このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

品川白煉瓦専用軌道

赤井地区の3つの鉄道

 

品川白煉瓦専用軌道の基礎知識

開設 明治40(1907)年11月9日:平駅まで全長5.79kmが開業、開設当時の名前は赤井軌道㈱

大正6(1917)年10月:平駅〜赤井駅間を廃止 

大正11(1922)年:品川白煉瓦㈱が赤井軌道を買収(吸収)、品川白煉瓦専用軌道になる。

廃止 昭和30(1955)年3月

磐越東線 赤井駅〜赤井常住 

全長2.57km

軌間 762mm(馬力)

 

日曹常磐(ときわ)炭鉱専用鉄道の基礎知識

開設 大正7(1918)年12月

廃止 昭和23(1948)年12月

(昭和20(1945)年9月から運転休止)

磐越東線 赤井駅〜赤井浅口

全長 1.93km

軌間 1067mm

 

日曹赤井炭鉱専用線の基礎知識

開設 昭和16(1941)年8月

廃止 昭和47(1972)年11月

(実質的には昭和35(1960)年8月)

磐越東線 赤井駅〜赤井団粉田

全長 1.30km

軌間 1067mm

 

 

赤井地区の採炭事情

赤井村赤井常住(じょうじゅう)地区:現いわき市平赤井常住…では明治30年代頃から石炭の採掘が行なわれ、

明治30(1897)年に開通した日本鉄道磐城線(常磐線)の平駅(現いわき駅)まで馬車などにより輸送されていた。

赤井村から平市街までは距離は短いものの、地形が険しく円滑な輸送が困難であった。

 

そこで、当時赤井村に進出した品川白煉瓦㈱の役員が中心となり、「赤井鉄道」の開設が明治39(1906)年に申請された。

赤井鉄道(明治41年に赤井軌道に改称)は、明治40年11月に平駅〜赤井村赤井常住間 5.79kmを開通させ、運炭を開始した。

石炭輸送と同時に旅客輸送も行い、また赤井村に存在した中小炭鉱の運炭も行なっていた。

 

 

平郡東線(磐越東線)の開業、赤井駅の開業とその影響

大正4(1915)年7月10日に平郡東線(大正6年の全通により磐越東線となる)の平〜小川郷駅間が開通し、同時に赤井駅が開業した。

それまで平駅まで石炭を輸送していた赤井軌道は大正6(1917)年に平駅〜赤井駅間を廃止した。

 

赤井駅の開業に呼応するように、それまで赤井軌道を利用して平駅まで運炭していた中小炭鉱の間で専用鉄道開設の気運が高まった。

常磐(ときわ)炭鉱合資会社と朝日鉱業㈱は大正6年に免許を申請し、

翌大正7(1918)年に赤井駅〜赤井浅口間 1.93kmの専用鉄道が開設された。

軌間は1067mmであり、直接赤井駅に乗り入れが可能となった。

 

専用鉄道開通後、赤井軌道を利用していた中小炭鉱はほぼ全てが専用鉄道を利用する事になり、

そのあおりを食った赤井軌道は大正10(1921)年に赤字に転落した。

企業としての経営が立ち行かなくなった赤井軌道は、大株主である品川白煉瓦㈱の傘下に入る事となり、

大正11(1922)年に「品川白煉瓦専用軌道」として再出発を図る事になった。

 

 

日本曹達㈱の進出、第3の鉄道

さて、専用鉄道は開通したものの、肝心の炭鉱の方がうまく行かないのではどうしようもない。

専用鉄道を使用する炭鉱の中心たるべき常磐(ときわ)炭鉱は坑内火災などで一時休山状態に陥り、

川瀬炭鉱に買収されるなど大正中期から昭和初期にかけて状況は迷走する。

 

昭和12(1937)年に川瀬炭鉱を買収した日本曹達㈱系列の日曹鉱業㈱は、次いで昭和14(1939)年に専用鉄道も買収する。

(鉄道所有者は名義上、日本曹達㈱の創始者である中野友禮になっているが、この項では便宜上「日曹常磐炭鉱専用鉄道」と表記する。)

 

日曹鉱業㈱は常磐炭鉱とは別に赤井村の北口にある比良地区に新たに坑口を開削し、昭和15(1940)年、日曹赤井炭鉱として採炭を開始する。

翌昭和16(1941)年には炭鉱〜赤井駅間 1.3kmの専用線も開設した。(日曹赤井炭鉱専用線)

 

日本曹達の進出により、昭和10年代の赤井地区は1km四方に3本の専用鉄道が存在すると言う状況になったのである。

 

 

炭鉱の終焉と専用鉄道の終わり

日曹常磐炭鉱は日曹赤井炭鉱の採炭本格化に伴い、その役目を終え、昭和20(1945)年3月に休山する。

同時に日曹常磐炭鉱専用鉄道も昭和20年9月に運行を休止し、昭和24(1949)年には正式に廃止された。

専用鉄道のレールは系列炭鉱の日曹手塩炭鉱専用鉄道(北海道)建設に転用されたと伝えられる。

 

品川白煉瓦専用軌道は戦後も馬車軌道のまま運行が続けられた。

北茨城市高萩市 専用側線 などのように国策線では無く、自社内での消費のみの需要で採炭されていたので近代化を図る必要がなかったのだ。

昭和30(1955)3月の品川白煉瓦赤井炭鉱の閉山に伴い専用軌道の運行も終わった。

常磐炭田内で最後まで残った運炭馬車軌道であった。

 

最後に残った日曹赤井炭鉱は昭和35(1960)年5月に閉山した。

専用線も昭和35年8月に運転を休止した。

 

 

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(用語解説)

品川白煉瓦株式会社:明治8(1875)年、創業者 西村勝三が日本の民間で始めて耐火煉瓦を製造したことから始まる。

現在では、耐火物製造やファインセラミック、セラミックファイバーで世界的にも知られる企業である

 

日本曹達㈱:大正9(1920)年 創業者 中野友禮(なかの とものり:福島県大沼郡出身)により創立された。

現在では苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)などを始めとする工業用無機、有機化学製品などの製造販売をする世界的に知られる企業である。

 

 

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