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高萩炭鉱櫛形鉱専用線 1
〜町役場までの小旅行〜
川尻駅から櫛形炭鉱まで短い距離の専用線が延びていた。
専用線の跡は今どうなっているのであろうか。
12月29日午後1時。
私は
十王駅はつい最近(と言っても3年前だが)まで「川尻駅」と称していた。
十王駅は平成17(2005)年に改築されご覧のようなモダーンな風貌に生まれ変わった。
常磐線本線下に地下通路を設け、その一部が駅舎を兼ねるという実に合理的な設計の駅だ。
地下通路の出口を覆うトラスフレームの屋根が素晴らしい。
地下通路を通り十王駅西口に出る。
東口より幾分小振りながらも西口も立派な構えである。
かつてはこの西口から櫛形炭鉱専用線
西口正面には「
これもシックかつ洗練された素晴らしいデザインの建物だ。
我が福島県内の公共施設は奇をてらい物凄い(悪い意味で)外観と内装を備えている建物が少なくない。
担当者は是非この十王駅と図書館の佇まいを見習って欲しいものである。
訪れた当日は年末年始の休館日に当たっており、残念ながら内部の様子を伺うことは出来なかった。
図書館脇の敷地には少々古いデザインの路線バスが停車していた。
「椎名観光バス」という聞き慣れない名前のバス会社だ。
基本的に高萩駅と十王駅からのみ路線を運航しており、レア度の高い路線バス会社と言えるだろう。
専用線
この画像の道路の傍らに専用線が存在していた。
いかにも「鉄道カーブ」っぽい曲がり方のカーブである。
では行ってみよう。
西口周辺は十王駅の改築により専用線当時を伺える物は残っていなかった。
西口脇にある狭い空き地。その端だけ斜面に枯れ草が生えている。
空中写真等から類推すると恐らくこの辺りに専用線があったのだろう。
これは良い鉄道カーブ。
専用線は道路と寄り添うように並行して敷設されていた。
専用線の痕跡は無いがこの道路の曲がり方だけでも当時の様子に思いを馳せる事が出来る。
左カーブの後専用線はしばらく直進する。
昭和50年の航空写真(一番上の画像参照)では専用線周辺に民家は見当たらないが、廃止後31年で町の様相は変わった。
専用線跡にも当然のように民家が建っている。
逆に言えばこれらの民家は必ず築30年以内なのだ。上々のコンディションの民家が多い。
その土地なりの民家の佇まいを観察するのもまた面白い。
しばらく進むと十王川が横切っている。
その上に架かる道路橋の名は「櫛形橋」
櫛形橋の傍らには櫛形鉱専用線唯一の遺構「櫛形鉄橋」の橋台が残っていた。
コンクリート製の堅牢な作りだ。
道路橋との間には石垣上に四角い石材が組み上げられている。
排水の影響か、黒と茶色の嫌な色のコントラストになっているのが残念ではある。
こちらは十王駅側の橋台。こちらもコンクリート製の堅牢な作りだ。
炭鉱側の橋台よりもかなり幅が広い。
橋台の上に建っている看板は、上流のダムが増水時に放流された時に発報されるサイレンの警告文だ。
引いて撮影してみる。
奥に見える鉄橋は常磐線のものだ。
十王駅から僅か500mほどでこれ程の距離が生じた。
最初の左カーブがなかなかの急曲線だった事が伺えるだろう。
櫛形橋を渡った後も専用線はしばらく直進を続ける。
今でこそ
「日立」の文字を見つけることは少ない。
専用線は再び左カーブを切る。
こちらも結構な急カーブだった事が画像からも読み取れるだろう。
この道路は駅前と町役場を結ぶ道路だけあり、交通量はかなり多い。
車が画面に映りこまないように撮影するのは結構大変だ。
カーブの途中には小さな公園があり椿の花が咲いていた。
椿の植えてある所は専用線の敷地だったのかもしれない。
その根の養分には石炭が混じっているかも知れない。
はて?どこかで見たような風景…十王に来るのは初めてなのだが…
そうだ、
日渡線
に似ているんだ。
日渡線は直線を組み合わせた多角形なカーブだったが、この専用線跡に建てられた住宅の垣根や塀はどれも見事な直線を描いている。
これもある意味では鉄道跡風景と言えるのかもしれない。
カーブの先に
短い専用線はあっという間に終点を迎える。
この役場のある所こそがかつての高萩炭鉱櫛形鉱の跡地なのだ。
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