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不思議の国の北リアス (その1)
〜連続テレビ小説の舞台を訪ねてみて


2013年度上半期の話題をさらったNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。
その舞台となった「北三陸」へ、2013年の年末に行ってみました。

北三陸こと久慈駅を後に...



特記なき写真は2013年12月撮影

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●いろいろ織り込んだ年末の旅
とはいえわざわざ岩手県の沿岸北部というなかなか思い立っても行けないエリアに、ロケ地巡りというだけだとさすがに時間もお金も勿体無いというところです。

本命は別にあるわけで、それは2011年晩秋から断続的に続けている沿岸部の被災地訪問。鉄道とバス、そして徒歩で東京湾岸から北上し、2012年春に大船渡に達した段階で「第1部完」として、アプローチも伸びる岩手県沿岸以北については時期を探っていました。
2013年夏にBRT、そして常磐線、石巻線の一部復旧の試乗も併せる格好でその歩みは宮古市内まで北上しており、別の機会に最北の被災地ともいえる函館市を見ていますが、残る岩手沿岸北部と青森県はさすがに遠かったのですが、時間が経つにつれ、記憶に残すべきものが失われていく中で、このタイミングが最後の機会と思い切って行ってきたのです。

残念ながら「完結編」とは言えず、事実上階上町が北限になったため、八戸市、おいらせ町が積み残しとなっており、さらにこれまでの訪問でも時間が合わなかったりといった理由で、牡鹿半島や石巻市の太平洋沿岸、仙台市や名取市の沿岸部(閖上地区はクルマでは訪問している)、宮古市の重茂半島が残っていますし、内陸部の被災地もまだ見ていないのが現状です。

今回訪れたのは宮古市田老から青森県に入った階上町までをメインに、夏に見落としが多々あった山田(海)線沿線、そして春に正式に廃止になる岩泉線代行バスと回ったついでというと何ですが、話題の久慈市周辺を訪問して「あまちゃん」は避けては通れないだろう、ということで、ロケ地めぐりも織り込んだのです。

●プランニングに予約の二転三転
ただし実際の旅立ちに至るまでが案外と梃子摺りました。
上記の通りこれまで何回か東北に出かけていますが、時間的制約、という意味での夜行バス利用が一連の沿岸部訪問では常態化しており、仙台までの夜行バスを使うのが専らでした。

仙台駅東口に到着した「ドリームササニシキ号」
(2013年8月撮影)

もちろんコストパフォーマンスも考えないといけないので、青春18などのディスカウントチケットとの組み合わせになりますが、仙台まで夜行というのは、東京を23時台に出て、仙台に5時台に到着という点で、そこからの交通機関が起き出す時間でもあり(東北線の下り始発が6時ちょうど)、使い勝手が良かったです。

仙台駅の東北線下り始発は6時ちょうど
(2013年8月撮影)

ところが今回はさすがに遠いです。前回は宮古から南下するルートにしており、釜石→大船渡の岩手県交通が朝6時台か午後しかない状態で、必然的に釜石泊になったため、そこから山田(海)線沿線訪問を逆算すると、山田(山)線の臨時快速から仙台発の東北線始発へとつながり、コストパフォーマンスの面でも良かったのですが、今回はそれでは通り抜けるのがやっと。また悪いことに夜行バスを盛岡便にしても、106急行と三陸鉄道のつなぎが悪い、ということで、仙台便と比べるとコストは倍近くなりますが、一気に夜行バスで現地に入る計画にしました。

しかし、仕事納めの12月27日の晩に出てとなるとさすがに帰省ラッシュの本番で、宮古への「ビーム1」が瞬殺でした。おまけに岩泉線に回るために必須の宮古の宿の確保にも梃子摺り、12月にオープンしたばかりの、しかし中心部から相当離れているホテルを押さえた後、ようやくキャンセルが出たのか街中のホテルを確保できた、というように、一時は断念することも考えたほどです。

往路の夜行バスについては、まず久慈への「岩手きずな号」を押さえましたが、4列車なのに9600円もして、しかも久慈着は9時50分と遅く、気が重い状態です。そこで発想を変えて、八戸への「シリウス」を見ると、まだ3列車に空きがあり、しかも「岩手きずな号」より安かったので即決しました。当初の行程は宮古から八戸へ往復する格好で組んでいたわけで、八戸inとなると行程の組み直しになりましたが、影響はほとんど出なかったのは幸いでした。

ちなみに初日が八戸から小本まで往復、2日目が八戸から宮古へ南下、と1.5往復になったり、岩泉線に回る3日目に沿岸部の一部を回すとか、結構な割り返しでしたが、逆に立ち寄り箇所を増やせたたとか意外な効果もありました。

●旅立ちの夜
さて出発当日は仕事納めの納会で飲み過ぎ、時間の計算を間違えてしまい、「シリウス」が出る池袋に着いたのは発車まで10分も無いタイミングでした。かつては「三越裏」というあんまりな名前のバス停でしたが、三越の閉館に伴い今では池袋駅東口9番と改名。しかしストレートで分かりやすかった旧称に比べ、駅を名乗りながらかなり離れているのはどうでしょう。

ごった返す池袋駅東口9番乗り場

歩道に乗客がごった返していますが、予約サイトの情報などを見ると当夜の「シリウス」は30分遅れの続行便や4列車を含めると8台口のようで、乗り場では係員が何人も出て応対に追われています。
ざっくり240人程度は軽米、八戸、七戸方面に向かうわけで、寝台列車が1個列車成立する規模ですから、そりゃごった返します。こうした需要を目の当たりにすると、わざわざ30人あたり乗務員を2人つけるバスでの輸送というのが本当に合理的なのか。環境面などさまざまな面も含めて疑問です。

ネット決済で2%引きとなり、決済通知のメールコピーを見せて乗車です。
実はクリスマス寒波に続き、この日から北東北、北海道は大荒れの予報。これから向かう青森県三八上北地方も暴風雪の予報で、運転手のアナウンスでも遅延の可能性が告げられていました。

相手が天気ではどうしようもないとはいえ、バスが遅れた場合、八戸線が止まった場合、といろいろなケースを想定しての対策を用意しましたが、八戸線がダメだと久慈へのアクセスは二戸−久慈のJRバス「スワロー号」が命綱というわけで、かなり心配な状況でした。

八戸に降り立てば暴風雪、ということで耐寒耐雪装備で出てきましたが、「シリウス」車内は快適というか暑さすら感じる状況で、なかなか寝付けず1枚、また1枚と着込んだ服を脱いでようやく落ち着いたのです。

しかし22時ちょうどに池袋を出たのですが、アナウンスもそこそこに、まだ首都高にも入らないうちに消灯です。窓側席がカーテンで仕切られる今どき仕様ですが、私の席は中列で無縁。まあ3列車の空きがわずかだっただけに取れただけ幸いとはいえ、22時過ぎに消灯されて、しかも開放休憩はなしという環境はきつかったです。

窓側席はカーテンで仕切られる仕様

乗務員交代のために何回か停車しましたが、乗車した国際興業便は仮眠室が床下ではなく、化粧室とともに最後尾にある仕様だったこともあり、交代乗務員が延々と通路を歩くうえに、停車前に移動するから背もたれに掴まることもしばしばで、これで目が覚めることも。

とはいえいつしか眠りに就いたのですが、今度は明らかに圧雪路とわかる振動が響きだし、いよいよ暴風雪の予感。ジャンクションを走る感じにここから八戸道でしょうか。やがて今度はインターを出る感じで、これは軽米ICのようですが降車が無いので放送も無くそのまま再入場ですが、降車が無いのなら本線を通過すればいいのに。

照明がつき、放送が入り、もう少しで八戸ICとの案内。15分ほどの遅れで料金所を出外れたところのバス停に着くと3人が降車。周囲は雪ですが風はそんなにないようです。
市内への道を走ることしばし、不意に駅が見え、八戸駅に到着。遅れは10分程度になり、6時55分の到着。乗り継ぎは7時12分の久慈行きであり、高速道の通行止や渋滞といったリスクで懸念された27分の乗り継ぎはどうやら成立しそうです。

粉雪舞う八戸駅に到着


●久慈への道
バスを降りるとやはり寒いです。吹雪というほどではなく粉雪が舞うロータリーを足早に抜けて駅舎の中へ。
まずはきっぷの購入。青春18きっぷも考えたのですが、1日余っても使うあてがなく、ならば7日間連続有効だが10000円の「北海道・東日本パス」にしました。大晦日に帰京するのに有効期限が正月三箇日いっぱいというのも勿体無いですが、正月休みの親戚回りで少しでもJRに乗る機会があれば使えるので、そちらにしたのです。

八戸線はキハ40系列(八戸)

そして朝飯を買い込んで乗り場へ。雪が積もり、粉雪が舞うホームで待つのはキハ40系列の3連。エンジン換装済とはいえ、いまさらキハ40系列というのも。車内には津波対策で梯子など避難グッズが置かれ、沿線の避難ルートの説明も。そう、震災では海岸線を行く八戸線も被災しており、地震発生時に停車を余儀なくされた列車からの避難が課題となり、車両側、地上側にさまざまな対策が取られています。

津波警報発令時の対応が貼られている車内

ボックスに5人程度、全部で20人もいない乗客で八戸を出ましたが、海沿いに出て、さらに南下すると日も差してきました。
鮫までは駅間も短い八戸市内線という雰囲気で、「うみねこレール八戸市内線」というキャッチコピーもあります。鮫の先でウミネコで有名な蕪島を見やるとここから太平洋が寄り添います。そしてのんびりと久慈に向かったのです。

網棚には避難梯子も

ひときわ海岸線が近づいた有家のあたりは震災で線路が流出した区間。陸中中野からは山越えとなり、海辺の侍浜集落の入口として山中にある侍浜をピークとする峠を下ると陸中夏井。いったんここで降りて、津波被害もあった周辺を見ましたが、雪に覆われて痕跡はなし。津波被害を受けた国家石油備蓄基地と「もぐらんぴあ」への道に入り、海が見えるあたりまで歩きましたが、夜来の雪が積もっており、まだ踏み跡のない雪道は歩きづらかったです。

夏井駅付近。国家石油備蓄基地の文字が見える

あと1つで久慈というところで降りてどうする、と思われるでしょうが、久慈市内を走るバスがあるのです。市内に路線網を持っていたJRバス東北の撤退から、市内のバス路線の再編となり、岩手県北交通と地場の観光バス業者、ヒカリ総合交通、三河交通観光の3社により運行される久慈市民バス「のるねっとKUJI」となった路線があるのです。

夏井駅前バス停。雪を払ってようやく見えました

バス停が雪を被って何も見えない状況ですが、時刻が近づくともう1人やってきました。陸中大野からの大野線は毎日運行で、乗客も高齢者が大半とはいえ10人程度と結構乗ってます。

陸中大野からのバスがやって来た

バスは県立病院に寄ってから久慈市街へ。街中にある「道の駅くじ」がロケ関係のポイントと聞いており、このあと駅のほうに曲がる十字路手前の銀行前バス停で降りましたが、どうやらこのバス、次のバス停が道の駅だったようです...

銀行前バス停付近。ここが市街地の中心のようです


●あのテーマソングが鳴り響く
「銀行前」の名の通り、岩手銀行と北日本銀行の支店が目立つ街角から道の駅に向かいます。
と、歩道が朝市のようになっており、美味しそうな干し鮭が吊るされていました。

朝市の一角を通り抜ける...

その一角を抜けると道の駅「やませ土風館」。やはりというか、「岩手(県)久慈(市)は『あまちゃん』のロケ地です」という横断幕や幟がはためいていました。

道の駅やませ土風館

で、軒先を歩いているとやはり聞こえてきました、ドレファソラシド♪ではじまるあのテーマソング。しばらくこれを聞かされ続けるのかと思うと正直ちょっと悩みましたが、音源がサントラ集のようで、他の劇中音楽に変わったので救われました。

ようこそ久慈市へ

バイパスから離れた街中の道の駅というのもコンセプトが分かりませんが、食品スーパーが入居しているというのもますます狙いが見えません。まだ空いていないレストラン、多目的ホールの先に観光案内所があり、まずはここの見学です。

久慈市へようこそ

あとで見ることになる「駅前デパート」に入居している設定の「北三陸市観光協会」ではなく、本物の?「久慈市観光協会」が目の前にあります。まだ10時頃で観光客もおらず、秋祭りで使う大きな山車が鎮座するホールに入ると、早速ありました、ロケ関係の数々。

まずは山車がお出迎え

まず目に付いたのが「北三陸鉄道」の駅名標。「きたさんりく」「そでがはま」「はたの」の3点セット。そしてその手前下には「南部もぐり」の潜水用ヘルメットと豆絞りの手拭い。

ヘッドマークと駅名標、そして潜水具も

横に目を移すと、お座敷列車と、「畑野」まで復旧時のヘッドマークが。さらに「袖が浜」の地図と、海女をモチーフにした観光用の看板まで。

袖が浜の地図。ドラマの基本設定ですね
「北の海女」の看板

ちょうどいい感じにサントラのBGMが替わり、次のコーナーは「北三陸駅」の模型。

北三陸駅の模型

これはNHK放送センターのセットを模しただけで、出来もいまいちですが、「北鉄」の時刻や駅、運賃などの情報が分かる何気に重要なポイントです。

基本設定その2 路線図と運賃表

ここで分かったのは震災当日、ユイが乗った列車が「北三陸駅」を14時25分に出たということ。21分後に畑野トンネルで被災したことになります。

基本設定その3 北三陸駅時刻表

山車の反対側には「あまちゃん」出演者のイラスト入りの竿灯のような飾りが。よく見るとこの山車もロケで使われたのでは。
そしてホールを出たところにはロケ地となることが決まってからの歩みの記録ともいえる「あまちゃん通信」が全号置いてあり、持ち帰り歓迎だったのでありがたく頂きました。

竿灯のような飾りも


●久慈の街中を行く
「袖が浜」のロケ地である小袖海岸へのバスが12時25分発。お昼は道の駅のレストランで、と決めていますが、11時の開店までは時間があるのでとりあえず街中を歩いて見ました。

と、いきなりのけぞったのが道の駅の掲示板。ドラマの続きは岩手県久慈市で、と、NHKのポスターを意識した「出演者総登場」のスタイルのポスターが2組貼られています。

「勝手に観光キャンペーン」(ポストカードにもなっていました)

主体は道の駅で、「勝手に観光キャンペーン」と銘打っていますが、それがパロディなのかおふざけなのか。地元の商店主や「有名人」が総出演ですが、それなりのイケメン風の「北のヒロシ」は酒屋の若主人というのはまだマシなほうで、どう見ても女装の「極限の海女」はあんまりです。ちなみに「極限の...」は「北限の海女」のパロディ。1959年にラジオドラマで取り上げられて有名になった「北限の海女」(これ自体は原作者の造語)が実際にあるため、「あまちゃん」は「北の海女」というある意味中途半端なキャッチコピーなのです。

うわぁ...

もうこの時点で、男衆がスナックで飲みながら企画を考えたような出来なんですが、さらに頭を抱えたのが「元々の」観光用のキャラクターです。
久慈市がこんなブレイクなど予想もしなかったのか、お笑い路線というか際物路線で売っていたようで、街中の観光資源である昭和レトロ館をベースに、海女をモチーフにした「あまリン」に、ムキムキの「巽山雄三」(もちろん加山雄三のパロディで、「巽山」は道の駅の近くにある市内を一望する小山)、「コハクマン」が勢ぞろいしているのですが、それを描いた横断幕が、イラストの部分だけ折り返して隠されているのが、突然のブレイクでの慌てぶりを示しています。

昔からある横断幕には...折り返して無かった事にしようとしているのか...

雪道を慎重に歩きながら市街地をひと回り。「あまちゃん」をモチーフにしたイラストを商店のシャッターに描くというプロジェクトがあるようで、いかにもお手製、というイラストから、著名な漫画家が手掛けたものまでありますが、郊外のロードサイド店に押されてシャッター街になりつつある中心市街地の「活性化」という意味では、シャッターが下りている前提での企画は微妙です。

最終週のエピソードがモチーフですね袖が浜の日常がモチーフの絵

見て回りましたが、夜遅くまでやっていてなかなかシャッターが見れない洋菓子店や、イラストを見せるためにシャッターをイラストのある半分だけ閉めて営業している洋品店とか、営業と展示の両立に苦労している感じも...

ひうらさとる氏の絵は洋品店に結構遅くまでやってるので朝でないと見れません

長内橋を渡って対岸へ。橋につながる三陸鉄道の高架橋区間はオープニングなどでも使われています。

長内川を渡る区間。背後に久慈市街

再び戻り、一本入った道を駅前に向かうと、ここがスナック街。街は寂れていて元気が無いが、男衆はスナックでは元気になる、という特徴?が脚本家の目に留まり、ドラマの主たる舞台が駅併設の喫茶店兼スナックになったわけですが、確かに多いですね。

スナック街を行く

その一角に、ドラマでは駅併設の「リアス」のモデルになったお店もありましたが、旅行者が一人で入るというのは「聖地巡礼」が大勢来ているであろうとはいえ、ちょっと躊躇してしまい、結局夜にもう一度見た際もドアを開ける勇気が出ませんでした。

「リアス」のモデルはこのお店


●「北三陸駅」の駅前を見る
久慈駅前では、まずバス乗り場などの広場を挟んで駅舎と向き合う「駅前デパート」がポイントです。
老朽化で春から取り壊しにかかるという報道が流れましたが、鉄筋コンクリートのビルながら、どこかレトロな雰囲気です。最上階には展望台もありどうやって上がるのか。しかし1階には営業中の店舗もありますが、「北三陸市観光協会」が入居しているはずの2階以上はそもそも空き家のようで、階上に上がる術が見えませんでした。

駅前デパート

ビルの前面には、ドラマ同様「北の海女」「北三陸鉄道」「潮騒のメモリーズ」のイラスト看板が掲げられています。
これはもともとロケの時の「大道具」だったのですが、ロケ地めぐりの観光客が押し寄せたこともあり、ならばと観光用に掲出したと言う経緯があります。ちなみにドラマと同じ、ではなく、掲出位置が微妙に違います。(ドラマの時は少し上方に設置)

ドラマでは看板の下辺が「デパート」の文字を隠さず

駅前に入るバスは上述の「のるねっとKUJI」を運行する3社のほか、JRバス東北とフジエクスプレス(富士急)です。

正面はJR久慈駅

そして小奇麗に建て替えられたJR久慈駅の脇に三陸鉄道の久慈駅があります。ここも「北三陸鉄道 北三陸駅」の看板を掲げていたわけですが、普段の駅名の掲出位置が右脇に対し、ロケでは真ん中および左側という違いがあります。
ちなみに「三」を意味する三本線の輪の欠けた真ん中下に「北」の字を置いたデザインが「北三陸鉄道」の社章で、制帽や駅舎正面、列車のヘッドマークに出てきますが、実際の三陸鉄道の駅舎やポスター類には、雲形のマークが掲げられています。

JR駅の左手に三陸鉄道久慈駅

この三陸鉄道のマーク、大晦日の紅白歌合戦の「あまちゃん」コーナーで出てきた鉄拳のパラパラ漫画で描かれた「北三陸鉄道 宮古駅」に、現実通りに描かれていました。本当なら「北三陸鉄道」の社章にすべきでしたが、脇のJR駅舎らしき建屋も含めて、忠実に描き過ぎたようです。

三陸鉄道宮古駅(2013年8月撮影)


●エピソードの舞台、そして名物を
駅舎内の様子は後ほどということで、道の駅に戻ります。駅前通りの右手すぐ、家具屋のあったビルに入居しているのが「まちなか水族館」。
ここは先程陸中夏井の様子でも触れた地下水族館「もぐらんぴあ」が津波の被害で壊滅したあと、生き延びた生物(クサガメとアメリカカブトガニ)とさかなクンが寄贈したコレクションをベースに仮営業中の施設です。

まちなか水族館全景

「どうぞギョらんください」ということで入場無料のこの施設、ささやかな規模であり、もともと店舗だったレイアウトも水族館らしくないのですが、けっこう種類が確保されています。

商業施設当時のレイアウトのまま

ちなみに「あまちゃん」にさかなクンが本名で出ているのと、復活した「海女カフェ」にコレクションを寄贈する設定があるのは、このエピソードを下敷きにしているからです。

さかなクン寄贈の魚たち震災を生き抜いた生物も

道の駅に戻るともうすぐレストラン「山海里」の開店。そして口開け客となりましたが、さっそく他にも2組ほど。年末の土曜日とはいえ雪の朝ですが、先程から比べると観光客が増えました。

山海里の入口

名物は海鮮丼系の数々ですが、「あまちゃん」で一世を風靡した「まめぶ汁」が大きく出ています。
昼前から海鮮をたらふく、という気分でもないですが、手頃な「漁師の投げこみ丼」にはハーフがあるようなのでこれを注文し、まめぶ汁を付けました。

いまや久慈名物になったまめぶ汁ですが、本当は内陸の山形村の名物です。平成の大合併で久慈市になったエリアですが、震災の炊き出し代わりの提供で知名度が上がり、「あまちゃん」で一気にブレイクしたのです。

「甘いんだかしょっぱいんだか」といわれるまめぶ汁の真相は、とわくわくしながら待つと、店員がトン、と一味唐辛子を置きました。
「味が足りなければ七味を使ってください」と安部ちゃんが言ってるんだから、ここは七味でしょう。

まめぶ汁と「問題の」一味唐辛子

そしてやってきたまめぶ汁。その正体はクルミと黒砂糖が入った小麦粉の団子(まめぶ)と、野菜などを入れた澄まし仕立ての汁物です。
確かに見た目はおかず系ですが、甘いまめぶがだし汁との不協和音を演じるようです。しかし口にしてみると、まめぶの甘さも穏やかで、塩味の効いただし汁とのハーモニーも乙なものです。
ひょっとしたら甘さを抑えているのかもしれませんが、もう少し甘みがあっても悪くはない感じです。

ハーフでも満足の投げこみ丼。箸袋のイラストに注目

「漁師投げこみ丼」もハーフとはいえ結構入っており満足。丼ものは他にもメニュー豊富ですが、飛びぬけて高い「海女丼」のお品書きには苦笑です。アワビなど豪華なネタもさることながら、ボタンエビが2匹あるのは、海女さんの脚を表現したそうで、やはり発想がユニークです。

●いよいよ「袖が浜」へ
箸袋を見ると、どこかで見たような海女さんのイラストが。近所のイオンで売っているしめさばのパッケージに描かれたイラストと一緒です。

久慈市漁協販売のしめさばのパッケージ

帰宅後見たら、久慈市漁協の製品でなるほど、と膝を打ちましたが、そういえばイオンといえば久慈市漁協、三陸鉄道とのコラボ商品を出しており、「鉄道ダンシ」のキャラクターを描いていましたが、商流が違うのか、イラストとはいえ微妙な不一致です。

琥珀しめさんまは三陸鉄道コラボで鉄道ダンシが

食事を終え、駅に戻ります。レストランの横の壁に「復興の狼煙」プロジェクトのポスターがありましたが、洋野から陸前高田まで、岩手県沿岸各市町村がそれぞれのスローガンを掲げている様子の写真が並んでいます。

復興の狼煙プロジェクト

駅に戻るとまもなくお昼。バスは12時25分と間がありますが、この時間が重要です。
そう、12時ちょうどに防災無線から「あまちゃん」のテーマが流れる、と聞いていたのですが、流れてきたのは「暦の上ではディセンバー」でした。今は12月ということでタイムリーな変更か、と思いましたが、どうも早い段階で変更されていたようで、朝はオープニングテーマ、昼は「暦の上ではディセンバー」、夕方は「潮騒のメモリー」とのことでした。

お昼前には二戸からのJRバス東北「スワロー号」が到着していましたが、新幹線連絡で久慈へのメインルートということもありよく乗っていました。

二戸からの「スワロー号」は乗りも上々

さて、いよいよ「袖が浜」に向かいます。もちろん小袖海岸がそのモデルですが、「北鉄」の「袖が浜駅」は普代村にある堀内駅で、鉄道から離れた小袖海岸の風景とつなぎあわせています。シーンによっては列車の窓から手を振って、袖が浜の海岸から振り返す、なんてこともありましたが、実際には遠く離れています。

市内バスを担うヒカリ観光バス

ドラマの舞台であり、「北限の海女」による実演も見られるということで小袖海岸は大賑わいでしたが、もともとは小袖経由で久慈駅と陸中野田駅を結ぶバスが1日3往復しかなく、観光対応という意味ではこのお昼の久慈発での往復、それも現地滞在1時間しかなく、海女の実演見学を考えたら朝の陸中野田発のバスを使うか、平日だと夕方まで待って陸中野田に抜けるしかない、というわけで、公共交通での訪問は事実上無理でした。

やはりクルマ中心、というところ、小袖海岸への道は海岸沿いの狭い道で行き違いもままならない状態です。
元々の数字が少ないであろうとはいえ、数字が前年比20倍以上、と言う人出を記録するような事態に、マイカー規制を敷き、久慈市街の駐車場からシャトルバスや観光船を運行。さらに観光バスは比較的道がいい陸中野田経由、というような大規模な規制で乗り切っていますが、そういった観光対応もない冬場は結局上記の現地滞在1時間コースです。

小袖経由陸中野田駅前行きがやって来た

その小袖経由陸中野田行きは岩手県北バス。かつてはJRバス、さらに前は国鉄バスで、陸中野田に抜ける峠道が未改良の時代は久慈−小袖、野田−久喜浜という盲腸線でしたが、意外なことにバスの本数は30年以上前でも大差がなく(観光に使えるパターンは昼のバスで出掛けて夕方のバスで帰るだけ)、周遊指定地だった割には昔から不便だったようです。


(その2へ続く)




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