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山口炭鉱専用軌道 1
〜恐るべき軌道敷〜
山口炭鉱専用軌道の基礎知識
開設 明治42年6月
廃止 昭和20年(豊田地区〜西明寺までは専用側線に)
全長 4.51km
軌間 508mm
磯原駅〜北
平成20年1月2日。私は
磯原駅西口はご覧のようにモダーンな建物で和風を意識したしゃれた作りになっている。
そもそも市内の他の2駅(大津港、南中郷)には西口駅舎など存在しない。
山口炭鉱専用軌道の石炭積替所は現在の駅舎の北側に存在していた。
行ってみよう。
磯原駅構内の北の外れ、道路と常磐線がたもとを分かち、三角形の空間を作り出している。
現在は砂利敷きの月極駐車場になっている付近に「山口炭鉱石炭積替所」があったものと思われる。
常磐線の本線とはかなりの高度差があり、この落差を利用して石炭の積替えを容易にしていた事が伺える。
重内炭鉱専用軌道の石炭積替所とは現駅舎を挟み、全く反対側に位置している。
独自に軌道を敷設した手前、駅の南側に積替所を設置したくは無かったのかも知れない。
積替所跡の正面には「時宗 吟龍院円福寺」がある。
時宗とは「踊り念仏」で知られる一遍上人を開祖とする宗派である。
円福寺の境内は大変綺麗に整備され、この寺が昔から磯原の住民の心の拠り所になっていた歴史を感じさせる。
専用軌道は円福寺の正面を横切り、南西方向に向かって延びていた。
現在の磯原保育園の前を通る道に雰囲気が残る。
正面に見える薄いピンクと灰色の外壁の可愛らしい建物は「杉の子幼稚園」である。
専用軌道はこの幼稚園の裏手、画像で言うと右側の林の辺りを抜けていた。
資料「常盤地方の鉱山鉄道」によるとこの付近を短い隧道(!)で抜けている。
坑口も塞がれているものの現存している。(HP読者様からの情報です)
幼稚園裏手を隧道で抜けた専用軌道は、再び隧道を通る。
が、その隧道は恐るべき事に神社の直下を貫いている※。
神社の名前は「皇祖皇太神宮」。天津教の総本山だ。そんな所に軌道が通じているのか?
資料を信じるならば、この画像の鳥居の向こうに見える階段の下に隧道があるのだ。
まあ現存などしていまい…
※ 軌道が先に敷設された(明治42年)後に皇祖皇太神宮が富山から移ってきた(昭和3年)
現存している…
皇祖皇太神宮の敷地を貫いた隧道の坑口はコンクリートで塞がれてはいたものの、現存していた。
「ゴミ捨て禁止」の看板の向こう、あまりにも不自然なコンクリートの壁。その向こうに隧道が続いているのだろう。
画像の左側にはいたって普通の民家が存在し、隧道の坑口はその民家の庭に強烈なオブジェとしてその姿を残していた。
一般民家であるのでこれ以上は坑口に近寄れない。というか近寄りがたい。
坑口の反対側には住宅が並んでいた。
軌道はここで少し左にカーブを切り、磯原の市街へ向かっていく。
方向的にはこれでOK。
NTTの敷地を横断していく。
当然の事ながら痕跡は無い。
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