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磐城軌道(日本鉄道事業) 1
〜看板に偽り有り〜
1月2日。午前9時。国道6号線「内郷御台境(うちごうみだいさかい)交差点」
平成21年の2回目の探訪は前日(元旦)の
好間軌道
の始点(平古鍛冶町)にほど近いこの場所にやって来た。
この交差点は国道6号から(旧)国道49号が分岐する交通の要衝である。
3が日の早朝にもかかわらず、通行する車は途絶える事は無い。
こちらは分岐する(旧)国道49号線である。
画像のように常磐線をクロスオーバーするようになったのは、昭和40(1965)年の事である。
もし好間軌道がこの丘を下り、この付近に始点を構えていたならばまた違った歴史を刻んだ事だろう。
好間軌道は僅か数百mを隔て、磐城軌道と同時期に存在していたにもかかわらず、両軌道の連携などは全く取られていなかったと言う。
平市街地は東に「夏井川」西に「新川」と言う河川に囲まれた土地である。
西の新川を跨ぐ国道6号線の「尼子橋」。
この僅か数十mの河川に橋を架けられなかったばかりに磐城軌道はその寿命を大きく縮めたのである。
「ああ…これは全然駄目だ…」思わずそう呟く。
尼子橋のほとりに磐城軌道の始点「長橋」が存在した。
好間軌道の始点も大概な場所に設置されていたのたが、磐城軌道の始点はそれに輪を掛けて大概な位置に設置されている。地図を見ても分かる通り、当時のこの地点に民家はあまり存在しなかったようだ。ただ平市街地に一歩でも近い地点に始点を設定したいが為にこの地を選ばざるを得なかったものと考える。
そもそもここは「内郷小島町」であり、「長橋」などと言う地名ではない。「平長橋町」は新川の向こうの名である。名前だけでも平市街地と結ばれている事を伝える為に対岸の地区名を頂いたのだろう。看板に偽り有り…である。
今でこそご覧のように4車線の立派な道幅を誇る国道6号線ではあるが、磐城軌道の存在した大正時代は大変みすぼらしい道であったそうだ。
国道(当時は15号線)上に軌道を敷設する許可を得て工事に取り掛かったものの、大変道幅は狭く、道幅を拡げながら軌道を敷く難工事が続いたと言う。
拡幅する部分の土地の買収に大いに手間取って工事の進行は遅々として進まなかった…とも伝えられる。
始点の長橋から300mほど行った所に常磐交通のバス停「御厩下能」がある。
この付近に「御厩」(みまや)停車場が存在したと思われる。
「御台境」「御厩」と内郷の地名はなかなか雅な雰囲気のする地名が並ぶ。
国道6号を跨ぐ高架橋は国道49号 平バイパスだ。
内郷御台
工事が完成した暁には49号バイパスはより走りやすい道となることだろう。
磐城軌道の開業当初、御厩停車場から次の綴停車場まではかなりの距離があった。
現在の路面電車であれば3つ、4つと停車場が設置されるであろう距離だ。
停車場の必要もないほど付近に民家が無かったのであろうか。
今現在の風景からは想像も付かないのだが。
左手に「
私がこうして撮影している間にも、一台の救急車が病院に入っていった。
昭和2(1927)年3月、軌道利用者の利便を図る為に「三社場」(さんしゃば)停車場が設置された。
現在の「共立病院前」交差点の辺りに存在したと推測する。
「三社場」の名前の由来ははっきりしない。
神社に関するものであろうか。
車の通行量は画像付近の前後で変わるわけではないので、せわしない感じが増す。
「内郷駅入口」
磐城軌道と常磐線の(事実上の)唯一の連絡可能な駅が内郷(当時は綴)である。
大正時代はこの付近に内郷村役場があったと言われる。
これが現在の内郷駅舎である。
「綴」と呼ばれていた頃は各炭鉱からの石炭がこの駅に集結し、一時は全国第2位の貨物取扱量を誇ったと言う。
常磐線
綴停車場が存在した位置は、画像の東邦銀行内郷支店の付近であると思われる。
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