このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鉄道原風景
─ 寝台特急 ─



2009年3月、1往復だけ残っていた東京と九州方面を結ぶ寝台特急が 廃止されました。落ち着いた青色で塗られた車体は「ブルートレイン」 と呼ばれ、寝台特急の代名詞でした。
(東京-四国・山陰方面の寝台列車(客車ではなく電車)は残っています)

はるか遠い昔(中学生の頃)、名古屋市内南部に住んでおりました。
名古屋駅より北、岐阜方面は北陸方面の特急「しらさぎ」や高山方面の「ひだ」 「のりくら」が通っていて華やかなのですが、南部の熱田、笠寺方面は オレンジと緑に塗られた「各駅停車」か「快速電車」しか通りません。
ところが、時刻表を隅々まで眺めているうち、早朝に九州方面から東京 へ向かう寝台特急があることに気づきました。
夏至の頃なら明るい時間です。しかも、東海道線までは自転車で15分ぐらい。
6時50分頃、熱田、笠寺付近を通過する「さくら」を見てから自宅へ帰っても 学校へ行ける時刻です。平日に見に行けるのです。
当時(1972年頃)、博多、下関発の「あさかぜ」が3本、西鹿児島(現・鹿児島中央) 発、宮崎回りの「富士」、熊本回りの「はやぶさ」、熊本・長崎発の 「みずほ」、長崎・佐世保発の「さくら」の合計7本がありました。

上にご紹介する写真は、左は熱田-笠寺の山崎川を渡る東京行き上り特急「さくら」。(1972年6月)
右は名古屋駅0番線に入る上り「さくら」。名古屋駅が現在のツインタワーに建て替えられる前です。
下の写真は
(左上)小田原付近、宇野発「瀬戸」現在は本四連絡橋を渡り、高松と東京を結ぶ 「サンライズ瀬戸」となって車両が変わって運転が続いています。(1975年8月)
(右上)小田原の手前、根府川鉄橋を渡る「はやぶさ」(1975年8月)
(左下)小田原の手前、根府川鉄橋を渡る「さくら」(1975年8月)
(右上)大高-共和間、「みずほ」



下の2枚は最近(2008年7月)の撮影。「はやぶさ(熊本発)/富士(大分発)」昔とは先頭の機関車が変わっています。
(左)西岡崎-岡崎間。矢作(やはぎ)川。(右)矢作川堤防に登る築堤。

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