このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

常磐炭鉱専用鉄道 鹿島鉱線 1

〜山裾まで〜

 

                   

 

 

平成20年1月3日、私は湯本駅から南に少々下ったこの「小名浜街道踏切」で電車を待っていた。

 

この踏切は今でこそごく普通の踏切であるのだが、そのはるか昔には磐城炭鉱軌道(明治20年〜昭和19年)が通っていた由緒正しき路線なのだ。常磐線がこの湯本に開通する10年も前に、磐城炭鉱軌道は小野田鉱からはるばる小名浜港まで石炭や人を運んでいたのだ。

 

当時は軌道同士といえども立体交差などと言う気の利いたものは無く、平面クロスによって線路同士が交差していた。

 

平面クロス…胸躍る言葉だ。

 

軌道が存在していたころはどのような光景だったのだろうか。

 

 

 

 

踏み切りを渡り、国道6号線の方に出る。

 

踏切には3線分の幅があるが、現在は2線(常磐線 上り、下り)しか使用されていない。

 

今は存在しない3線目に、枕木が取り残されていた。

 

木製のかなり年季の入ったものだ。

 

 

 

 

 

 

 

踏切から南(泉駅方面)を見る。

 

3線分の敷地は踏み切りを越えても暫くの間続いている。

 

現在は枯れ草に覆われている場所が、かつて専用鉄道が敷いてあった場所なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先ほどの踏み切りと専用鉄道の分岐は左の航空写真のようになっている。

 

華麗なカーブで分岐する専用鉄道がお分かり頂けるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

先ほどの「3線目」は線路保守用の道路と化し、僅かに常磐線本線から距離を取りはじめる。

 

この画像の地点が華麗なカーブの分岐点と推測するが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

廃止後35年。湯本駅の南東方面と言う住宅分譲地にはこの上ない立地条件が、専用鉄道の痕跡を完璧に消し去っていた。

 

平成になるまでは専用鉄道の築堤が見られたそうだが…

 

いくら探しても専用鉄道の痕跡は見付からない。

 

諦めて国道6号線まで出てみる。

 

 

 

 

 

 

 

専用鉄道はカーブの後、国道6号線を踏み切りで横切り、水野谷地区に入って行く。

 

北東方面に進む専用鉄道跡が見受けられる。

 

国道6号と専用鉄道が交差していた地点に行ってみる。

 

 

 

紳士服のコ、ナ、カ!…をやや遠くに見るこの地点が、国道6号線と専用鉄道が交差していた地点と考える。

 

いわき市街から泉、植田、小名浜方面に通行する車。またはその逆に通行する車で交通の途切れる事は無い。

 

専用鉄道開設当初には踏切が存在しなかったが、列車と車両の衝突事故が多発(昭和42年に50件発生)した為、昭和43(1968)年に踏切(信号機)が設置されたと言う。

 

専用鉄道現役当時はこの先にも踏切( 専用鉄道 向田線 )があったので、渋滞は日常的な事であり、ドライバーの心理に焦りを呼び、衝突事故の多発に繋がっていたのかも知れない。

 

 

 

 

 

専用鉄道は水野谷地区に入る。

 

専用鉄道の敷地は廃止後「湯本自動車学校」の一部になっている。航空写真からもそれは確認できる。

 

自動車学校の敷地との境には門扉が設置されている。

 

国道6号を横断し、自動車学校に近付く。

 

 

 

 

 

 

 

専用鉄道跡は湯本自動車学校のバックストレッチになっていた。

 

先ほどの門扉は錆びて、一部が欠けており、使われる事は無いようだ。

 

かつてはここから教習車が路上教習に繰り出していったのだろう。いきなり国道6号線に出なければならないハードな立地だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

門扉に出来る限り接近して専用鉄道当時の敷設場所を考える。

 

専用鉄道はこの画像のほぼ中央を直線的に突破していたものと思われる。

 

画像中央奥の右側にはTUKA氏のレポートや「常盤地方の鉱山鉄道」にも写っていた建物が見えた。

 

自動車学校の裏手に廻る。

 

 

 

 

 

 

 

上の画像の反対側から撮影すると、専用鉄道の跡が浮かび上がった。

 

門扉から2本の街灯、そして自動車学校の施設である模擬踏切を結ぶ一本の幻の鉄道が画像中央に見えるはずだ。

 

踏切の絶妙な設置位置に注目だ。イカす。

 

自動車学校の敷地は鹿島鉱の「千代鶴区炭鉱住宅」が建ち並んでいた所である。

 

炭鉱住宅の裏手を蒸気機関車が疾走していたのである。

 

画像の手前側には川が通っている。

 

 

 

川を渡ると言う事は当然ながら鉄橋が架かっていた筈。

 

よく対岸を見ると、一部分だけ四角いコンクリートブロックで施工された場所が見える。

 

画像右側の異様な形の石垣に注目したい。一見意味不明な形の護岸だが、これが鉄橋の橋台の名残である。

 

かつて川と鉄道は直角に交わっていた。その後の専用鉄道の廃止後に行われた河川改修で現在の様子になったものと推測する。

 

 

 

 

 

 

 

 

上の画像を撮影した地点から、そのまま廻れ右。

 

そこには一本の砂利道が続いていた。

 

この砂利道こそが専用鉄道 鹿島鉱線の跡である。

 

砂利道はいわき市が管理し、市道 錦沢1号線となっている。

 

 

 

 

 

 

 

鹿島鉱線 2へ

トップに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください