このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
常磐炭鉱専用鉄道 小野田線
〜始まりの専用鉄道〜
常磐炭鉱専用鉄道 小野田線の基礎知識
開設 明治30(1897)年2月22日
廃止 昭和44年(1969)年12月1日
湯本駅〜磐崎村上湯長谷(現
全長 2.94km
上湯長谷地区の採炭
安政7(1860)年、上湯長谷藩(かむゆながや)小野田地区で石炭の路頭(地上に露出)が発見された。
地元の太平左平太氏の手により石炭の採掘が始まったと伝えられる。
その後、明治時代初期に入ってからも小野田地区の採炭は続いていたが、いずれも中小の炭鉱によるものだった。
地元磐城の好間村出身である山崎藤太郎氏は小野田地区の炭鉱発展の為には巨大資本の投下が必要と考え、資産家の浅野総一郎氏(嘉永元年(1848)〜昭和5(1930))、
渋沢栄一氏の両氏の出資を取り付け明治16(1883)年に「磐城炭鉱社」を設立した。
「磐城炭鉱軌道」の開通
磐城炭鉱社は小野田坑に資本を投下し、設備の充実を図っていった。
しかし、旧態依然とした輸送形態(主に馬による輸送)では、設備の充実に出荷が追い付かないと言う難題があった。
磐城炭鉱社は明治19(1886)年、小野田坑から小名浜港に通じる全長12.87kmに及ぶ運炭用軌道の敷設を申請し
翌明治20(1887)年、「
磐城炭鉱軌道
」が開通した。
日本鉄道 磐城線(常磐線の開通)と専用鉄道の開設
磐城炭鉱軌道は開通したものの、小名浜港での船積みには問題があった。
小名浜港は遠浅であり、磐城炭鉱軌道も港に長さ80mに及ぶ桟橋を作ったが、それでも船が接岸することは出来ず、
「屈強なる男衆が胸まで没し」桟橋から船まで石炭(俵)を運び積み込んだと言う。
そのような状況であるから、当然海が時化の時は船積みが出来ず、小名浜港には出荷待ちの石炭が山積みされたという。
そのような状況下、日本鉄道(後に国鉄)は水戸〜岩沼間の鉄道敷設を計画していた。
石城郡内の敷設ルート確定までには紆余曲折したものの、明治28(1895)年から磐城線(常磐線)の敷設が始まった。
磐城炭鉱社は直近の湯本駅から小野田坑までの3km弱を結ぶ専用鉄道の開設を申請し、
明治29(1896)年に免許を取得し、専用鉄道の敷設を開始した。
翌明治30(1897)年2月22日、専用鉄道 小野田線は開通した。
石炭を直接大消費地東京に送ることが出来た小野田坑は飛躍的な発展を遂げ、その後の磐城地方の運炭鉄道の発展にも寄与したのである。
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |