このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

常磐炭鉱専用鉄道 高倉線 1

〜内郷駅付近〜

 

 

 

国道6号線、一の坪交差点より分岐する県道66号 小名浜小野線。

 

常磐線を跨ぐ陸橋から専用鉄道の痕跡を伺うことができる。

 

画像中央奥に内郷駅。そこから真っ直ぐ進むのは常磐線の線路である。

 

その左側にいかにも線路が敷かれていたことを思わせる土地がある。

 

この敷地が専用鉄道 高倉線と綴坑線の線路が敷かれていた場所である。

 

 

 

 

 

陸橋から反対側を見る。

 

敷地は扇形に拡がり、敷地の右側はライトグリーンの壁が鮮やかなお宅の庭となる。

 

このお宅のある付近から専用鉄道高倉線が分岐していたものと思われる。

 

一方、綴坑線の方は暫くの間常磐線と並行に進む。

 

 

 

 

 

 

 

高倉線の跡は画像からも伺える。

 

民家が連なり鉄道カーブを描いているのがお分かりいただけようか。

 

綴坑線は画像中央に見える常磐製作所の裏手に廻るようにして分岐していた。

 

画像右側の山頂付近から煙突が見える。

 

 

 

 

 

 

 

今現在では山から生えているように見え、とっても奇異に見えるこの煙突。

 

これは明治42(1909)年、当時綴鉱を経営していた三星炭鉱が業務拡大のために建築した機関排気用の大煙突である。煙突部分は煉瓦作りとされている。

 

三星炭鉱は明治41(1908)年、この綴地区に綴鉱を開いたのだが、大正2(1913)年5月、未曾有の大出水(当時は「湯本温泉の栓を抜いた」とも言われた)に見舞われ、大正5(1916)年に磐城炭鉱に設備一切を売却して綴鉱から撤退した。後を受けた磐城炭鉱は苦難の末

出水の停止に成功し、内郷綴鉱として採炭を続けた。

 

綴鉱からの採炭は昭和38(1963)年まで続けられた。

 

 

 

稚拙な画像で申し訳ないが、煙突の構造はこの様になっている。

 

煙突本体の下部には煙を導く為の煙道が山の斜面に沿って作られていた。

煙道は機関室に接続されている。煙道本体はコンクリート製と思われる。

 

来年(平成21年)で建造から100年(!)を迎えるこの煙突。これも常磐地方の産業遺構として末永く記録されるべきものである。

 

 

 

 

 

 

 

陸橋を降りて、常磐製作所の前に立つ。

 

専用鉄道 高倉線は廃止後、いわき市道白水高野線となった。

 

画像の付近から高倉線跡が市道に転換されたものと思われる。

 

高倉線は画像手前付近で 内郷電車線(常磐炭鉱専用電車軌道 )と平面クロスしていた。

 

 

 

 

 

 

 

内郷電車線は常磐製作所敷地内を始点としていた。

 

常磐炭鉱内郷住吉鉱、町田鉱への資材搬送、鉱員輸送を目的として大正11(1922)年に敷設され、「チンチン電車」の愛称で地元市民に親しまれ昭和34(1959)年まで運行されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

専用鉄道 高倉線の廃止は昭和36(1961)年。

 

常磐炭田内の専用鉄道(専用側線)の中でもいち早く廃止されたためか、市道の線形は高倉線当時の雰囲気を良く残している。

 

廃止が早かったと言うことは残された遺構も少ないと言う事だ。その少ない遺構や沿線の情景などをレポートして行く。

 

 

 

 

 

 

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