このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



乗鞍賛歌

その1・乗鞍スカイライン、エコーラインの想い出


魔王岳から見た乗鞍スカイライン(2002年10月撮影)


※この作品は「【検証】近未来交通地図」に掲載されたものを補筆改稿したものです。

初出:2002年10月
特記なき写真は2005年7月撮影

【ご案内】 乗鞍岳マイカー規制についての論説は、「交通論の部屋」の 「乗鞍岳マイカー規制について」 をご覧下さい。


●乗鞍スカイライン、エコーラインの想い出
標高2700mあまり、日本一標高の高い道路として名高い乗鞍スカイライン(岐阜県高山市丹生川村平湯峠−畳平)と乗鞍エコーライン(県道乗鞍岳線:畳平−長野県松本市安曇村乗鞍高原)にマイカー規制が敷かれてから今年で3回目のシーズンを迎えました。

その乗鞍スカイライン(畳平)を最初に訪れたのは1992年のことでした。
乗鞍スカイラインといえば雲海ですが、エコーラインを上り詰めて畳平に至ると、スカイライン側に広がる雲海に息を呑み、そして雲海に向かって下った感動が忘れられないのですが、結局雲海はそれっきりでした。

乗鞍の雲海(1992年9月撮影)雲海に向かうスカイライン(1992年9月撮影)


この時、数多の「スカイライン」とは別格の風景に心を奪われ、当初住んでいた首都圏からも、後に転居した関西からも遠いエリアではありますが折を見て訪れるようになりました。
幸か不幸か訪問はおおむね晴れで、1993年には標高3026mの主峰剣ヶ峰に立ちましたが、1995年に畳平は雲の上、と信じて、悪天候をついて、溢れた沢の水が路面を洗うエコーラインを上がったら、畳平も荒天どころか県境の山頂ゲートが閉鎖されていて、すごすごと引き返したのが唯一の悪天候でした。

小さな滝が濁流に...(1995年7月撮影)雪が残る畳平手前のエコーライン(1995年7月撮影)

1997年の訪問では大雪渓の上の断崖で渋滞にはまりましたが、晴天のなか目の前にそびえる槍・穂高の姿をこころゆくまで堪能できた嬉しい渋滞も懐かしいです。帰路はスカイラインから平湯温泉、そしてその冬に安房トンネル開通となる直前の安房峠越えをしており、大型にとっては地獄の11連続ヘアピンの渋滞を体験したのもいい想い出です。
もっとも、一昨年大問題になった「入浴剤入り」の白骨温泉公共浴場にその時嬉々として入ったという影の面もありましたが。

畳平と鶴ヶ池(1993年8月撮影)コロナ研究所を望む(1993年8月撮影)

さて今回ご紹介するのは、ラストイヤーとなった2002年10月の訪問。そしてマイカー規制3年目となった2005年7月の訪問です。いずれも神戸起点での家族旅行。乗鞍高原に宿をとってじっくりと訪れました。
実はラストイヤーの2002年は7月にも乗鞍に行ったのですが、全国的に梅雨明けとなったその日、乗鞍山頂は強風に加えてガスがかかり、全く視界が利きませんでした。神戸から名神、そして東海北陸道を終点の飛騨清見ICまで走り、R158経由で平湯峠まで来たんですが、「乗鞍ラストイヤー」「あと103日」と出ていた料金所では、「頂上渋滞2km、駐車場2時間待ち、視界不良」とあり、強風で二輪の通行制限が掛かるほどでした。

その時は路肩に雪が残り、畳平の売店ではストーブが焚かれており、ラジオが伝える梅雨明けがウソのような気分でしたが、結局渋滞はするわ、視界は利かないわと欲求不満が残り、秋の再訪となったのです。



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