このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
住友セメント架空索道 2
〜小川郷駅いまむかし〜
左の画像は昭和50年当時の磐越東線 小川郷駅付近を上空から撮影したものである。
いわき市上平窪の駒込粘土山より架空索道(ロープウェイ)にて運ばれてきた粘土は、小川郷駅北側に建設された積込施設に集積される。
画像では積込施設のほか、索道の施設(鉄柱など)が鮮明に見える。
積込施設に集められた粘土は無蓋車(トキ15000形と思われる)に積み込まれ貨物列車として組成される。
画像にも発車を待つ無蓋車が列を成して止まっている様が確認できる。
組成された列車はその多くが同じ磐越東線の大越駅に運ばれ、住友セメント田村工場に併設された専用線を介して搬入された。
(一部は常磐線 四ツ倉駅に運ばれ、
住友セメント四倉
工場に搬入された)
昭和60年(1985)年6月末をもって、小川郷駅の貨物取り扱いは廃止され、同時に粘土山からの索道による粘土輸送も終わった。
粘土輸送廃止後、積込施設は解体され住宅地に姿を変えた。
架空索道も施設一切が撤去され、今現在では何の痕跡も残さない。
小川郷駅は平成元年(1989)3月11日、磐越東線のCTC(列車集中制御)化に伴い無人駅となった。
いわき市小川町高萩にある磐越東線 小川郷駅。
大正4年(1915)7月10日開業。今年で95周年を迎えた。
いわき市小川町内の端に位置する小川郷駅は一定の定期利用旅客を有し、朝夕にはいわき〜小川郷間の区間列車も設定されている。
駅舎内にお邪魔して時刻表を見る。
…相変わらずひどいダイヤだ。これではどうにも使えない。
正午頃に訪れた小川郷駅ではあるが人の気配あり。
駅舎内には本が並べられミニ図書館のようになっていた。駅舎に設けられた椅子に座った地元の方が2人談笑されていた。
なかなか良い雰囲気だ。
駅舎内を通り抜け、ご覧のような地下通路を通り、ホームへとアクセスする。
通路の入り口には電光掲示板が設置され、JR東日本の広告が流れる。
通路内も地元の学生による絵画が飾られ、華やかな雰囲気を演出している。
小川郷駅に限っては無人駅にありがちなうらぶれた様子はあまり感じない。
ホームからいわき方面を見る。
小川郷駅は島式ホーム一面と、錆付いた側線1本を有する典型的な田舎の駅だ。
昭和60年まで粘土輸送の拠点駅として活躍していた様子は感じられない。
続いてホームから郡山方面を見やる。
モダーンな住宅と寂しい線路の取り合わせは
お隣の赤井駅
でも感じた。
時代の流れなのだからしょうがないとは思うが、世の無常を感じずにはいられない。
現在、住宅が立ち並ぶ付近には「住友セメント専用線」が敷かれ、巨大な積込場から無蓋車に粘土が積み込まれていたのだろう。
次の画像では昭和40年頃の小川郷駅華やかなりし頃の画像を紹介したい。
左の画像は当HP読者の田邊様から頂いた昭和43年(1968)2月当時の貴重な画像である。(
田邊様のHP
自動車塗装の自分史とSL蒸気機関車写真展)
今まさに、専用線から蒸気機関車重連の貨物列車が大越駅に向けて出発する様子である。
蒸気機関車と比較すると、積込場の巨大さが分かるだろう。
ドレーンと黒煙…相当の重量があったのだろう。
続いてもう一枚田邊様から頂いた画像を掲載する。
D60 76号機と9600型の重連に率いられた貨物列車の勇壮極まるショットである。
昭和40年代前半、平機関区には磐越東線用の蒸気機関車として、D60形や9600形、8620形などが配置され、当時の蒸気機関車撮影マニアの人気を集めていたのだと言う。
田邊氏がこのショットを納められてから7ヵ月後、磐越東線における蒸気機関車の運転は廃止され、昭和43年10月からはDD51形ディーゼル機関車によって貨物輸送が行われるようになった。
画像で貨物列車の先頭を勤めたD60 76号機も磐越東線の無鉛化と共に同年内に廃止されてしまったとの事である…
この画像は架空索道稼動当時の様子を伝える貴重なものである。
住友セメント所有のDD201形(昭和37年12月製造 日立製作所製)ディーゼル機関車が積込場に貨車を押し込んでいる風景と思われる。
背後には架空索道の鉄柱とロープ、ゴンドラが確認できる。
ゴンドラはやや小ぶりだったようだ。
トキ15000形の古めかしい様子にも注目したい。
※ (画像提供のお願い)
駒込粘土山の稼動当時の様子、架空索道の現役当時の様子、小川郷駅華やかなりし頃の様子…などの画像をお持ちの方は是非当HPまでご一報ください。
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