このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
大日本炭鉱勿来鉱専用鉄道 1
〜寄り道〜
平成20年2月17日、勿来駅前、天気は晴れ。
勿来駅の駅舎自体は昔から変わっていないのだが、近年内外装が一新されご覧のような素晴らしい外観を得た。
東北の駅100選にも選ばれている。
今回は大日本炭鉱勿来鉱専用鉄道の探訪に来たのだ。
西口に行ってみよう。
私は機関車に目が無いので、ちょっと寄り道をする。
EF81 86だ。北斗星塗装がカッコいい。
田端運転区所属で1973(昭和48)年の新製とされている。
今年で35年目を迎えるベテラン機関車だ。
勿来駅の構内側線には昨年3月で役目を終えた415系交直流電車が留置されていた。
錆や汚れなども無く、コンディションは良いようだが近日中の解体は免れないだろう。
先頭の電車はクハ411−512。元勝田電車区所属、1982(昭和57)年11月東急車輛新製だ。
構内と手前の敷地は昔ながらのフェンスで仕切られている。
画像の場所だけフェンスが張り出している。
恐らくここから勿来鉱専用鉄道が分岐していたのだろう。
分岐点付近は現在でも大きな三角形の敷地になっている。
地均しは済んでいるのだが、この土地に何か建造すると言う雰囲気ではない。
アクセス的にも商業施設は建ちにくい場所だ。
奥に見える建物は「レジデンスなこそ」と言う。
建物の右側には勿来の川辺地区に昭和31(1956)まで存在していた三和三松炭鉱の石炭積替場があった。(軌道自体は昭和29年頃に廃止)
専用鉄道は画像の中央辺りを緩やかにカーブしながら進んでいた。
上の画像の敷地を出る。
専用鉄道の廃止後、土地は売却されたのだろう。数件の民家がかつて専用鉄道のあった跡地に沿うように建っている。
私の立っている所も軌道跡である。
「三和三松炭鉱」(さんわみまつ)専用軌道(勿来駅引込線)の跡地である。
609mmの専用軌道時代、画像の先の地点で「大日本炭鉱(新鉱)専用軌道」と「三和三松炭鉱専用軌道(勿来駅引込線)」は合流していた。
(専用軌道)
大日本炭鉱専用軌道と三和三松炭鉱専用軌道(勿来駅引込線)は合流した後、北西方向に向かって進む。
現在では未舗装の農道のようになっている。
(専用鉄道)
一方の専用鉄道の方は、勿来駅分岐からしばらくの間新規に道床を作っていた。
専用軌道の軌道敷きのままではカーブがきつくなる為、潮見台(ヘビ山)を切り通しで抜けるルートに変更しカーブの緩和を図った。
新旧の道床が並ぶ珍しい風景だ。
(専用軌道)
専用軌道はここで二手に別れる。
潮見台に沿い西に進むのが「大日本炭鉱勿来鉱専用軌道」
田んぼの真ん中を北に進むのが「大日本炭鉱新鉱専用軌道」である。
(三和三松炭鉱は新鉱専用軌道に乗り入れる形で運行していた)
かつて「ヘビ山」と呼ばれた潮見台の端を大胆に切り通して、専用鉄道は西に進む。
画像から緩やかな左カーブを描く鉄路が想像できるだろう。
切り通しに近付いてみる。
これは良い切り通し。鉄(道)分たっぷりだ。
専用軌道時代に使われていたK2型蒸気機関車はカーブに強いと定評があったそうだが、専用鉄道になれば大型の蒸気機関車を通すのでどうしても経路を移設する必要があったのだろう。
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