このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

津山郷土博物館
鶴山館
衆楽園
■津山城跡周辺図

■津山城跡〜津山駅から北へ徒歩10分
■衆楽園〜津山城跡から北へ徒歩15分


今津屋橋付近から吉井川越しに備中櫓を望む

■津山郷土博物館

津山城本丸瓦


津山城本丸の鶴丸紋の棟瓦

津山城下町古絵図

津山松平藩主所用乗物
この乗物は、津山松平藩主が参勤交代の道中に用いたものである。駕籠の一種であるが、大名など身分の高い者が使用した豪華なものは乗物と称して区別される。

■鶴山館

鶴山館
冠木門東側の三ノ丸(東南)に、明治38年、旧藩・修道館を移築した建物。


鶴山館内部

津山城下町見取図

鶴山館付近から眺めた津山市街地

■衆楽園
国指定名勝(平成14年9月20日指定)
旧津山藩別邸庭園(衆楽園)

 衆楽園(しゅうらくえん)は、津山藩主・森長継が明暦年間(1655〜1658)京都から小堀遠州流の作庭師を招いて築いた大名庭園です。当時の面積は23,504坪と現在の3倍近い広大なもので、御殿が造られ城主の清遊の場となっていました。津山藩では防衛のうえから城内に他藩の使者を入れず、ここで対応したので「御対面所」と呼ばれました。

 その後、森氏にかわって入封した松平氏に引き継がれましたが明治3年正月、時の藩主・松平慶倫が「衆楽園」と命名し公園として一般に公開しました。明治4年の廃藩後、多くの建物が取りこわされ規模も縮小して一時「偕楽園」また「津山公園」と改称されましたが、幸いにして園池の主要部分は残り、大正14年再び「衆楽園」と改称し現在に至っています。
 この庭園は京都の仙洞(せんとう)御所を模したもので、明暦の創園当時から伝わる建物としては余芳閣が残っています。

南北に長い池に大小4つの島を配し周囲の中国山地を借景とした構成は近世池泉廻遊式庭園の典型であり、江戸時代初期の大名庭園のおもかげをよく残しています。

衆楽園出入口(入園無料)

御対面所
現在の余芳閣(左)・迎賓館(右)


池泉(ちせん)
池を海に見立てて、できるだけ自然にさりげなく見せている。

徽軫灯籠
徽軫灯籠(ことじとうろう)は、珍しい二本の足で、足の形が琴柱(ことじ)に似ていることから名が付いたものである。

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