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諏訪三十三ヶ所観音霊場
一番から十番札所

一番
鹿島山 三光寺
かしまざんさんこうじ


花菱の寺紋が素敵!

こんなところにも花菱
ももか的がいど
山梨と長野県境近くの蔦木の地は、かつて甲州領だったそうです。
諏訪と甲斐の間にあって幾多の戦いの舞台となったこの地が、化粧料として諏訪の所有となったのは、両国が和睦し武田信虎の娘・禰々が諏訪頼重に嫁いだ時でした。
それよりもずっと昔に開かれた三光寺は、元の名を真如山満願寺といい、真言宗に属し甲斐の武田信重によって創られました。天正2年
(1574)に門鶴和尚により曹洞宗に改宗。以後移転を繰り返し、名も改め、江戸時代に鹿島山の麓である蔦木に移ったようです。同じ頃、蔦木に宿場町が形成されました。甲州道中を歩き、甲斐から信濃に入った最初の宿場町がこの蔦木宿で、江戸から数えて43番目の宿。宿場町の賑わいの中で、多くの旅人が道中の安全を祈ったことでしょう。元禄7年(1694)、諏訪高島藩初代藩主・諏訪頼水により再開基され、頼岳寺四世群亀応逸和尚を勧請し開山としました。 現在は頼岳寺の末寺にあたります。
「三光寺観音」と呼ばれる観音様は寛政7年
(1630)以前の作といわれ、総丈3尺5寸。観音様の舟形光背は、古ぼけていたけれども金色に輝いていて、とても素晴らしいのです。
山門前の寒紅梅は毎年、諏訪の春の訪れをを寿いでいます。武田氏所縁とあって所縁の寺紋が印象的です。

宗派/曹洞宗
開山/元禄7年(1694)群亀応逸 
本尊/釈迦如来 
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場1番(聖観音)
 諏訪郡霊場百番札所東26番
   
御詠歌「ほそ道を蔦木にからむ唐錦 みみょう薩たの導きもかな」
 諏訪八十八ヶ所霊場7番
   
御詠歌「人間の八苦を早くのがれなよ 極楽浄土かみも蔦木も」
■富士見町落合上蔦木2614 TEL0266−64−2001 *地名は上蔦木(かみつたき)

二番
神澤山 瑞雲寺
しんたくざんずいうんじ


明るい山門前には
お地蔵さん


印象的な
大願観世音数珠
ももか的がいど
古くは入笠山の中腹、牛首地籍に建立。文明18年(1486)四賀桑原の僧・祖峰は、薬師如来と守護神十二神将の三度の夢のお告げにより入山したと伝えられます。江戸時代になり甲州街道が整備されると、寺を神澤の地に移し、更に智音和尚の代である貞享5年(1688)に、現在の御射山神戸に移転しました。
安永5年
(1776)に開山を頼岳寺十三世提山見全和尚、開基を二の丸諏訪家家老とし、曹洞宗のお寺となりました。平成に至り、様々な縁(えにし)に導かれた仏様を新たに迎え、また曹洞宗には珍しくも祈祷殿に大日如来も安置。龍蝋という変わった蝋燭が何本もあったのが印象的です。玄関には三面出世大黒天もお祀りされています。
毎朝のお勤め坐禅もあり、温かい雰囲気に包まれているお寺です。
本堂前には108個の数珠玉で作られた巨大数珠が。 これをカラカラとまわしてお参りします。 明治の初めにお堂の茅屋根に根付いた桜の幼木を、本堂正面の庭に植え替えると、やがて大木に成長しました。しかし近年桜は枯れてしまい、何か記念に残るものをと考えていたところ、檀家の中に器用にも木を丸くする事に長けていた人がいて、このような形に生まれ変わったそうです。珍しいので同じものを作ったお寺もあるのだとか。因みに本堂は昭和41年
(1966)にトタンに葺き替えられました。
境内の薬師堂は、現在地区管理となっていますが、こちらには祖峰和尚以来の薬師如来を迎え、御詠歌額が残されています。
宗派/曹洞宗
創建/文明18年
(1486祖峰
開山/安永5年
(1776)堤山見全
本尊/釈迦如来 
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場2番(前立十一面観音)
 諏訪郡霊場百番札所東終番(薬師堂)*薬師堂御朱印は地区の管理になっています(平成23年4月現在) 
   御詠歌「瑠璃の峰越えておさおさ御射山の 名残り惜しくもここにおいつる」
        「補陀落をここに示しかさしも草 しばしは詠歌聞くも極楽」

■諏訪郡富士見町御射山神戸10706 TEL0266−62−5168 *地名は神戸(ごうど)
 
三番
金鶏山 泉長寺
きんけいざんせんちょうじ

「佛法僧」の山額

数多の人が触れた
「おてつき石」
ももか的がいど
元は金沢半僧山の麓、半僧川の元屋敷地籍にあったお堂が前身といわれ、下青柳の地に移り青柳寺と称しました。
この辺りは青柳宿がありました。しかし度重なる宮川の氾濫や大火に見舞われ、慶安3年
(1650)の大火の翌年にそれまであった宿場町を南へ移しました。この時、名も金澤宿と改めます。この新しい宿場町の名「金澤」は「金鶏金山」に由来。「金鶏」とは金の鉱脈が鶏型に似ているところからきている名なのだそうです。武田信玄もこの金鉱脈に目をつけ、甲州金として供出させており、現在でも僅かながら採掘の名残を見る事が出来ます。青柳寺も承応年間中(1652−1654)に泉長寺に改称し、やがて現在地に移りました。その後、何度かの火災に遭い、宝物や古記録が失われたそうです。
本堂には正徳年間中
(1711−1715)に愛宕山地蔵寺より贈られたという、諏訪家梅香院の本尊であった釈迦如来ほか脇士文殊菩薩・普賢菩薩などが安置されています。近年本堂は新しくなり、境内には霊場百番札所中16番の御詠歌が刻まれた石が建っています。
門前右側には「おてつき石(くつぬぎ石)」という平たい石があり、他郷から金澤宿に入ろうとする者はこの石に手をついて物申さねばならない決まりになっていました。通行の可否は名主の判断であったとか。宿場町の名残が僅かに残る金澤の、歴史の生き証人です。
宗派/曹洞宗
開山/安永5年
(1776)堤山見全
本尊/釈迦如来
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場3番(聖観音)
 諏訪郡霊場百番札所中16番
   御詠歌「後の世の種をいまから泉長寺 無量宝珠も金沢の宿」
 諏訪八十八ヶ所霊場16番
   御詠歌「わすれても金鶏山の金間府
も 西方世界弥陀の浄土へ」
■茅野市金沢仲町1174
 TEL0266−73−6597 *地名は金沢(かなざわ)
四番
円通山 宗湖寺
えんつうざんそうこじ

重々しい
赤い屋根が特徴


地元では有名なお水
ももか的がいど
諏訪頼忠は、武田氏や織田氏などに蹂躙されるという激動の諏訪の戦乱の世を生き抜き、一時は武州・上州に移る事もありましたが、遂に諏訪の地でその生涯を全うし、向富山永明寺に葬られました。永明寺は極楽寺・金剛寺・法明寺・光明寺と共に上原五山の一つとして栄えていたお寺で、開基は頼忠の祖父頼満です。しかし、寛永7年(1630)に寺に駆け込んできた科人の引渡しを拒否した事から、頼忠の子・諏訪高島藩初代頼水によって破却されてしまいました。翌年代わって少林山頼岳寺が建てられました。この時、お寺の本尊や什器と共に、頼忠(永明寺殿)と頼忠室(理昌院殿)の墓も移りました。そして頼岳寺境内には位牌所として宗湖庵(頼忠)と理昌院(頼忠室)が建立されました。宗湖庵は参道右側の裏大門南側辺りに建てられたといいます。
後、文政5年
(1822)に頼岳寺十九世覚海真禅和尚により、茅野村への移転願いが出され、元々あった千松庵の場所に宗湖庵を移転し文政11年(1828)開山。千松庵は頼岳寺末寺で、千昌庵・泉松庵・仙松庵とも書かれた寺でしたが、これにより廃寺となりました。宗湖庵の移転の理由としては、5代藩主諏訪忠林の側室宗寿院(山田氏)が子を成さぬまま没し、後に7代藩主忠粛夫人眞操院の願いにより山田の名跡を三の丸千野家老の娘に継がせる事となり、山田家の創立に際し宗湖庵を菩提寺とした事もあるようです。昭和21年(1946)2月宗湖寺と改称。
境内には法の真水
(のりのましみず)があります。上社木落し坂の下にあり、今はトタンが被せられていますがその赤い屋根の形は信州らしい趣きをしています。
宗派/曹洞宗
開山/文政11年
(1828)覚海真禅
本尊/聖観音
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場4番(聖観音)
 諏訪郡霊場百番札所中18番(聖観音)
   御詠歌「もものちの無量薩たの観世音 西の浄土へ誓い給えや」
■茅野市宮川茅野4694−3
 TEL0266−72−2793 *地名は宮川(みやがわ)
五番
清龍山 長
せいりゅうざんちょうえんじ

大隈流の鐘楼門
秋はモミジと銀杏が美しい


圧巻の百体観音石仏は
幕末に奉納された
ももか的がいど
玉川山田の外屋敷にあった小堂が始まりとされます。初代住職武田慶尊法印は諏訪高島藩2代藩主諏訪忠恒より境内地を賜り、慶安2年(1649)高野山金剛峯寺金剛頂院の法流を相続して開山、要穴山胎蔵院長圓寺を創建しました。その後火災により伽藍が焼失、諸堂を再建し、火伏の為に山号を清龍山と改めました。本尊は金剛界大日如来で脇侍に不動明王と愛染明王を祀ります。
霊場としては薬師如来が有名です。上社神宮寺の寺内平地籍(上社御柱の三の柱と四の柱の間の辺り)にあった薬師堂は鷲峰山法華寺が管理していました。本尊の薬師如来像は三河国の鳳来山の峰ノ薬師と同木といい、御利益が多い事で知られ、諏訪明神の本地仏として普段は秘仏とされていましたが、法華寺は財政に困ってくると御開帳をして凌いでいたという記録があるのだそうです。この薬師如来は鎌倉時代の春日の仏師作と伝えられ、日本三大薬師如来とも呼ばれています。明治の廃仏毀釈の折に長寺に移され、薬師堂に安置。現在、両脇士の月光菩薩日光菩薩とともに厨子の中に安置されています。御開帳は年に一度。
諏訪では紅葉の寺として知られ、楓の深く赤い色合いは素晴らしく、秋にはこの静かな山里の道が朝から渋滞が出来るほどに賑わいます。夜のライトアップや時折開かれる小さなコンサートも人気。御柱街道に面している為、七年に一度の諏訪大社の御柱祭山出祭の際は、寺前が人で埋め尽くされるのも風物となっています。
本堂前にあるセンダバノボダイジュは茅野市天然記念物。境内の水琴窟も注目。お漬物も美味しいです。
宗派/真言宗
開基/武田慶尊
本尊/金剛界大日如来 脇侍/不動明王・愛染明王
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場5番(薬師堂・千手観音)
 中部四十九薬師霊場8番(薬師堂・薬師如来)
*上社本地仏
 諏訪郡霊場百番札所東13番
   御詠歌「願わくば三界流転あなやまも 出離生死と誓いたまえや」
■茅野市玉川穴山11373 TEL0266−79−3720 *地名は穴山(あなやま)

六番
長河山 真徳密寺
ちょうかさんしんとくみつじ

石造りの冠木門

安政年間、宣禅代建立の
観世音碑


阿弥陀堂に掲げられた
御詠歌額
ももか的がいど
元は真言宗古義派高野山金剛頂院末でしたが、明治時代に真言宗智山派智積院に属し、現在に至ります。
現在の東京理科大学上方の梨ノ木地籍には鎌倉時代に徳阿弥寺というお寺が存在し、この草庵が前身といわれています。鎌倉時代に高野山宝性院宥快によって開山。真徳寺一帯は、三方を河川に囲まれた要害でしたが、天正10年
(1583)に織田軍による諏訪攻めの折に焼失、荒廃してしまいます。同19年(1592)祐仙法印によって中興、現在の地に再建されました。享和2年(1802)に再び焼失し2年後に再建。現在の建物は平成に至り新築されたものです。諏訪高島藩主の巡検や鷹狩の際の本陣ともなった故に上段の間(殿様座敷)や御家老座敷を見る事が出来ます。
平成20年
(2008)には本堂外陣の格子天井に植物細密画136枚が奉納されました。現代的な題材が選ばれてはいるものの、天井画として納められると上手く調和しています。また現住職さんが選んだという和紙製の照明がほんのりと淡い光を照らし出し、美しく華やかな空間を作り上げています。
初代の梵鐘は享和12年
(1728)に鋳造されましたが、太平洋戦争の折に供出され、現在の鐘は昭和33年(1959)に再鋳されたものです。諏訪地方の梵鐘の多くは、昭和の最中に同じ道を辿り、再鋳されたものが多いのです。
境内には阿弥陀堂があり、この中に聖観音も祀られています。阿弥陀堂は元々両古田の人々が祀っていましたが、後に真徳寺境内に御堂を建てて祀ったといいます。軒には御詠歌額が掲げられています。
宗派/真言宗智山派
開山/宝性宥快 中興/寛永2年
(1625)祐仙
本尊/胎蔵界大日如来
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場6番(阿弥陀堂・聖観音)
 諏訪郡霊場百番札所中9番(阿弥陀堂・聖観音)
   御詠歌「真あれば徳あらたなる観世音 薩たの誓いもありがたの世や」
■茅野市豊平下古田6629
 TEL0266−72−4412

七番
硫黄山
泉渋院恭謙寺
いおうざん
せんじゅういんきょうけんじ

落ち着いた境内

寒い冬には滝の水も凍る
ももか的がいど
東山道が通り、信濃国大山寺があった場所と伝えられ、古御堂地籍にあったお堂が前身で、延命地蔵を本尊としていました。また武田信玄が渋の湯で傷を癒したのを機に八幡社を鎮守し、泉渋院を創設したともいわれています。
古御堂からの移転当時は松林山長福寺泉渋院といい、雑木の山を背にした村には松がなかった事から「松林」を山号に、「泉の渋(鉄分を含む鉱泉の意)、日々繁盛する故」長福寺と号して院号を千手院と書いた事もあったそうです。後に硫黄山恭謙寺に改めました。
明治に入り、この北山の地では火災が相次ぎました。泉渋院も明治19年(18866月に本堂から出火焼失し、古い記録が失われてしまいました。後、再建。近年内部を改修した本堂には本尊阿弥陀如来を安置。至るところに葵紋が多くみられて色彩豊かです。また広隆寺の弥勒菩薩の模倣仏も安置。対照的に外側は昔ながらの古めかしさを保っています。境内にある岩滝庭園は昭和53年
(1978)作庭のもの。
宗派/浄土宗
中興開山/天正6年
(1578)生蓮社岌往親阿
本尊/阿弥陀如来
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場7番(馬頭観音)
 諏訪郡霊場百番札所東5番
   御詠歌「観音の誓い頼みと硫黄山 芹が沢べに泉わく寺」
 諏訪八十八ヶ所霊場73番
   御詠歌「ありながら出でて摘まばや芹ヶ沢 大悲大師の影ぞとうとき」
■茅野市北山芹ヶ沢6762 TEL0266−78−2270 *地名は北山、芹ヶ沢(きたやま、せりがさわ)

八番
蓼科山 聖光寺
たてしなさんしょうこうじ

奈良のにほひを感じますね

満開の桜!
ももか的がいど
信州には珍しい法相宗のお寺で、奈良薬師寺別院。本堂の屋根には鴟尾が見られるなど奈良時代の建物を模しています。山門は平安時代の趣き。
寺の歴史は40年程と新しく、トヨタ自動車販売株式会社社長神谷氏により発願、トヨタ自動車関係諸社が施主となり創建されました。交通安全の祈願・交通事故遭難者の慰霊・負傷者の早期快復の祈祷を三大寺命に掲げています。交通安全に関わるお寺を、交通に関わる自動車会社が創ったのでした。
桜の寺として人気が高く、蓼科湖近くの標高1200mの高地にあって、5月の連休前後に諏訪地方では最も遅い桜を楽しむ事が出来ます。境内に植えられているソメイヨシノは約300本。ソメイヨシノの分布としては本州最高地となります。 とても綺麗なんですよ。高原の早い秋には紅葉した桜葉を楽しむ事も出来ます。寺紋は藤の丸に揚げ葉蝶。
宗派/法相宗
創建/昭和45年
(1970)
本尊/救苦観世音菩薩(交通安全観世音菩薩) 脇侍/アサンガ・ヴァスバンドゥ
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場8番(救苦観世音菩薩)
■茅野市北山蓼科高原4035(蓼科湖畔)
 TEL0266−67−2397 *地名は蓼科(たてしな)
九番
金台山
八水院功徳寺
こんたいさん
はっすいいんくどくじ

街道に面して建つお寺

薬師堂には御詠歌額も
ももか的がいど
諏訪から佐久平に抜ける大門街道に面したお寺。道沿いにある松は宿場町の名残なのだとか。
功徳寺は武田信玄による諏訪統治が始まってまもなく、願誉上人によって開かれました。願誉上人遷化の後の天正元年
(1573)に、堂宇は悉く焼失。本堂と庫裏はまもなく再建されたと伝えられています。
大門街道は武田軍による信濃攻略の道でもあり、功徳寺も武田信玄との関わりが深く、永禄年間の川中島合戦の折には宿所になった事もあったとか。お寺には信玄の念持仏と伝えられる薬師如来立像(薬師堂本尊)と、本尊の阿弥陀如来(開山堂)が安置されています。阿弥陀如来は善光寺如来とも呼ばれ、その別称の如く善光寺様式です。信玄が長野の善光寺如来を甲府へと移す際に、功徳寺に一夜泊まったのだそうです。そして後に模倣仏として阿弥陀如来を造り安置したといいます。
また、裏手にある湯川城(址)は信玄築城といわれています。今は長閑な片田舎の雰囲気がありますが、この辺りは砦のように起伏が激しく、諏訪や佐久の武将達にとっては領地争いの重要拠点だったようです。

明治17年(1884)焼失、同22年(1889)5月再建。寺紋は長野善光寺と同じ立葵。現在の鐘は太平洋戦争の折に供出された後の鋳造のものですが、初代の鐘は小坂観音へと持ち運ぼうとしたところ、竜神の怒りに触れて諏訪湖深く沈んだといい、時折鐘が湖底から響いたと昔話は伝えます。
宗派/浄土宗
開山/天文15年
(1546)遵蓮社願誉栄海 中興開山/天正3年(1575)生蓮社岌往親阿
本尊/阿弥陀如来
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場9番(薬師堂・聖観世音菩薩)
 諏訪郡霊場百番札所東4番
   御詠歌「湯川にもだせん衆生を導くは 巡礼したる慈悲の功徳寺」
 諏訪八十八ヶ所霊場72番
   御詠歌「功徳せよ人のためなり今ぞ知る 峠も近し迷いこそすれ」
■茅野市北山湯川4447 TEL0266−78−2345 *地名は北山、湯川(きたやま、ゆかわ)

十番
向陽山 宝勝寺
こうようざんほうしょうじ

いつまでも留めておきたい
そんな、お寺


お寺から見る八ヶ岳が
素晴らしい
ももか的がいど
交通の要所である北大塩の地にあります。創建年は不詳で、寛文4年(1664)頼岳寺二世雲峰吟誾悦和尚を招き中興開山。この時開基となった諏訪安芸守頼満は、文明の内訌(1483年)の折、上社神殿で一族の諏訪継満(上社大祝家)・金刺興春(下社大祝家)・高遠継宗らに父政満を殺され、10歳で家督を継いだ人物で、のちに諏訪氏中興の祖と称されます。また諏訪頼重の祖父にあたります。
現在は諏訪頼岳寺末寺ですが、その歴史は本寺よりも古く、風穴山龍雲寺・鹿島山三光寺・愛宕山地蔵寺と共に末寺中の上四ヵ寺の格式を持ち、また末寺筆頭として門主の地位にあります。
鐘楼門には宝暦5年
(1755)七世官牛代作と伝わる石の仁王像が立っています。欠損が痛々しいのですが、これは火災の折に鐘楼も焼け頭上の鐘が落下した名残なのだとか。茅葺き屋根の建物が姿を消していく中で、庫裏と衆寮(舞台)は未だ茅葺きで、田園もろとも田舎の温かみを持った風景が残るお寺です。
百番霊場の御詠歌額は「坂東一番」として本堂の中の三十三観音と対峙して掛けられています。
宗派/曹洞宗
中興開山/寛文4年
(1664)雲峰誾悦
開基/諏訪頼満
本尊/釈迦如来
札所/
 諏訪三十三ヶ所観音霊場10番(十一面観音)
 諏訪郡霊場百番札所東1番
   御詠歌「後世菩提みちて北大塩ながら 大慈大悲のたからかつてら」
■茅野市米沢北大塩5631 TEL0266−72−4850 *地名は米沢、北大塩(よねざわ、きたおおしお)

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