清水橋付近では右岸に国分寺崖線が迫っています。崖線の斜面も宅地化が進んでいますが、ここには雑木林が残っています。その高台上は老人ホームや保育園になっていますが、戦時中は米軍の空襲に備えた高射砲陣地があり、保育園の敷地内に砲台跡が保存されているそうです。





大沢橋の上流側     大沢橋(三鷹市大沢4.5丁目)  

 天文台通りを渡す橋です。北へ向かって坂を上っていくと国立天文台、南へ行くと調布飛行場が見えてきます。
 大沢橋の上手に南(右岸)側から水路が合流しています。ふだんは水は流れていないようですが、ずっと辿っていくと、飛行場の敷地内から通じているようでした。

(調布飛行場。向こう側に味の素スタジアムが見える。)



     国立天文台(三鷹市大沢2丁目)

 大沢橋から天文台通りの坂を上っていくと国立天文台三鷹キャンパスの正門前に出ます。国分寺崖線の台地上に広がる敷地は武蔵野の雑木林に覆われ、その中に研究棟や観測施設が点在しています。歴史的な建築物を中心とした見学コースが設定され、年末年始を除き、いつでも見学できます(10時〜17時)。また、月2回(第2土曜日の前日の金曜日および第4土曜日)に定例観望会も開かれています。

  (アインシュタイン塔と第一赤道儀室。共に国の登録有形文化財)

 なお、大沢橋から北側は谷戸地形になっていて、かつては天文台正門前付近に豊かな湧水があり、ワサビ田や湧水池を利用した釣り堀もあったそうです。


榛沢橋の上流側八幡橋の上流側     八幡橋&榛沢橋(三鷹市大沢5丁目)

 大沢橋の次が八幡橋、その次が榛沢橋です。
 八幡橋の左岸側に古八幡社があります。
 また、八幡橋の右岸側には旧河道が緑道になって残っています。

(古八幡社)



野水橋の上流。左に遊水池の堰が見える。     野水橋(三鷹市大沢2・5・6丁目)

 榛沢橋の次の橋が野水橋です。野水橋の上手の右岸側に遊水池(大沢調整池)が造られ、ふだんはテニスコート、駐車場、サッカー場、野球場になっていますが、大雨で野川が増水すると堰堤を越えて水が流れ込むようになっています。そして、その向こう側には調布飛行場の管制塔が見えます。
 また、左岸側を行くと、東大馬術部の馬場(写真右側の白い塀のところ)があります。




     沢の台ほたる池(三鷹市大沢2丁目)

 東大の馬場の裏手には国分寺崖線が迫り、台上に続く階段があります。階段を登りきると、小道の向こうはまだ国立天文台の敷地です。天文台の広大な土地に降った雨は地中にしみ込み、やがて国分寺崖線の下に湧き出すわけです。都市化により地面がコンクリートにどんどん覆われていく中で、このような場所は大変貴重です。
 実際、階段の両側に湧水が見られます。東側は「自然環境保全地区」として保護され、西側の狭い区域には「沢の台ほたる池」があり、ホタルが自生しているようです。



 上の写真は国分寺崖線上から見下ろした階段を中心に左側の「自然環境保全地区」(木道沿いに湧水が流れています)と右側の「沢の台ほたる池」。



飛橋の上流側。左の木立の向こうが水車経営農家。     飛橋と水車(三鷹市大沢2・6丁目)

 野水橋の次が飛橋です。飛橋の上手右岸側に復元された水車が回っています。そのそばに水車経営農家が残っていて、巨大な水車(しんぐるま)が三鷹市指定文化財として保存され、見学できます。水車小屋に野川の水を引く水路は現在の水面よりかなり高い位置にあることから、改修前の野川の水位が分かります。大雨が降るとたびたび氾濫したであろうことも想像できます。

 (復元された水車)


野川沿いの田圃と国分寺崖線     ほたるの里三鷹村(三鷹市大沢2丁目)

 飛橋の上流側の左岸には水田があります。このあたりはほたるの里三鷹村と名づけられ、湧水を利用した水田のほか、ワサビ田、湿性花園などがあります。以前、サイクリングで通りかかった時、農家の方がワサビの直売をしていて、1本買って帰ったこともあります。
 また、ワサビ田の背後の国分寺崖線の中腹には7世紀の出山横穴墓群8号墓の保存・公開施設があり、玄室内部を見ることができます。この墓には4体の人骨が埋葬されており、現在はレプリカによって埋葬状態を再現しています。湧水の豊かな野川流域は遠い昔から人々が住み着いていたわけです。横穴墓のそばで縄文時代後期の住居跡も見つかっています。


     相曽浦橋と御狩野橋(三鷹市大沢2・6丁目)

 飛橋の次が相曽浦橋で、人見街道の旧道を渡す橋です。そして、すぐ上手の御狩野橋を今の人見街道が通っています。人見街道を府中方面に向かうと、すぐ新撰組局長・近藤勇の墓がある龍源寺近藤勇生家跡があります。官軍に降伏し板橋で処刑された近藤の亡骸が戻ってきた時、一族が迎えたのが相曽浦橋だったということです。

(相曽浦橋と御狩野橋上流側の眺め。右側に湧水あり)


     龍源寺(三鷹市大沢6丁目)と近藤勇生家跡(調布市野水1丁目)

 龍源寺(天台宗)の門前には六地蔵や石塔群と並んで近藤勇の胸像が立ち、本堂の裏手の墓地には彼の墓があります。また、ここには明治初期に地元の村人が出山横穴墓群を偶然発見し、出土した人骨を寺に持ち込んで供養したと伝えられる「穴佛」という石碑もあります。
 龍源寺の西方にある近藤勇生家跡に現在は小さな近藤神社が建立され、詳しい解説板が立ち、産湯に使ったという井戸が残っています。
 生家跡のところが都立野川公園の入口ですが、いったん御狩野橋に戻って、野川沿いに行きましょう。

(近藤勇生家跡と龍源寺)


     泉橋(三鷹市大沢2・6丁目)

 御狩野橋の上流には泉橋がかかっています。名前の通り、湧水がいくつかあり、さらさらと野川に流れ込んでいます。
 このあたりは望遠レンズ付きのカメラをセットした人をしばしば見かけるので、カワセミ・ウォッチングのポイントにもなっているようです。

  (泉橋から見た御狩野橋と湧水)


     野川公園(調布市野水1丁目・三鷹市大沢3丁目・小金井市東町1丁目)

 泉橋の上流で東八道路の下をトンネルで抜けると都立野川公園です。広大な公園で、調布・三鷹・小金井の3市にまたがり、中央を貫く東八道路の南側の地区は芝生と樹林の緑地公園といった趣なのに対し、道路の北側は野川と国分寺崖線の豊かな自然を楽しむことができます。とりわけ、崖線沿いの一帯はフェンスで囲まれた自然観察園になっていて、多くの湧水があり、池や小川、湿地をめぐる木道が整備されています。これらの湧水は「東京の名湧水57選」に選ばれています。

 (野川公園内を流れる野川) (雪晴れの野川公園)

 (園内を流れる湧水) (自然観察園)


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