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新撰組異聞外伝 〜 真澄の鏡 十月桜の咲く中で 〜


〜 後書き 〜


ここまで読んで頂いてありがとうございます。

ここからは後書きになります。

藤田五郎さんと藤田時尾さんに、二人目のお子さんが生まれる前後の物語です。

お二人の最初のお子さんは、藤田勉さんといいます。

明治九年(1876年)十二月十五日に生まれたそうです。

二人目のお子さんは、藤田剛さんといいます。

明治十二年(1879年)十月四日に生まれたそうです。

この出来事を「新撰組異聞外伝」の物語に当てはめると、敬一君と藤田五郎さんが出逢ってから、いくつかの季節は一巡りをして、二巡りをしている事になります。

後々の事になりますが、藤田五郎さんと藤田時尾さんには、藤田剛さんが生まれた後に、男の子が生またそうです。

その男の子のお子さんは、とてもお世話になった方がいて、その方が育てる事になったそうです。

藤田時尾さんの旧姓は、「高木」さんといいます。

高木小十郎さんと高木克子さんの長女として生まれています。

何人兄弟かは、はっきりとわかりませんが、弟さんが居ます。

藤田五郎さんは、もとは「山口一」さんという名前でしたが、いろいろと名前を変えて、藤田五郎さんと名乗る事になります。

藤田五郎さんには、兄と姉が一人ずついます。

藤田五郎さんと藤田時尾さんは、状況から考えると、「山口」と「高木」のどちらの家族とも一緒に住んでいないと思いました。

この場合、藤田時尾さんはどこで出産をするのかな、と考えました。

実家に戻って出産するとなると、妊娠中の藤田時尾さんと幼い藤田勉さんが、一緒に実家に帰れる距離なのかを考える必要が出てきます。

仮に、藤田時尾さんと勉さんが実家に戻ってしまうと、藤田五郎さんが一人になってしまいます。

当時の状況から考えると、藤田五郎さんが一人で家に残った場合は、炊事洗濯という家事は、手伝いの人がするという事になるのかなと考えました。

そうなると、藤田五郎さんの家に誰かが手伝いに来る必要が出てきます。

いろいろと考えると、藤田時尾さんは実家に戻らずに、藤田五郎さんの家に誰かが手伝いに来るのが、一番良いのではないかと考えました。

次に、藤田の家と高木の家のどちらの家族が手伝いにくるかと考えました。

藤田五郎さんは「山口」という氏を、当時は名乗っていませんでした。

藤田という氏は、藤田時尾さん側に関係の有る氏となります。

藤田五郎さん名前は、元会津藩主の松平容保さんから賜っています。

藤田時尾さんは、祐筆(ゆうひつ)として城勤めをしていた事があります。

藤田時尾さんは会津での戦いの時に、城に篭城をしていた事も有ります。

そこから考えると、時尾さんの妊娠や出産について、松平容保さんか関係者に、何かの形で報告をしている可能性も考えられます。

そうすると、松平容保さんか関係者から、「出産の際に家の事を手伝ってあげたら」という内容の事を言われて、高木の家の人が、お手伝いの人と一緒に来るという事も考えられるかなと思いました。

そうすると、高木の家の人が、誰か手伝いを連れて一緒にやってくるという設定でも良いかなと考えました。

そこで、この物語では、藤田時尾さんの出産や家事の手伝いのために、母親の高木克子さんと手伝いの人が来たという設定にしました。

出産についてですが、現在ほど医療設備が整っていないために、物語の中で「お産は病気では無い」という内容のセリフはありますが、乳幼児や母親の死亡率は、現在とはかなり違っているようです。

藤田五郎さん、時尾さん、高木克子さん、美鈴さん、敬一君など、その辺の状況は、わかっている事になります。

そういう背景があり、心配をしたり、安心をしたりなどしています。

「真澄の鏡」は、「ますみのかがみ」と読みます。

「非常に良く澄んでいる鏡」の事です。

「十月桜(じゅうがつざくら)」です。

九月の終わり頃から十一月頃に掛けて桜です。

場所によっては、年末まで見る事が出来ます。

いつの頃からある桜かはわかりませんが、物語の中に登場しています。

楽しんで頂けると嬉しいです。





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