このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

神の斎田
〜藤島神社〜

大人が潜るのには低すぎる鳥居。
そこには結界を感じる。
境内にはこの名に表される
藤の棚が。
今は社地横を高速道路が走り、
宅地化が進む。
昔は一面の田畑と共に
この社も斎田もあったのだろうか。

『諏訪大明神絵詞』によれば、原住民であった洩矢神は建御名方命の諏訪入りを阻もうとしました。即ち宮川の流れを挟んで、鉄の輪(かぎ)を、建御名方命は藤の枝(蔓)を持って戦ったのだと。建御名方命が藤枝を投げるとそれはたちまちにして根付き、葉を茂らせ花を咲かせたといわれています。藤島の名はここに生じる訳ですが、上社の斎田に隣接した沼地に小さな島があって、そこには実際に藤の古木が神木として祀られていたようです。鎌倉時代には農耕の神として畏敬を持って仰がれていたという記述が残ります。祭神は藤島明神。一説に木花開耶比売命を当てるのはこれ故なのでしょうか。
昭和50年代に中央高速道路が諏訪地方を縦断する形で建設され、多くの古地や寺社が移転や地籍消滅を余儀なくされました。この藤島社もその一つで、現在地に遷されています。


ここでは上社の神事の一つ御田植祭が行われます。その歴史は室町時代に遡り、大祝を始め五官の神人や巫女もこれに参加しました。雅楽が催され鼓や笛が鳴らされ歌舞があるなど、賑やかなものだったようです。下社の 御作田社 で行われる御田植えと同様に、昔は6月晦日に行われ八月朔日に神前に供えられていました。現在は諏訪地方が田植えに入る頃合に期日を決めて行われ、6月の第一日曜日を当てる事が多いようです。早乙女は旧十八ヶ村から選ばれます。

諏訪にはもう一つ、藤島神社があります。天竜川河口近くにあり建御名方命が陣を敷いたとされる場所に鎮座。二つの藤島社の距離はかなり離れています。
*こちらの藤島社に関しては 「藤島神社」
「洩矢神社」 を参考にどうぞ。

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