このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

好間軌道 2

〜跨線橋と残存する築堤〜

 

 

 

明賢寺からの急な坂を下ると、磐越東線の「大館踏切」に行き当たった。

 

警報機は設置されているが、遮断棒は設置されていない、いわゆる「第3種踏切」である。

 

この付近に好間軌道の遺構が残存する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カンカン鳴ったらわたるな」

 

色使いの割には強い調子で警告する看板が設置してあった。

 

こんな時間に列車なんか通るめぇ…9時の列車が通ると14時まで列車は来ないのだ。

 

ヵンヵンカンカン…

 

あれっ?

 

 

 

 

 

郡山方面からやって来たキハ110系の快速「あぶくま号」いわき行き。

 

年末年始や連休時に運転される列車だ。

 

この列車の運行を失念していた私は慌ててシャッターを切ったためこのような画像が出来上がってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

快速あぶくま号を見送りつつ一枚撮影する。

 

画像をよく見ると枯れススキの藪の中に煉瓦作りの橋台があるのが確認できる。

 

これが好間軌道の遺構「跨線橋」だ。

 

跨線橋の橋台は一対存在すると言う

 

反対側の橋台も探してみよう。

 

 

 

 

 

藪の中を分け入って行くと反対側の橋台が確認できた。

 

煉瓦自体は廃止後79年経った現在でもその形を保っている。

 

近隣の 御台境鉄橋跡や鬼越第一隧道 のように、この付近に残る赤煉瓦つくりの建造物は極めて堅牢に造られている。

 

当時の職人の丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。

 

 

 

 

 

 

磐越東線を跨ぎ越した好間軌道は90度転進し、現在の国道49号線と並行するように進んでいた。

 

画像では歩道のさらに左側に敷設されていたものと推測する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像中央、歩道の向こうに一段盛り上がった道らしきものが確認できる。

 

これは好間軌道の軌道敷の築堤であったものと言われる。

 

現在の国道49号線の整備促進によりメインストリートから取り残されてしまった為に、幸運にも現在までその姿を残している。

 

 

 

 

 

 

 

 

築堤上に登ってみる。

 

軌間762㎜の軌道としては充分すぎる程の幅員が確保されている。

 

古の自動客車の運転士はこのような風景を見ていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

築堤は進むほどに綺麗になっている。

 

現在では画像奥のお宅の庭先として機能しているようだ。

 

こういう使われ方は微笑ましい。そして羨ましくもある。

 

軌道はこの先どのようになっているのであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

軌道は築堤を用いて直線的に敷設され、画像手前の小川を渡っていたものと考えられる。

 

今現在ではスロープ状に改装され、画像右の駐車場の車の通行に使われている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

好間軌道は画像の中央付近を直線的に通り、元の好間村役場を目指し進んでいた。

 

現在では分譲地が造成され、モダーンな住宅が建ち並ぶ。

 

そこに古の軌道を思い浮かべる事は出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在の下好間簡易郵便局の傍らを通り、軌道は国道49号に合流する。

 

資料を見ると、跨線橋から先は直線的に軌道が敷かれている。

 

跨線橋〜街道(49号)辺りまでは専用の軌道敷が設えられていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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