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乗鞍賛歌

その2・乗鞍ラストドライブ


乗鞍高原から見た乗鞍岳(1997年7月撮影)


※この作品は「【検証】近未来交通地図」に掲載されたものを補筆改稿したものです。

初出:2002年10月
特記なき写真は2002年10月撮影

【ご案内】 乗鞍岳マイカー規制についての論説は、「交通論の部屋」の 「乗鞍岳マイカー規制について」 をご覧下さい。


●乗鞍ラストドライブ(その1・乗鞍への道)

魔王岳から見た畳平

2002年10月5日の早朝、神戸を出て阪神高速、名神、中央道を走り継いで中津川ICへ。ここから木曽路を辿って長野側から乗鞍にアタックするロングドライブの始まりです。
中津川市街をバイパスしたR19が2車線になると左手下方に木曽川が並走します。岐阜・長野の県境を越えると木曽路で、飯田へのR256を進めば有名な妻篭宿があります。秋の行楽シーズンではありますが交通量は少なめで、中央西線のように寝覚ノ床こそ見えませんが、その名残のような巨石が河原に点在する木曽川を見やりつつ、スムーズに流れて上松町へ。有名な木曽の桟(かけはし)もR19がトレースしているので走っている限りは見れないジレンマです。

上松の元橋交差点で御岳方面に曲がります。木曽路のR19は要所要所にスキー場や観光名所を案内する統一デザインの看板が整備されており、目的地傍のこの手のランドマークを把握していれば楽に進めます。乗鞍へ真っ直ぐ行くなら薮原まで進んで県道を奈川村へ抜けるのが近いのですが、取り敢えずせっかくの遠出ですから少し寄り道を考えています。最後の年ということで乗鞍の混雑は例年になくひどく、午前中だと畳平まで6時間かかったとかいう話がざらであり、それならば登山客が引き揚げる午後に登ろうと考えたため、時間調整もかねています。
御岳ロープウェイの看板が見え、もう一つの3000m級の名山、木曽御岳も欲張ろうかと考えましたが、天気はまあまあとはいえ高曇りで今一つ視界も利かない感じで、まあこれは又の機会にと三岳村を通り過ぎ、開田高原へ向かいました。

第一の目的は開田高原にある御嶽温泉ですが、あろうことか案内看板を見落としてしまい、走るうちに開田高原の外れ、R361との合流に着いてしまいました。温泉を諦めそのままR361に入り、長野・岐阜県境の長峰峠へ。ここは1997年冬のR158安房トンネル開通までは、中津川‐下呂のR256にある付知峡の塞の神峠と、日本海に面したR8の親不知の間で冬季唯一閉鎖にならない峠でした。
峠自体はさほどの隘路でもなく、岐阜県高根村側に下ると「チャオ御岳スキー場」の看板が。JRCが力を入れているスキーリゾートですが、まさか峠の向こうとはというシチュエーションで、高山線久々野あたりからのアクセスの方がバス区間は短かそうです。

飛騨川の支流をせき止めた高根第一ダムのダム湖沿いは改修が進んでおり、2年前に同じように木曽福島から野麦峠に抜けた時にはT字路を右折した分岐も新しいトンネルと橋が掛かりR361が直進です。ここを右折して野麦峠へ。今でこそR158が諏訪と飛騨のメインルートですが、梓川の電源開発でR158が拓かれるまではこちらが本街道でした。
峠を上り詰めるとそこは「野麦峠の館」などがある小公園。見返ると乗鞍岳がそびえ、これまで多くの女優が競演した「あゝ野麦峠」が感涙を絞った「あゝ飛騨が見える」の世界です。

「あゝ野麦峠」で描かれた明治期、この峠は諏訪の製糸産業に就職した飛騨からの女工が数多く行き交い、様々なエピソードを残していますが、峠の碑文を見ると、初期こそ借金のカタに奉公といった女工哀史の世界ですが、後には主力産業への就労ということで、ロクな産業の無い飛騨を後に自ら峠を越えたというのが真相のようです。
この峠の交通が止んだのは1934年の高山線の開通を待たねばなりませんが、元号で言えば昭和9年のこと。奇しくも平成の9年、1997年には安房トンネルが開通しており、飛騨の新たな夜明けとなっています。

峠を下ると長野県奈川村。中腹の集落までは奈川村営バスが来ているようです。二又トンネルで有名な奈川渡まで進まずに上高地乗鞍スーパー林道へ入り、乗鞍高原の鈴蘭まで短絡します。梓川の支流が刻む谷筋をショートカットする林道は全線舗装。林間コースは思ったほど視界が利かずただカーブを切るだけといった感じです。
一の瀬まで来ると一の瀬園地と称する高原の公園が開けていますが先を急ぎます。思ったより時間を食っており14時が近く、真っ直ぐ畳平に向かわないと、17時といってある宿への到着に遅れますし、18時のエコーラインの閉鎖も迫っています。
鈴蘭の観光案内所前の十字路で白骨から上高地に向かう林道から左折してエコーラインへ。いよいよ乗鞍に挑みます。


●乗鞍ラストドライブ(その2・夕景のエコーライン)
冬場はここが終点で、ここから先は乗鞍高原スキー場になります。カラマツ林を回りこんで国民休暇村を過ぎて登りますが、スキー場の南端をトレースしている段階です。急に視界が開けると三本滝のレストハウス。ここから畳平までは7時から18時までの時間規制が敷かれており、翌2003年からはここがマイカーの限界点になります。
だいぶ登ったように見えて、リフトの支柱が出迎えることから分るようにここがスキー場の頂上です。実は9年前の冬に滑りに来たことがあるのですが、標高1500mクラスは半端な寒さでなく、1本滑った直後に売店に駆け込み、マスクや耳当てなどの防寒具を買い込んだ苦い想い出もあります。おまけにそこまでしても空気が冷たすぎ、しもやけ気味の気管支炎を起こしましたし...

もう登るクルマも少ないと思っていたんですがまだまだ多いです。おまけに下るクルマも多く、離合が難しい狭い道に加え、ヘアピンカーブが続出するので大変です。2台前と数台前を行くクルマが車幅感覚が取れておらず、後ろから見たら楽勝ですれ違えるのにいちいち停止したり、何でもないところで止まったりと運転がなってません。おかげで後続は思いもしないところでの急停車を余儀なくされますから散々というより危険で、最後だから来たいと言う気持ちはわかりますが、最小限の技量は持ってから来て欲しいものです。

見上げると頂上近くのエコーラインが見えますが、芥子粒のようなクルマの列が見えます。あれが畳平とおぼしきあたりの車列は動いているので目論見通りと思いつつも、目の前の下手糞は何とかならんのかと思いながら登ります。ところが冷泉小屋のあたりで渋滞気味になり、ヘアピンカーブを幾つも切った位ヶ原山荘で完全に渋滞になりました。じわりじわりと進む中、痺れを切らせて引き返すクルマもちらほら。乗鞍を越えて奥飛騨や高山に抜けるつもりだったのでしょうか、タイムアップのようです。

紅葉越しに見る乗鞍岳

このあたりは紅葉が綺麗で路駐も多いので、下山するクルマとの離合に手間取るのも渋滞の原因のようです。路駐は論外とはいえ、せっかくの絶景を見たいのも人情です。ただ、停めるにしても作法って言うのがありますから、比較的邪魔にならないように停めればここまでひどくはなりません。ひどいケースを例示すれば、すでにクルマが停めてある対角、ヘアピンカーブの出口の外側、大型がいちばんオーバーハングする箇所など、少し考えればわかりそうなものですが...
大型と言えば、エコーラインでは大型は午前中登り、午後下りの一方通行となっていますが、小型バスが何台か登っているのが見えます。ここに下山の大型バスが鉢合わせしますから最悪で、下り側もバスを先頭に何十台もの悌団を組んでの下山です。

遅々とした動きの中、ようやく森林限界に達しました。ダケカンバの密度が薄くなり、下草のようなハイマツがやがて地面を覆い、高山植物の世界に入ります。視界を遮る木々が消え、周囲が開けるとそこは木曽御岳から北アルプスへの名峰が目に飛び込んできます。
細かいカーブを3つほど切ってヘアピンカーブを切ると、いよいよ大雪渓。夏スキーのメッカですが、ひと夏が過ぎた状態では雪もほんのわずかで、スキーヤーもいません。過去の体験ですと大雪渓でのスキーヤー渋滞がひどかったのですが、このまま畳平まで行くようです。
右手には槍・穂高がそびえ、眼下には上ってきたエコーラインのうねる様が見えます。緑の中に黄色や赤の紅葉が点々とする様はなんともいえません。

大雪渓からの最終コースは南側の断崖を這う道です。崩落面を縫うルートで、路肩や法面の補修が絶えないようです。そんな1箇所は1車線ギリギリの区間での作業となっており、なんと交互通行です。どうやら激しい渋滞はこれが原因のようで、どうりでその先の畳平への区間が動いているはずです。
畳平へ抜ける鞍部が長野・岐阜の県境で、標高2715mの日本の道路最高地点です。ゲートを越えると軽い下りとなり鶴ヶ池が左に見えますが、鶴の形どころかほとんど水がありません。スカイラインとのT字路でスカイライン側を見るとクルマの姿など無く、これなら奈川村から奈川渡〜沢渡〜安房トンネル経由で大迂回した方がよほど早かったようです。畳平の駐車場に入ったのは16時半。2時間半の奮闘でした。

畳平と鶴ヶ池。中央の鞍部が日本の道路最高地点


取り敢えず手近な魔王岳に登り、暮れ行く槍・穂高を眺めました。雲海こそありませんが蒼く暮れゆく山並みは目の前にありながらリアリティの無い絵のような感じです。
下るともう土産物屋も閉まっており、管理事務所のクルマが「18時に山頂、山麓のゲートを閉めるので、直ちに下山してください。下まで30分は掛かります」とスピーカーで叫んでします。見るともう17時半で、畳平滞在1時間でエコーラインを駆け下りました。夕暮れは森林帯に戻ると夜の闇に変わり、山麓の鈴蘭は深い闇。畳平から遅れる旨連絡した鈴蘭の民宿に向かいました。


●乗鞍ラストドライブ(その3・最後の乗鞍スカイライン)
泊ったのは前日夜に電話して取れるくらいの流行らないボロ宿ですが、温泉は立派でくつろげました。
宿泊客は皆、乗鞍最後のマイカーやバイクでの登山を楽しんでいるようで、朝風呂を使いながらドライブ談義に花が咲くのもいいものです。

下り坂の天気予報でしたが空は澄み渡り、午前中は大丈夫そうです。8時過ぎに出発してエコーラインに挑みますが、クルマは少なく、うまく行きそうな予感です。南東側斜面なので、朝日を浴びた紅葉が鮮やかで、まさに錦秋という言葉がぴったり。ただ路駐は朝からひどく、位ヶ原ではあたかも渋滞のように片側を占めていました。
昨日はここから渋滞した冷泉小屋、位ヶ原もすんなり進みましたが、森林限界を超えたところでとうとう渋滞です。昨日はそれでもじわじわと進んでいましたが、今日は大雪渓から畳平方面を見ても動く様子がなく、かえって難渋しそうな予感がしました。

エコーラインにてエコーラインの車列は延々と...

ハイマツの間に見える小さな紅葉は盆栽か坪庭のようです。そして槍・穂高を臨みながらの渋滞ですからまあ気分も楽です。しかし進みは最悪で、断念して引き返すクルマの分だけ進むのも大きいほどで、10分くらいピクリとも動かないあとに100M前後進むという感じです。そのうち止まるとみんなクルマから降りて下車観光をはじめる有り様で、前のほうが進み出すと慌てて戻ると言う繰り返しです。
もっとも、バイクは渋滞を尻目に進めるので、下から上からお構いなしにやってきます。その数も半端ではなく、路上に出てもけっこう危ないのは困りモノですし、離合が困難な区間ではバイクも待つので、そんなところに出会うとうるさいのなんのって...
そんな中、天気は容赦無く悪化しており、南斜面からガスが這い上がり、さっきまで見えた槍・穂高も雲の中です。やきもきしますが車列は動きません。

大雪渓にて最後の難関・断崖は交互通行で

大雪渓を過ぎた断崖の区間が最後の難関です。今日は交互通行ではないのですが、離合不能区間が続くため、前車の様子を見て、進むか止まるかを判断して通りぬけるので時間を食います。特にすぐ先にブラインドコーナーがあるので、迂闊に続行すると離合不能区間に残る形で止まってしまいます。
県境まで来るとバイクは駐車スペースに停めてしまうので、クルマだけが畳平を目指す格好です。T字路と駐車場内に誘導員が多数配置されており、スカイライン側とエコーライン側からのクルマを器用にT字路脇の駐車場と畳平終点の駐車場に仕分けており、ようやく駐車場に入ったのは12時半近く、実に4時間を超える行程でしたが、聞くところによるとピークは6時間待ちもザラとのことで、まだマシだったと慰めるしか無いようです。

日本の道路最高地点

T字路でちょうど逆走する形で濃飛バスの路線が畳平に入っていきましたが、後で調べたらどうも9時15分に着くはずの便のようです。バスターミナルに来ると、「遅れていた上高地行きが12時35分に発車します」とアナウンスされてましたが、元便は11時10分発ではなく9時55分発だったようで、もはや無ダイヤ状態です。
昨日は魔王岳だったので、3026mの主峰・剣が峰へ、と言いたい所ですが、子供連れのため断念して花は無いけどお花畑と富士見岳周辺を散策し、昼食を摂って下山の途につきました。天気は幸いにも散策中は晴れており、視界もそれなりに利きました。しかし一度翳ると風は冷たいです。空気は澄んで、と言うよりも軽いというか薄く、子供を抱き上げたりするとすぐ息が上がります。
結局畳平滞在は2時間程度で、これがマイカー登山の締めくくりです。

夏のエコーライン(1993年8月撮影)魔王岳から見た槍・穂高(1992年9月撮影)


時刻はすでに14時半を回っています。今度は平湯峠へのスカイラインに入りましたが、渋滞の車列はさほどでもありません。
しばらく桔梗が原の尾根線を走り、そこから平湯峠への下り坂です。アルピコカラーの松本電鉄の路線バスが道を譲りましたが、乗客ゼロ。さっきの遅れ便もそうですが、いくら何でもと言うくらいの乗客の少なさです。もちろん初便が3時間遅れて昼過ぎの到着というせいもあるんでしょうが、山頂泊の客もいるはずで、ここまで公共交通機関が敬遠されるなかでのマイカー規制も珍しいです。

森林限界を過ぎて色めく木々が戻りましたが、長野側に比べると彩りが落ちるようです。ヘアピンカーブを繰り返して高度を下げますが、さすがに整備された有料道路だけあって走りやすいです。道路中央に鎮座する夫婦松を過ぎると料金所。普通車1570円(軽・二輪は1100円)はいい値段ですが、それを払うだけ、いや、払う以上の価値はあります。気が利くのは釣り銭用の430円のパックが設えてあること、利かないのは通行券に日付が入っていないことでしょうか。
岐阜県道路公社では「乗鞍マイカー登山カウントダウン」と称して、8月9月の2ヶ月間、記念通行券の発行などイベントを繰り広げたようですが、今は10月、祭りの後となっています。

スカイラインから(1992年9月撮影)

さらに高度を下げて平湯峠。ここが2003年度からの「結界」となり、これが最後の「通過」です。直進すると平湯温泉で、確か夏前まで災害通行止めだったのが復旧していました。左に進路を取って平湯トンネル西口のR158に合流すると里の気配。気温も何時しか上がっています。丹生川村の中心では新宿行き高速バスも停まるバス停に「新宿行き乗り場」と大書きしており、天下の新宿直結への期待と感動が見えます。
街路が複雑に入り組む高山市街をR158は行きますが、下呂方面のR41、東海北陸道の飛騨清見IC方面へのR158や古川方面のR41へはそれぞれ市街を迂回する県道や主要道に誘導される作りになっており、道なりにR41に出るとそこはもう高山の南の街外れでした。

登坂車線が完備されている宮峠を越えれば、太平洋に注ぐ木曽川水系飛騨川の流域。久々野では野麦峠やチャオの看板が出てきて不思議な感覚です。山の中なのに渚の道の駅で休憩したあとは、温泉で名高い下呂市街もバイパスで抜けるなど、さすがに二桁国道だけあって走りやすいですが、付知峡経由で中津川に抜けるR257との分岐は直進がR257となっており、ここがややネックでしょうか。
とはいえ所詮は高規格化もされていない一般道です。東海北陸道が出来たとはいえ山向こうであり、日本でも有数の高速道路に縁遠い地方ゆえ、R41の整備状況が地域の死命を制しますが、東海北陸道や中部縦貫道でのアクセスが可能な高山はともかく、下呂など中間地点の今後が気になります。

ここから飛騨川沿いの中山七里の景勝地を行きますが、実に美濃加茂(美濃太田)近くまでこの隘路は続きます。最悪の自動車事故である飛騨川バス転落事故の現場である飛水峡に至る頃はもう闇の中。このあたり名鉄八百津線があった八百津町の町域をかすめる表示に意外感を覚えながら里に出ると美濃加茂です。

土岐からのR21、多治見へのR248と離合する市街地でやや詰まりましたが、そのまま岐阜へ抜けるR21と分れて左折すると4車線、立体交差の高規格道に急変しました。犬山を経て小牧へ至り、当初は小牧〜楠から東名阪、名阪国道経由を考えていたのに、土日も容赦無くリフレッシュ工事で郡山〜香芝が渋滞で、瀬田付近の渋滞を恐れながら名神に入れば、ついに天気が崩れて豪雨になりました。大津手前での上り線の事故見物渋滞を除けば順調で、神戸についたのは22時。さすがに関西から信州は遠かったです。



乗鞍スカイライン、エコーラインの想い出へ

シャトルバスで行く乗鞍岳へ




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