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常磐炭鉱専用鉄道 内郷線 1
(常磐炭鉱専用電車軌道)
(内郷線)
専用鉄道 内郷線は常磐線 綴駅ホーム手前から分岐する。常磐線からほぼ90度向きを変え西に向かう。
専用鉄道は分岐直後、新川を「榎下橋」で渡る。
(電車軌道)
電車軌道は内郷駅から300m程離れた常磐製作所の構内から始まる。
常磐製作所構内から出ると専用鉄道 高倉線と平面クロスする。
現在の県道66号に沿うように敷設された電車軌道は榎下橋の先で専用軌道と合流する。
(内郷線、電車軌道)
合流した電車軌道は第一の目的地、常磐炭鉱住吉坑を目指し西進する。
住吉坑手前で宮川を橋梁で渡る。
(専用鉄道 高倉線 浜井場車庫)
やっぱり浜井場車庫はいいねえ…
??
おお!間違った!つい近くまで来たので車庫を撮ってしまった!
今回は内郷線の探索に来たのであります…
とはいえ、「電車軌道」の始点はここから程近いところに有る。
浜井場車庫から内郷駅の方に戻ると、ご覧のような景色が目に入る。
画面手前の2車線道路は
専用鉄道 高倉線
だった。
一方の電車軌道は常磐製作所構内から出てすぐに高倉線と平面直角クロスする。
専用鉄道と電車軌道の安全確保はどのようにして行われていたのだろうか?興味のある所だ。
電車軌道はこの常磐製作所(綴製作所)から炭鉱で使用する機器などの輸送を目的として敷設されたので始点は製作所内にあった。
現在では詳細な位置を特定するのは難しいが、恐らくは画面中央奥辺りに始点が存在したものと思われる。
資材搬入、積込のための側線も存在したものと推測される。
上の画像の反対側はこのようになっている。画面中央あたりが製作所前停留所のあったところだろうか。
現在の道路は100m程で右にカーブを切り、内郷跨線橋で県道66号線と合流している。
電車軌道はこのまま直進し、内町小学校をかすめるようにして一路専用鉄道との合流を目指す。
直進中に新川を渡っていたようだが、現在では電車軌道の橋の痕跡は見当たらない。
(専用鉄道)
一方、内郷駅ホーム手前で分岐した専用鉄道 内郷線は分岐直後に新川を跨いでいた。
「榎下橋」(えのきしたばし)と呼ばれていたようだ。
画像は内郷駅側の橋台跡だ。現在の内郷駅下りホームからは僅か50m程しか離れていない。
これ程駅の近くに廃線の遺構があるのは珍しい。有難いことである。
こちらは西側の橋台跡だ。
鉄道は無くなってしまったが、橋台は川岸に極めて強固に作られた為、破壊される事も無く現存している。
ちなみに、私が撮影している場所は車道の「榎下橋」であるが、この橋は専用鉄道が現役であった時も存在していた。
車道と専用鉄道の近接ぶりにご注目いただきたい。
この地点からSLを撮ったなら、さぞかし迫力のある画像が出来た事だろう。
橋台のアップだけでは位置関係が分かりにくいので引いて撮影する。
一際大きな看板が
合流してすぐに電車軌道の「記念館前」停留所があったと思われる。
記念館は画像左側のフレーム外、左側の地区に存在していた。
☆ 記念館?
「記念館前」停留所と言うが、いったい何の記念館か?と思われる方もいるだろう。
記念館は「浅野記念館」と呼ばれていた。「浅野」とは浅野総一郎氏(嘉永元年(1848)〜昭和5年(1930))のことである。
浅野氏は明治16年(1883)に平出身の山崎藤太郎氏より出資の勧誘を受け、磐城炭鉱㈱を設立した人物である。
また、浅野グループの総帥であり、代表する会社としては日本セメント㈱(浅野セメント㈱)がある。
記念館は昭和9年(1934)に建立され、昭和48年(1973)に解体されたと言う。
電車軌道と合流した専用鉄道はこれより先、町田坑石炭積込所付近まで並走する。
合流して200m程は現在の県道66号 小名浜小野線に沿って敷設されていたが、程無くして分岐する。
かつて専用鉄道と電車軌道が分岐していた地点を撮影する。
左手に分かれていくのが現在の県道66号である。右手に分かれていくのが電車軌道と専用鉄道である。
2台並んで車が止まっている辺りに線路があった。
「ダイナマイト」の看板が目印だ。
分岐してすぐ、この様な光景になる。
県道66号から別れた道は市道磐堰蛭子線と呼ばれている。
正面には橋が見えてきた。
専用鉄道と電車軌道は画像左側の駐車場の辺りに敷設されていたはずだ。
もちろんその延長線上には…
橋がある。
配管の架台としてパチンコ屋の駐車場の片隅でひっそりと余生を過ごしている。
上の画像ではちょっと分かりにくいのでパチンコ屋の駐車場から橋全体を写してみた。
画面奥が内郷駅方面。左手の橋が専用鉄道、右が電車軌道である。
10m足らずの橋にも関らず中央の橋脚があるのは不思議な気もする。
パイプはまだ現役で使われているようだ。しばらくはこの橋台跡も安泰だろう。
橋を渡った先には長閑な日曜の風景が拡がる。
自転車の行商のおばさんの周りにはお客さんが集まり屈託のない世間話をしている。
奥の食事処は開店準備に忙しいようだ。
橋から先は現在の道路=線路敷と考えて良いだろう。
この先にはどの様な風景が待ち受けているのだろうか?
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