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浪江森林鉄道 渓谷編 6
〜対岸の軌道〜
畑川橋梁を渡ると、本線から分岐する支線がある。
画像ではまっすぐ進む道が、戦前に敷設されたと言われる「真草沢支線」だ。
畑川橋梁が大正末期の建設だとするならば、この真草沢支線は20年ほどしか使われなかったと言う事になるが、規模からするともう少し長い間使われていたのかもしれない。
現存する畑川橋梁に「先代」があったのかもしれない。
それを示すものは無いのだが。
真草沢支線にちょっと足を踏み入れる。
ちょっとした登山道の趣だが、この先には「45度(!)インクライン」が二つ。さらに隧道が一つある。
詳細は相互リンク「山さ行がねか」主筆 ヨッキれん氏が編集部員を勤めるWeb雑誌「日本の廃道」
第49号に詳細なレポートが記されている。
我が浪江町に強烈な鉄道遺構が眠る。
真草沢支線の真の姿を見るには人並みはずれたバイタリティが必要だ。
真草沢支線を分岐した本線は沢に沿うように進路を変える。
左の道が本線で、右に分かれる道は奥に見える高瀬川発電所の構内へ向かう。
森林鉄道は高瀬川発電所の建設に大きく関わっている。
何らかの作業支線が発電所構内に引き込まれていたのだろうか。
真草沢を離れた本線は発電所の裏を大きな掘割で抜けていく。
本線が再び姿を現す時、古の風景を見る事になる。
県道253号線を葛尾村方面に向かう。
県道が再び高瀬川に近づくと、このような風景が見えた。
高瀬川の本流を挟むようにして、橋台が一対残されている。
このような位置から分岐する支線の存在は確認されていないが、この構造は森林鉄道のそれである事は疑いが無い。
とりあえず橋台を見ていこう。
奥の橋台は川の本流から外れているためか、現状は大変良いようだ。
しかし、周辺に転がる大石を見ると、橋台が原形を留めているのは単に運が良かっただけなのかもしれない。
緻密に組み上げられた石に感銘すら覚える。
県道側の橋台はどうだろうか。
こちらは元からあった岩を巧みに利用して設えてある。
岩から生えているかのような佇まいである。
気が付くと対岸には軌道跡が見事な形で残されている。
枯れ木の向こうに石垣で設えられた軌道跡が見て取れる。
どのような土木工事だったのだろう?
川岸から丹念に石を積み上げていったのだろうか?
当時の職人はどのようにしてこの現場までやってきたのだろうか。
いろいろと当時に思いを巡らす。
それもまた楽し。
華麗な石垣は終わりを迎える。
画像中央で軌道敷は橋台によって唐突に途切れる。
軌道がこちら側に戻ってくるのだ。
やや引いて撮影してみると、橋脚が見える。
撮影位置を移動して、この橋の全貌を見てみよう。
高瀬川の両岸に設えられた橋台と一つの橋脚によって構成されるこの橋は
「見返り橋」と呼ばれていた。
恐らくは畑川橋梁と同時期に設えられたであろうこの橋は、当時営林署に勤務していた権瓶(ごんぺい)さんという方が名づけられたのだそうだ。
思わず見返す程の絶景が橋の周辺に展開していたのであろう。
向こう岸の橋台と橋脚を見る。
どちらも大変カッチリとした作りで大変良い感じだ。
かっちりとしているからこそ、現在でも些かのほころびも無いのだろう。
県道253号線より張り出した一見無用の空間こそが、見返り橋の橋台であった。
こちら側の橋台も石垣によって固められているようだ。
これは葛尾村民芸資料館に残されている現役当時の見返り橋の姿である。
開通直後の祝賀列車だろうか、機関車とそれに牽かれた屋根つきの客車、そして地元の有志の方々が収められている。
見返り橋はご覧のような立派なガーター橋である。畑川橋梁が華麗なトラス構造であるのとは対照的である。
大正末期ではカメラは珍しかったのだろう。視線がカメラに集中している様子が良く分かる。
中央の橋脚の手前の岩に腰掛け、一人足を組みポーズを決める人物の姿が微笑ましい。
なかなかのモダンな人物だったに違いない。
見返り橋を以って渡河を終えた軌道は葛尾村に向かって進んでいく。
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