このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
重内炭鉱専用側線 1
磯原駅〜豊田地区
重内炭鉱専用側線の基礎知識
開設 昭和20年12月28日
廃止 昭和49年6月29日
全長 4.53km
磯原駅〜磯原町大塚烏子
重内炭鉱専用軌道の基礎知識
開設 明治34年
廃止 昭和20年
(一部軌道敷きは専用側線に転用)
全長 4.48km
平成20年1月2日。私は重内炭鉱、山口炭鉱専用側線
重内炭鉱専用側線
早速行ってみよう。
磯原駅の自転車駐輪場が途切れたこの画像付近に「重内炭鉱専用軌道」の石炭積替所があったと考えられる。
今では何の痕跡も残さない。
常磐線本線とは僅かながら高度差があり、落差を利用して石炭積替を容易にしていた事が伺える。
常磐線
専用側線はこの地点付近で分岐していた。
丁度現在設置されている白い柵ぐらいの角度であろうか。
常磐線から分岐した専用側線は急カーブを切り、画像中央の建物のある辺りを通っていた。
痕跡は無い。
建物の正面に廻ってみる。
夏に訪れた時にはジャスコ磯原店が取り壊されている最中だったのだが、跡地にはスーパーマルトSC磯原店が進出していた。
正月発売りで店内は大変混雑しているようである。
私はその喧騒とは全く無関係を装う。
側線跡は県道 北茨城太子線となっていた。
西口の再開発が行われる前は専用側線の痕跡が良く見られたと言うが、現在では道路の進行方向以外に鉄道を連想させる物は無い。
県道を進むと花園川に架かる「磯馴橋」が見えてきた。
「いそなればし」ではなく「そなればし」と読む。
現在の磯馴橋は専用側線の鉄橋が存在していた場所にある。航空写真(昭和50年撮影)を見ると先代の磯馴橋はもう少し下流にあった。
当然の事ながら鉄橋の痕跡は無い。
磯馴橋を過ぎても、専用側線跡は直進を続けていた。
重内炭鉱専用軌道が敷設された明治30年前後の磯原はどのようなものだったのだろうか。
軌道は炭鉱に向けて最小限のカーブで敷設されていた。
直進を続ける専用側線は磯原中学校の脇をかすめる。
行く手には交差点が見えてきた。
この交差点はこのレポートのキーポイントの一つだ。
専用側線(現県道)に緩やかに合流しようとする道がお分かりいただけるだろうか。
その道がかつて「山口炭鉱専用軌道」だったものだ。
2つの軌道はこの画像の地点辺りから数十mに渡ってわずか10m程の距離をおいて並走していた。
この画像の付近を2つの軌道は互いに競り合うように爆走していたのだろうか。
この地点だけで済むのならまだ良いが、次に軌道同士が接近する時には平面クロスと言う恐るべき手段を用いる。
専用側線は画像の付近(現セブンイレブン北茨城インター店駐車場)まで「重内炭鉱専用軌道」の軌道敷を使っていたが、ここで「山口炭鉱専用軌道」の軌道敷にスイッチする。
画像右端の一段低くなっている場所が専用側線の跡だ。
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