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木戸川森林鉄道の欠片 3
〜県道の脇の廃道〜
(福島県双葉郡楢葉町)
芝坂隧道を背にして、木戸ダムに向かって進んでいく。
「親不知橋」(おやしらずばし)が見えてきた。
県道250号線は現代的なルート取りによって、一直線に木戸ダムを目指していく。
親不知橋の傍らには使われなくなった旧道(木戸川森林鉄道→町道)が残されている。
ガードレールの向こうに足を踏み入れてみる。
旧道は廃道だった。
曲がった標識、大小の落石、崩れかけた路肩…
何年かの年月を経て旧道は自然に帰っていくのだろうか。
カーブの頂点付近の道床は石垣によって形作られていた。
苔生した部分は恐らく森林鉄道時代から存在したものだろう。
木戸川森林鉄道は大正3(1914)年の開業と記録されている。
開業当時は一私企業が敷設した「私鉄」だったのだ。
昭和8(1933)年に軌道の管理が富岡営林署木戸担当区へ移管され、公営の森林鉄道になったのだ。
山の形に忠実に沿っていた旧道は緩やかに県道へ戻っていく。
落ち葉の絨毯に枯れ枝のトッピング。遠くから鳥の声。
全身で自然を味わいながらゆっくり歩いていく。
親不知橋の次は「曙橋」(あけぼのばし)。
見た目は親不知橋と何ら変わらない。
曙橋にも旧道が存在する。
曙橋を旧道から見て驚愕した。
これほど深い谷に架けられているとは思いもしなかった。
谷底までの深さは100mを下らないだろう。
旧道に入ると、廃レールとワイヤーで設えられたガードロープが見えた。
レールは大きく谷側に曲がりその役目を終えた。
ワイヤーもかろうじてぶら下がっている。
一昔前の県道253号線(=
浪江森林鉄道
)はこのようなガードロープが延々と続いていたそうだが、今では一般的なガードレールに交換され見ることはできない。
ワイヤーと言う生涯の友を失い、落石の直撃を食らったレールが無残な屍となっていた。
引っ張れば取れるのではないかと思い、山側に引き戻そうとしたが、このような状態になっても尚レールは地面に強固に突き刺さっていた。
「落ちてくる石に注意」
久しぶりに見た。
年季が入った標識は千切れる寸前だ。
今まさに車を直撃せんとする落石のイラストの緊迫感の無さが不謹慎ながら何度見ても面白い。
旧道は小さな沢をコンクリート橋で越えていた。
沢の飛沫を浴び、落石や車両の衝突を受けたガードレールは見るも無残な姿になっていた。
「富岡営林署」
ガードレールの端にはプレートが取り付けられていた。
このコンクリート橋が竣功した時に取り付けられたのだろう。
木戸川森林鉄道は富岡営林署の運行であった事がこのプレートから推測できる。
富岡営林署は木戸川森林鉄道の他にも、大熊町の「
大野林用軌道
」も運営していた。
2つの森林鉄道は大正時代〜昭和30年代に運行されていた。
コンクリート橋から曙橋を見る。
木戸川森林鉄道とは言うものの、当の木戸川は恐るべき深さの谷底にある。
森林鉄道はどうしてこのような断崖絶壁に線路を敷いたのだろう。
隧道を掘り抜き、道床を固め、石垣を組み、木橋を設え…大変な工事であった事は想像に難くない。
「いつつわばし」
コンクリート橋を渡ると、ガードレールの端に橋の名前のプレートを発見した。
「五輪橋」それとも「五和橋」?
どのような漢字が当てられていたのだろうか。
「待避地点100m先」
待避地点などあっただろうか?
橋の手前にあった微妙な土地がそうだったのだろうか。
県道に戻り、曙橋から谷底を覗いてみる。
…シャッターを押すと同時に腰が引けた。
木戸川森林鉄道は浪江森林鉄道のように沿線住民を運んでいたのだろうか?
昔の人は森林鉄道に乗車してこのような物凄い景色を見ていたのだろうか。
曙橋の次は「九竜橋」(くりゅうばし)。
新芝坂トンネルの先の県道上に架けられた橋には、公募によって趣深い名前が付けられた。
この九竜橋にも当然旧道が存在する。
いきなりの崩落で歓迎された。
先程までの3つの橋の旧道に崩落箇所が無かったほうが凄いと言うべきか。
森林鉄道があった頃もこのような大小の崩落に悩まされていたのだろう。
橋を一旦渡り、反対側からアプローチする。
今回の旧道は小規模な沢を跨ぐため暗渠を用いていた。
暗渠の両側は石積みによって形作られている。
恐らくは森林鉄道の道床を改良したものだろう。
この旧道にも廃レールを利用したガードロープが存在していた。
先程までの旧道と異なるのはレールが何故か白く塗装されていることだ。
視認性を高める為の工夫と考えられるが、冬季はかえって見えにくくなるような気がする。
県道に戻る途中に、小規模な切り通しがあった。森林鉄道らしい風景だ。
木材を伐採する為に、深山幽谷に道床を築き、線路を敷き、岩を砕き、全長20数kmの木戸川森林鉄道が築かれたのだ。
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