このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

紀勢線全通50周年記念
─ 漁村 ─



どんなところかもわからず、フラリと降り立ったのが、二木島という漁村 でした。
朝靄が山の上へと次第に晴れていく中、やってきた各駅停車。(924列車:1975年7月31日撮影)
再び、ここを訪れることはないだろう、と思っていましたが、 この漁村の雰囲気が忘れられず、何度も足を運ぶことになりました。



1975年7月31日、初めてここを訪れた目的はこの列車でした。

東京発紀伊勝浦行、寝台特急「紀伊」(東京20:40→紀伊勝浦7:18)
東海道、山陽線という大幹線から寝台特急が消える、という時代からは 想像がつかないかもしれません。(「紀伊」は1984.2.廃止されています)
当時、名古屋23:58発、紀伊勝浦行夜行急行「紀州5号」というのがあって、 これを利用しました。「釣り」のお客さんが利用する列車でした。
(下)二木島駅を通過する急行列車。 当時は海側に退避線があって、上下列車の行違いができる駅でした。
駅員もいて、通票を交換する作業も見られました。
(現在、退避線は撤去され、無人駅となっています)

朝の二木島駅での撮影後、海の見える場所がないかと、 熊野方面への列車に乗り、降り立ったのが「波田須」という小さな停車場でした。
(下)停車場を通過する急行列車。

(下)名古屋発天王寺行特急列車「くろしお」


ここも、再び訪れることはないだろう、と思っていましたが、 結局、何度も足を運ぶことになりました。


波田須での撮影を終え、帰路、撮影したもの。
紀勢線は和歌山、紀伊田辺周辺の一部区間を除き、殆どの区間が単線でした。
単線区間は「通票閉塞式」といって駅間毎に通行票を交換しながら 通行していきます。

写真左:前駅からの通票を落として通過する特急「くろしお」(紀伊長島駅)
(写真右端のラセンに通票(キャリア)が投げ込まれています。
列車側面に出ているのはキャッチャ。これで次駅への通票を受け取っていきます。)
写真右:次駅への通票を受け取り、通過する急行「紀州/くまの」(賀田(かた)駅)



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