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重内炭鉱専用側線 6
〜重内鉄橋と万石〜
県道沿いの専用側線跡を歩いていく。
築堤は所々思い出したように刈り払いされている場所もあれば、生えるに任せ放置されている所もあり状況は一定しない。
この画像の地点まではレールの存在は築堤上に確認できなかった。
上の画像の中央付近は築堤上を車両が乗り越せるようになっている。
その場所に上るとレールが顔を覗かせていた。
ここは夏に来た時も確認していた。冬になって状況の変化はあるだろうか?
レール、残っています。
上の画像の地点で体を反転させると、そこにはレールが続いているのが確認できた。
夏は草に覆われて見えなかったのだ。
秋に誰かが刈り払いをしたのだろう。
枯れ草の薄布団を掛けられたレールは、風に吹かれてその存在を僅かに露わにする。
枯れ草を除いてみると、僅かながら犬釘と枕木が顔を覗かせているのが確認できた。
何故レールを撤去しなかったのだろう?
何故ここだけ刈り払いしてあるのだろう?
残念にもレールはわずか10m程で終点を迎えていた。
画像中央でスッパリと終わっているのがわかるだろうか?
木皿地区で見た溶断されたレールと違い、この部分はジョイント(継ぎ目)だったようだ。
きれいな断面をしていた。
築堤は「シゲウチ製作所」さんの建物に行き当たり、一旦その姿を消す。
廃線を訪ねていくと工場や民家で廃線跡の流れが分断されるのは良くある事だ。
だが、この重内炭鉱専用側線最大の遺構はこの製作所の袂にある。
半年振りの再会だ。
重内鉄橋(仮称)は夏と変わらぬ姿で私を迎えてくれた。
橋上の枕木も健在だ。
今回もじっくりと観察する事にしよう。
川の土手に入り、鉄橋を上の画像の反対側から見る。
こちらの方が写真に道路が写り込まず、鉄橋本来の形が分かる。
鉄橋本体が載る橋台はコンクリート製の頑丈な作りだ。
橋台をサポートするように石積が三角形に組まれている。
鉄橋を正面から見る。
鉄橋上に枕木が残る風景は
常磐炭鉱神の山鉱専用側線
の里根川鉄橋と並ぶ特異な光景である。
鉄橋自体は2本のI型鋼を補強材で繋いだシンプルな構成だ。
県道に戻り、鉄橋全体を見渡す。
県道側は日当たりの加減か、白い塗料が剥離せず軽い印象を受ける。
枕木は長年の風雨でやせ細り、ご覧のように硬い部分のみ残っている。
このような状態になっても尚、犬釘は枕木に食い込んでいる。
枕木が崩壊するまで犬釘は共に有り続けるのだろう。
東側のこの枕木が良く原型を留めている。
線路の幅に合わせて枕木に段差が設けられているのが分かる。
鉄橋の道路側、やや西よりに銘板を見つけた。
夏の訪問時はその存在に気付かず、後で
「千葉県の近代産業遺跡」
主筆氏から指摘され、その存在を知ったのである。
今回はちゃんと見つけることが出来て一安心だ。
銘板には
「PATENT SHAFT & AXLETREE CO LD 1893 ENGINEERS WEDNESBURY」と記されている
イギリス ミッドランド地方WEDNESBURYのSHAFT & AXLETREE社が1893年に製造した鉄橋と考えられる。
1893年は明治26年。何と115年前の鉄橋である。この重内の地に据え置かれた時点で製造後52年も経過している。
一体何処から持ってきたのだろう?明治30年前後に敷設され、昭和10年代後半に「不要不急路線」に指定された鉄道…?
もし、この鉄橋の本来の設置路線をご存知の方は
ご一報
頂きたい。
鉄橋から西に進むと、程無く重内地区に入る。
郵便局の向かいに、とある建築会社の資材置き場兼駐車場らしき土地がある。
その土地こそが重内炭鉱専用側線の終点の万石(石炭積込所)である。
早速レールを発見した。
踏み切りの跡だろうか、線路が2本一セットで2列並んでいる。
この土地の舗装は簡易的なものであり、車両や重機が通る度に舗装が剥がれ、レールが顔を出すのだろう。
これが重内炭鉱の万石(石炭積込所)だ。
夏に訪問した時にもその存在感と周りの木々に圧倒されたのだが、冬でもその印象は変わらない。
「天空の城」のようである。
枯れ木や笹が万石を飲み込もうとしている。
万石の脇にはコンクリートの異様に窓の少ない建物があった。
これも重内炭鉱の遺構、変電所跡である。
どちらの建物も極めて堅牢に作られたのでおいそれとは解体できないのだろう。
ちなみに上空から見た万石と変電所はこのようになっている。(昭和50年航空写真)
万石が異様に縦長である事、変電所は敷地のほぼ真ん中に建っている事がわかる。
閉山後僅か6年で万石と変電所以外の炭鉱施設はほぼ姿を消している。
さらば、重内炭鉱、そして専用側線…
また北茨城を訪れる時があるだろう。
その時はまた違った様子をみせてくれるだろうか…
万石と変電所に一礼し、私は帰路に着いた。
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