このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

渓谷編 3

〜隧道と碑〜

 

 

 

山中を軌道跡は行く。

 

ふと左手の高瀬川を見ると、堰があった。

 

資料では「神鳴ダム」と記されている。

 

確かに堰にしては規模が大きいようだ。

 

 

 

 

 

 

 

ダム本体の上部には何らかの構造物が本体から迫り出してきた跡が認められる。

 

昭和40年頃まではダムは現役で稼働していたようだが、台風の影響により機能を停止し、その後現役を退いたらしい。

 

構造物を動かす為の機械室もあったと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神鳴ダムから道路に目を戻すと隧道が眼前に迫っていた。

 

銘板には「第一号隧道 神鳴隧道」と書かれていた。

 

大変に縦長の特異な形状の隧道だ。

 

途中でカーブし、なおかつ照明の類は無い。

 

夜間に走るのは注意が必要だ。

 

 

 

 

 

神鳴隧道を出てすぐにこの様なものが目に入った。

 

「大木惇夫の詩碑」と記してある。

 

大木惇夫(おおきあつお:1895〜1977)は広島県出身の詩人である。

 

太平洋戦争末期、心身の調子を崩した大木先生は大堀村(現浪江町大堀)に疎開したと言う。

 

代表作はカンタータ「土の歌」、「麦畑(誰かがだれかと)」訳詩、歌謡曲「夜明けの唄」などがある。

 

詩碑はこの看板の向こうにある。少々読み難いが、味わい深いものがある。

 

 

 

詩碑の先には駐車スペースが設けられている。

 

駐車スペースの片隅には「神鳴支線」の分岐が隠されている。

 

 

 

神鳴支線へ

 

 

 

 

 

 

駐車スペースの先は相変わらず緩やかな上り勾配の道が続く。

 

防護ネットとガードレールで手厚く保護されているが、注意深く運転するのに越した事はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

極狭の県道を遡ると先程の第一号隧道に良く似た形の隧道が現れた。

 

「第二号隧道 一ノ宮隧道」と言う。

 

高さ制限は現代の基準を満たしているが、幅は見ての通りだ。

 

2t半のトラックですらギリギリなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

一ノ宮隧道を抜けると、またも碑があった。

 

今回は地元出身の作曲家である佐々木俊一先生の譜碑だ。

 

このレポートの一番最初に出てくる歌碑はこの場所にある譜碑がオリジナルだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

譜碑の対面には20台ほどの駐車スペースが最近になり整備された。

 

正面の中洲の岩場には「宮の松」と呼ばれる一本松がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駐車スペースから見た上流側である。

 

渓谷的風景が拡がる。

 

ヤマメや岩魚などが潜んでいそうなポイントだ。

 

渓谷釣りの拠点として駐車場を使う人もいるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

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