このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

浪江森林鉄道 葛尾村編 1

〜謎の支線、合流す〜

 

 

冬…じゃなく春の雪。4月も20日を過ぎて雪が降るなどとは想像だにしなかった。

 

久しぶりに訪れた 第五号隧道(大笹隧道 )の葛尾村側坑口はいつもと変わらぬ恐ろしさで私を迎えてくれた。

 

HP開設からどの位経ったのだろうか。やっと葛尾村までやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

隧道の坑口を背にして、高瀬川を見ると何やらコンクリートの構造物が見える。

 

何であろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり橋脚のようだ。

 

傍らには倒されたもう一つの橋脚のようなものも見える。

 

相互リンク「街道Web」のTUKA氏が「日本の廃道」で紹介した「行司ヶ沢支線」の遺構と見て間違いないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

対岸を目で追いながら、支線の遺構が無いかを確かめると、ちょうど浪江町と葛尾村の境界付近で

石垣を見る事ができた。

 

これも恐らく支線の遺構と見て間違いないだろう。

 

TUKA氏によれば、行司ヶ沢支線は戦前に敷設され、戦後には車道化されたとされている。

 

昔の地図にもこの支線が記録されているものはないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

先程の橋脚の方向かって県道を歩いていくと、石でできた「塚」があった。

 

「大正7年土ろ犬塚 ハシモトグミ」

 

と私には読めた。

 

トロ…この場合は木材を積載した車両の事を言うのだろう。

犬…言うまでも無く動物の犬の事であろう。

明治時代に敷設が開始された浪江森林鉄道は大正14年頃の機関車導入までは人力による移動、いわゆる「手押し軌道」であったと伝えられているが、犬の塚があるということは本線や支線で犬の力による移動、すなわち「犬力」が使用されていたものと推測する。「ハシモトグミ」とは犬の使い手の集団かもしくは木材の運び出しを請け負っていた人たちの集団ではないだろうか。

 

 

 

 

犬塚の隣には馬頭尊。

 

浪江森林鉄道では人力以外にも犬や馬の力を借りていた事が伺える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「昭和5年3月11日」と馬頭尊には記されている。

 

先程の犬塚とこの馬頭尊の建立時期には10年ほどの隔たりがある。

 

この行司ヶ沢支線付近では犬力から馬力へと時代によって使役される動物が変化したのではないだろうか。

 

また昭和になっても機関車の使用は限定されたものであったと言う推測もできる。

 

機関車は本線の運行に限定され、支線や本線の入れ替え、小移動には馬が使われたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

行司ヶ沢支線の橋脚にはコンクリートが奢られている。

 

形としては古道川支線に残る橋脚に似ているようでもある。

 

古道川支線の敷設と同時期に行司ヶ沢支線が敷設されたとも考えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行司ヶ沢支線と森林鉄道本線の合流付近。

 

特にこれと言った痕跡は見受けられない。

 

合流部分は複線になっていて、葛尾村から下ってきた運材列車に増結を行っていたのではないかと推測してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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