このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

〜 雪月花 新撰組異聞 編 〜


〜 瀧の幻 われてもすゑにあはむとぞ思ふ 〜


〜 改訂版 〜


登場人物

土方歳三、沖田総司、斉藤一、市村鉄之助




「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ」

「小倉百人一首 七十七番」、及び、「詞花集」、より

作者:崇徳院(すとくいん)




夏から秋に掛けての頃。



幕府軍と薩長中心の新政府軍の戦いが続いている。



土方歳三は戦いの最中に足を怪我した関係で、医師の治療を受けている。

会津には良い温泉が在る。

医師の勧めで、温泉で湯治をするようになった。



土方歳三は会津の温泉地に近い宿や寺で療養している。



今は朝。



ここは、会津。



土方歳三の療養先の一つになる寺の傍に在る山。



近藤勇の墓が在る場所。



辺りは静かな雰囲気に包まれている。



市村鉄之助は山道を普通に登ってきた。



市村鉄之助は近藤勇の墓の前に静かに歩いてきた。



市村鉄之助は近藤勇の墓に静かに話し出す。

「近藤先生。お早うございます。」

市村鉄之助は近藤勇の墓に静かに話し出す。

「土方先生が近藤先生の元を毎日のように訪ねています。近藤先生と土方先生の迷惑にならないように、更に早く来ました。」

市村鉄之助は近藤勇の墓に静かに話し出す。

「土方先生は、私が未熟者なので、心配して気遣っています。土方先生が、私に温泉に一緒に浸かるように話したのも、私を励ますためだと思います。私は、土方先生の怪我が早く治るように努力していますが、役に立っていません。私は、更に精進して、土方先生の役に立ちたいです。」

市村鉄之助は近藤勇の墓に静かに話し出す。

「長く留守にすると、土方先生が心配します。戻ります。」

市村鉄之助は近藤勇の墓に真剣な表情で軽く礼をした。



市村鉄之助は山道を普通に下り始めた。



少し後の事。



ここは、会津。



土方歳三の療養先の一つになる寺。



本堂。



土方歳三は普通に居る。



市村鉄之助は汗をかきながら、慌てて現れた。



土方歳三は市村鉄之助を普通の表情で見た。

市村鉄之助は土方歳三に慌てて礼をした。

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「鉄之助。何をしていた?」

市村鉄之助は土方歳三に慌てて話し出す。

「散歩です!」

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「物凄く早く起きて散歩をしたのか?」

市村鉄之助は土方歳三に慌てて話し出す。

「はい!」

土方歳三は市村鉄之助を普通の表情で見た。

市村鉄之助は土方歳三を動揺して見た。

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「鉄之助。俺も少し散歩する。」

市村鉄之助は土方歳三に慌てて話し出す。

「お供します!」

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「鉄之助。焦っている。汗をかいている。俺の散歩中に、気持ちを落ち着かせろ。俺は散歩が終わったら、温泉で湯治する。鉄之助に供を頼む。鉄之助は、俺と同時か俺の後に、温泉に浸かって汗を流せ。」

市村鉄之助は土方歳三に慌てて話し出す。

「土方先生の温泉地へのお供は喜んで受けます! 私が土方先生と同時に温泉に浸かっても、私が土方先生の後に温泉に浸かっても、土方先生の温泉の湯治の邪魔になります! 遠慮させてください!」

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「鉄之助。戦いを含める重大な事態が起きれば、身なりに気を遣う時間が減る。俺は療養中だから、重大な事態の場所に戻るまでに、僅かだが余裕がある。今の俺と今の鉄之助は、武士として身なりに気を遣う必要がある。」

市村鉄之助は土方歳三に真剣な表情で話し出す。

「土方先生の温泉地へお供します! 温泉に浸かって汗を流します!」

土方歳三は市村鉄之助に普通の表情で頷いた。

市村鉄之助は土方歳三を真剣な表情で見た。

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「鉄之助。行ってくる。」

市村鉄之助は土方歳三に真剣な表情で礼をした。

土方歳三は市村鉄之助に普通の表情で頷いた。



土方歳三は本堂を普通に出て行った。



暫く後の事。



ここは、会津。



温泉地。



滝の音が絶え間なく聞こえる。



川が勢い良く流れている。



温泉からも滝が見える。



温泉からは湯気が立ち昇っている。



土方歳三は温泉に普通の表情で浸かっている。



土方歳三は温泉に浸かり、滝を普通の表情で見た。



滝の下で白波が立っている。



温泉の湯気が土方歳三の視線を包んだ。



川が揺らめいて見える。

滝も揺らめいて見える。



土方歳三は温泉に浸かり、川と滝を普通の表情で見た。



暫く後の事。



ここは、会津。



温泉地。



川の近く。



土方歳三は普通に涼んでいる。

市村鉄之助は微笑んで涼んでいる。



土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「鉄之助。突然だが、“小倉百人一首 七十七番”の歌を覚えているか?」

市村鉄之助は土方歳三に微笑んで話し出す。

「はい。」

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「鉄之助。“小倉百人一首 七十七番”の歌を詠め。“小倉百人一首 七十七番”の作者を言え。」

市村鉄之助は土方歳三に微笑んで話し出す。

「“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”。作者は、“崇徳院”、です。」

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「合っている。」

市村鉄之助は土方歳三を笑顔で見た。

土方歳三は滝と川を普通の表情で見た。

市村鉄之助は土方歳三を笑顔で見ている。

土方歳三は市村鉄之助を見ると、市村鉄之助に普通に話し出す。

「鉄之助。今は戦いが続いているが、戦いは必ず終わる。戦いが続く間は無理だと思うが、戦いが終わったら、“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”と想う相手に必ず逢え。」

市村鉄之助は土方歳三に微笑んで話し出す。

「私は土方先生と逢っています。私は歌のように想う人物と逢っています。」

土方歳三は市村鉄之助に普通に話し出す。

「“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”と想う相手は、男性同士より、男性女性が相応しい。鉄之助。幾月幾年を費やしても構わない。必ず逢う信念で生きろ。」

市村鉄之助は土方歳三に恥ずかしく話し出す。

「はい。」

土方歳三は市村鉄之助を普通の表情で見た。

市村鉄之助は土方歳三を微笑んで見た。



幾つかの季節が過ぎた。



今は夏。



幕府側と新政府側の北の大地での戦いは、新政府側の勝利で終わっている。



市村鉄之助は土方歳三の命令により、函館を脱出して多摩に向う最中になる。



市村鉄之助は頼る人物が居ない状況の中で、寝食関係を確保しながら、多摩へと僅かずつ近付いている。



今は夜。



ここは、函館から遠く離れた場所。



月が綺麗に輝いている。



小屋。



市村鉄之助は横になって静かに寝ている。



土方歳三の穏やかな声が、市村鉄之の元に微かに聞こえた。

「鉄之助。今は戦いが続いているが、戦いは必ず終わる。戦いが続く間は無理だと思うが、戦いが終わったら、“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”と想う相手に必ず逢え。」

土方歳三の穏やかな声が、市村鉄之の元に微かに聞こえた。

「“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”と想う相手は、男性同士より、男性女性が相応しい。鉄之助。幾月幾年を費やしても構わない。必ず逢う信念で生きろ。」



市村鉄之助は静かに体を起こした。

市村鉄之助は辺りを不思議な様子で見た。



辺りに変わった様子は無い。

辺りに危険な様子も無い。



市村鉄之助は月を見ると、真剣な表情で呟いた。

「土方先生。斉藤先生を含めた会津に残った新撰組隊士が、会津の地の戦いで亡くなった話が伝わりました。後に、斉藤先生を含めた数名の隊士の無事が分かりました。土方先生は強い人物です。土方先生の無事の話を聞く可能性は充分にあります。土方先生。私は今も未熟者です。土方先生から頂いた命令を終えてから、“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”と想う相手に逢う方法を考えます。」



市村鉄之助は月を見ながら、真剣な表情で呟いた。

「土方先生。体力を回復させるために、再び横になって休みます。」



市村鉄之助は静かに横になると、直ぐに目を閉じた。



少し後の事。



ここは、函館から遠く離れた場所。



月が綺麗に輝いている。



一軒の家。



一室。



武士姿の男性が横になって静かに寝ている。



沖田総司が斉藤一に自慢して話し出す。

「斉藤さん。“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”。歌をしっかりと覚えました。」

斉藤一は沖田総司に普通に話し出す。

「想像より早く覚えたな。」

沖田総司は斉藤一を自慢して見た。

斉藤一は沖田総司を普通の表情で見た。

沖田総司は斉藤一に微笑んで話し出す。

「斉藤さん。私にとって、“われてもすゑに あはむとぞ思ふ”に該当する人物は、斉藤さんです。」

斉藤一は沖田総司に普通に話し出す。

「“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”。相応しい組み合わせは、男性同士ではなく、男性女性だ。」

沖田総司は斉藤一に微笑んで話し出す。

「斉藤さん。細かい内容を考えるのは止めましょう。」

斉藤一は沖田総司に普通に話し出す。

「俺より他に“瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ”に該当する人物が居るだろ。」

沖田総司は斉藤一を微笑んで見た。

斉藤一は沖田総司に普通に話し出す。

「総司。思い出す人物が居るのだろ。総司が思い出す人物を教えろ。」

沖田総司は斉藤一を赤面して見た。

斉藤一は沖田総司に普通に話し出す。

「総司。早く教えろ。」

沖田総司は斉藤一を赤面して動揺して見た。

斉藤一は沖田総司を普通の表情で見ている。



沖田総司は赤面して動揺して走り出した。



武士姿の男性は静かに体を起こした。



武士姿の男性は部屋の中を普通の表情で見た。



部屋の中に変わった様子は無い。



武士姿の男性は部屋の外を普通の表情で見た。



部屋の外に変わった様子はない。



武士姿の男性は辺りを見ながら、普通の表情で呟いた。

「以前に経験した記憶が無い内容の夢だ。もしかして寂しいのか?」



武士姿の男性は月を見ると、普通の表情で呟いた。

「寝る。」



武士姿の男性は静かに横になると、直ぐに目を閉じた。



「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ」

土方歳三、沖田総司、斉藤一、市村鉄之助が、歌の内容に該当する人物に逢えたのか。

答えは滝の音に包まれているため、誰にも分からない日々が続いている。




*      *      *      *      *      *




ここからは後書きになります。

この物語は既に掲載している物語の改訂版です。

改訂前の展開や雰囲気を出来るだけ残して改訂しました。

改訂前の物語を掲載するのは止めました。

以上、ご了承願います。

ここからは改訂前の後書きを加筆訂正して書きます。

この物語に登場する歌は「小倉百人一首 七十七番」、及び、「詞花集」

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われてもすゑに あはむとぞ思ふ」

ひらがなの読み方は「せをはやみ いわにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ」

作者は「崇徳院(すとくいん)」

歌の意味は「瀬の流れが急なように、人のうわさがひろがるのも早いものです。岩にせきとめられても分かれていく川の水のように、今はお別れしても、末にはきっとあなたとお逢いしたいと思います。」となるそうです。

生没年は、元永二年〜長寛二年(1119年〜1164年)です。

「滝川(たきがわ)」は「山の谷間などの急流」をいいます。

土方歳三さん、斉藤一さん、市村鉄之助さん、この物語について、簡単に補足します。

土方歳三さんは、戊辰戦争の中の宇都宮の戦いの最中に、足を負傷します。

そのため、慶応四年(1868年)四月下旬に、会津に来たそうです。

現在の暦で五月頃になります。

会津で数ヶ月ほど療養したそうです。

療養中に、医者などの勧めがあり、現在の会津若松市に在る東山温泉で湯治をした話が伝わっています。

土方歳三さんが湯治をした頃の東山温泉には、会津藩指定の共同湯が在りました。

土方歳三さんが湯治に通った温泉については、幾つかの逸話がありますが特定は出来ないそうです。

土方歳三さんは、会津での療養中に、近藤勇さんのお墓を会津に建てます。

近藤勇さんのお墓を建てた時に、斉藤一さんが会津に居たと伝わっているそうです。

そのため、斉藤一さんが近藤勇さんの遺髪を会津に運んだ、斉藤一さんは土方歳三さんの怪我の療養中に新撰組の組長代理として指揮していなかった、という説があります。

今回の物語では、斉藤一さんが近藤勇さんのお墓を建てた時に居た、斉藤一さんが近藤勇さんの遺髪を運んだ、どちらについても特定した内容は書いていません。

東山温泉には、川が流れていて、滝のように流れる場所や滝になっている場所があります。

土方歳三さんは、温泉の近くに在る寺(近藤勇さんのお墓が在る寺)で療養した時期があるそうです。

土方歳三さんは、慶応四年(1868年)八月頃に、戦線に復帰したそうです。

斉藤一さんは、幾つもの名前を名乗って過ごしていました。

物語の前半の時間設定時は、“山口次郎”さんと名乗っている可能性が高いようです。

斉藤一さんなどのように幾つもの名前を名乗って過ごすと、同一人物で複数の名前が登場します。

同一人物で複数の名前が登場すると分かり難くなると考えて、“斉藤一”さんの名前が一部の場面に登場しますが、他の場面では特定の名前で登場していません。

斉藤一さんは、函館に向かわず会津に残りました。

会津に残った新撰組隊士は、二十名ほどと伝わっています。

会津に残った新撰組隊士は、二十名ほどで或る場所を警護していました。

その時に、新政府側が攻撃してきたそうです。

この戦いで、会津に残った新撰組隊士は全員亡くなったと伝わった事があるそうです。

実際は、斉藤一さんを含めた数名の隊士は生き残りましたが、他の隊士の方達はこの戦いの中で亡くなったそうです。

市村鉄之助さんは、明治二年(1869年)五月頃に、土方歳三さんの命令で、函館を脱出し多摩へと向かいます。

物語の設定当時は、市村鉄之助さんは函館から多摩へと向かう最中のため、土方歳三さんと行動を別にしています。

市村鉄之助さんは、新撰組が京の町で活動中の時の隊士募集で入隊しました。

しかし、市村鉄之助さんは、隊士募集希望年齢以下だったそうです。

本来は、年齢制限で新撰組に入隊できませんが、土方歳三さんが特別に入隊を認めたそうです。

市村鉄之助さんは、土方歳三さん付きの小姓に就きます。

土方歳三さんは市村鉄之助さんを「頗る勝気、性亦怜悧」と表現したそうです。

土方歳三さんが市村鉄之助さんに函館から多摩に行けと命令した理由は、話したり記したりせずに亡くなったらしいので、分からないそうです。

土方歳三さんは、明治二年五月十一日(1869年6月20日)に戦いの中で亡くなります。

近藤勇さんは、慶応四年四月二十五日(1868年5月17日)に斬首により亡くなります。

沖田総司さんは、慶応四年五月三十日(1868年7月19日)に病のために亡くなります。

物語の設定当時は、斉藤一さん、市村鉄之助さんは、存命中、土方歳三さんは、物語の前半は存命中で物語の後半は亡くなっている、近藤勇さん、沖田総司さんは、亡くなっている、という状況です。

楽しんで頂けると嬉しいです。





←前            目次            次→


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください