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不思議の国の北リアス (蛇足編)
〜連続テレビ小説の舞台を訪ねてみて


2013年度上半期の話題をさらったNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」。
その舞台となった「北三陸」へ、2013年の年末に行ってみました。

「北三陸」こと久慈駅前



特記なき写真は2013年12月撮影

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●売り込みが追いつかない状況
さて、ルポはこの辺にして、あとはロケ地巡りから見えてきたものです。
NHKの番組の舞台になることで「まちおこし」、というのは全国で見られる光景ですが、その多くがか細い縁をすがってわが町も、というけなげで涙ぐましい努力であり、ワンシーンでもロケ地と大きく宣伝するその努力が実績になかなか結びつかないと言う現実の厳しさもあります。

「ふたりっ子」のロケ地・山陰線鎧駅
最終回の収録地ですが大きく宣伝(2007年4月撮影)

ところが今回の「あまちゃん」は、社会現象化しただけあって、久慈市をはじめとする「北三陸」エリアの入り込みに大きく影響しました。
前にも述べた小袖海岸の入り込みが前年比20倍超というブレイクもそうですが、赤字に悩む三陸鉄道が久々の単年度黒字を計上する見通しになるなど(と書きましたが、ちょっと筆が滑り過ぎたようで、燃料費高騰と増員による人件費増で経常損益は減益の見通しです。最終損益は赤字補填もあり2012年度は黒字でしたが)、経済規模が小さい地方だけに、全国区となったことの効果は桁違いです。

もちろんあくまで一過性のブームであることは間違いありませんが、稼げる時に稼ぐというのも必要です。そう考えた時、番組が終了して3ヶ月近く経っているとはいえ、現地の様子を見るに、ブームへの乗っかり方が完全に後手に回っていた印象も受けました。

運転士もこの機を逃さず(三陸鉄道)

まず第一に挙げられるのが、この手のブームでの来訪の大半を占める「聖地巡礼」への対応。代表的なロケ地だけでも案内を掲示するといった対応はどうだったのか。小袖海岸の掲示が唯一であり、あとは久慈駅前の土産物屋の店頭にチラシが貼ってあったくらい。そのチラシも道の駅などで配布されている様子はありませんでした。

ロケ地マップは1箇所にしかなかった

脚本がコアなファンが多い宮藤官九郎だけに、「聖地巡礼」は細く長く続くことが予想されますが、今後はそれこそコアな情報を求める層がメインになるわけで、こぼれ話的なポイントを発掘する方向性も必要になります。それは久慈や小袖だけでなく、野田や堀内といったロケ地全体で整備すべき話です。

大林宣彦作品のロケ地マップが整備されている尾道
(2006年5月撮影)

そしてやはり弱さを感じたのが物販や飲食といった、来訪者にいかに消費してもらうかと言う対応。クルマで用が足りる地元住民と違い、仙台からでも相当な距離があるエリアですから、ツアーでなければ公共交通での来訪に限られるだけに、観光客は駅をベースに公共交通と徒歩で動きます。

その駅をベースにした範囲での物販や飲食が弱いのです。なかなか設備投資が難しいとはいえ、もう少し何とかならないものか。
現状は、ドラマでの「オタクさん」が押しかけてきてシャッターを閉めてしまった、という気の弱い商店が現実にありそうだ、と思うような雰囲気です。

●現実とのシンクロ
1959年のラジオドラマで一世を風靡した「北限の海女」に、三陸鉄道という現実のコンテンツを下敷きにしているということは、ドラマをイメージさせるコンテンツに関する権利関係が、他になく地元側に強いという特徴があります。

道の駅にて

もちろん設定自体が現実を踏まえているわけで、「北限の海女」という実際の観光資源をトレースした基本設定だけでなく、上述の通りドラマのヒロイン自体が実際の海女さんだった方へのオマージュでは、という部分はその典型でしょう。

街中にも

その方の苗字が主要な脇役である大吉に受け継がれているのも偶然ではないでしょうし、「北三陸駅長」である大吉が1984年の開業時、一番列車の車掌を務めた設定は、そのまま三陸鉄道の久慈駅長の経歴と同じであるばかりか、年齢設定まで合わせてあるということは、フィクションでありながらパラレルワールドのような構成になっています。

こうした虚実ない交ぜ状態、つまり現実と虚構のボーダーレス状態も「あまちゃん」の特徴ですが、ほぼ同時代と言う設定もあいまって、その街角に出演者がいるのでは、と言うような気分にさせてくれる面があります。
いわば街がドラマのテーマパークになりえる状態ですが、だからこそ「ドラマの続きは久慈市で」というおふざけ気味の宣伝も通用しているのかもしれません。

中国系観光客も多いんでしょうね

そういう現実とのシンクロ、というよりも現実への波及があるのも特徴で、小袖地区という極めて限定的なエリアで使われている方言「じぇ(じぇじぇ)」が流行語になり、本来使っていなかった「現地」で使う人が出てきている、というのはその代表でしょう。
宮藤官九郎のドラマには、「木更津キャッツアイ」に代表される、無個性な街を「地元」にする、という仕立てがあるわけですが、「あまちゃん」でも久慈市が「地元」として再生されているようにも見えます。そのツールのひとつが「新方言」でしょう。

本来は小袖の方言だった「じぇじぇじぇ」

さらにはAKBグループのパロディだったはずの「アメ女」にしても、逆にオリジナリティがあった全国ご当地アイドルの集合体であるGMTをAKBが取り込んで「チーム8」を創設するとか、そういうインディーズ系アイドルの「劇場」をドラマの舞台だったアメ横センタービルに本当に作るといった動きも出てきています。

「アメ女」のCDジャケット(現実世界でのCDの付録)

細かいところでは三陸鉄道の「こたつ列車」で販売する名物駅弁に「ウニ丼」が登場したこと。ウニ弁当、イクラ弁当など箱弁当は売ってましたが、ドラマで売っていたのが「ウニ丼」ということで早速取り入れたそうです。
また、上述の通り「まめぶ汁」も震災時の炊き出しで好評と言う下地はありましたが、ドラマでブレイクしたことで、今では押しも押されもせぬ久慈名物になっています。

ドラマにあやかった取り組みや「新名物」はこれまでもありましたし、昔からの名物のように定着しているものもあれば忘れ去られたものもありますが、今回は根付くものも少なくないようです。

●現実になった「北三陸」
こうした動きの中でも大きいのが、「北三陸」が架空の街の名前として命名されたことで、一気に市民権を得たことでしょう。
三陸海岸という金華山から八戸に至る長大なエリアを区切って「北三陸」「南三陸」などと呼ぶ動きはありましたが、なかなか普及しなかったわけです。

「北三陸」も市民権を得た

対になる格好の「南三陸」はある意味劇的な、いや、悲劇的な格好で普及したわけで、気仙沼線の快速が「南三陸」を名乗り、志津川、歌津の両町が合併して「南三陸町」になっても知名度はいまひとつだったのが、防災庁舎の悲劇に代表される、あの震災の大津波による被害で一気に「南三陸」は地理的な同定を含めて普及したのです。

久慈市以外を括る際に用いられる

そして「北三陸」は久慈市というよりも北山崎や黒崎といった田野畑から普代にかけてをイメージして使われていましたが、「あまちゃん」のヒットで「北三陸=久慈」となりました。
それは必ずしも久慈市だけ、ではなく、久慈市を核とした地域全体の呼び名に昇華した格好でもあり、「久慈市と北三陸エリア」という感じで広域の名称になっています

盛岡放送局バージョンに加え北三陸バージョンまで

地元もそれを逃さないとばかりに、「いわて北三陸」と銘打っており、三陸鉄道やまめぶ汁を前面に押し出していますが、ちょうど「北鉄」こと三陸鉄道の沿線とシンクロするだけに、うまく広まりそうです。

県の観光キャンペーン(2013年11月撮影)

ちなみにそもそもの「三陸」という地域名自体の起こりを考えると、ようやく「呪縛」を逃れた展開になった感じがします。すなわち、「陸前」「陸中」「陸奥」の3つの「陸」を示す行政用語だった「三陸」が一気に広まったのは1896年の明治三陸地震であり、東日本大震災を上回る2万人以上の犠牲者を出した大津波の報道を通じて「三陸」の名称が一般化したのです。

その「三陸」を分割する「南三陸」も上述の通り東日本大震災で有名になったのですが、「北三陸」はその呪縛を逃れた格好で広まったのです。

●交通関係の設定を見る
北鉄こと北三陸鉄道として三陸鉄道がほぼそのまんまで出てくる割に、設定は結構違い、宮古までの駅に一つたりと現実と同じ駅はありません。(北三陸−袖が浜−磯野−陸中白浜−畑野−御崎−新浜−陸中三島−船泊−宮古)
袖が浜−北三陸は1駅ですが、車内でウニ丼を食べられるくらいの時間がかかるとか、逆に畑野トンネルまで北三陸から21分で走り切るとか、異次元空間気味の設定です。

「不思議の国」は合併前の1市1町4村で成立

こうした中で、小ネタとして楽しめる部分も多いです。駅(併設のスナック)が主要な舞台ということもあり、鉄道や交通関係の考証がいい加減なドラマが多い中、こだわりとも言う部分すら見えます。そう、普段は北鉄のディーゼルカーを「電車」と呼んでいる緩さとのギャップを鋭く感じる時があるのです。

仙台支社色の気仙沼線(柳津・2012年4月撮影)

その片鱗はいきなり初回で出てくるわけで、現実世界の久慈市に東京から行くとなれば新幹線で二戸まで行き、そこからバスなんですが、敢えて北鉄で来たという設定です。それも異次元空間的な設定かと言うとさにあらずで、普段は新幹線とバスが一般的で、という現実を示したうえで、しんどい北鉄経由を敢えて選択したと言う設定なのです。

二戸からのスワロー号

そこでの説明が非常に細かく、仙台から石巻まで石巻線、気仙沼まで気仙沼線、盛まで大船渡線、釜石まで南三陸鉄道、宮古まで山田線、宮古から北三陸鉄道、というのは、まあ小牛田とか前谷地と言うと「はぁ?」ということで石巻乗り換えにしているのはご愛嬌としても圧巻です。鉄拳のパラパラ漫画も細かく、石巻線と気仙沼線はキハ40(仙台支社色)、大船渡線と山田線はキハ110になってました。

山田(山)線(宮古)

この舞台が北鉄だけど早いのはバス、というギャップを埋めるのに脚本も苦労しているようで、しばしば盛岡からのバスが登場したり、新幹線で移動しているのですが、震災の時のユイは宮古まで北鉄で、そこからどう出るかは分かりませんが仙台に出てそこから新幹線というルートで上京予定でした。

まあこれは北鉄線内で震災に遭わないとドラマにならないことから来る無理であり、14時25分に北三陸を出て、宮古経由で17時半までに仙台に着き、20時に上野でアキに逢うという設定が激しく無理があるのは言うまでもない話です。

ちなみに紅白での「第157回」では宮古から山田線、と言って「面倒くせ」という吉田副駅長の声も...

●さらに小ネタ
ドラマでは岩手県北ならぬ「岩手県バス」(バスは県北バスのカラーそのものなので「岩手県交通」ではない)にくわえ、「北三陸交通」なるバスが出てきます。
マイクロのローカル便と、盛岡への都市間バスを運行している設定ですが、ヒカリ総合交通の貸切バスを使って撮影したようです。

収録時の写真(久慈駅跨線橋の展示から)

また震災後アキが帰郷するシーンでは東京空港交通の車両を使った「Michinoku Limousine」という東京−盛岡の夜行高速バスも登場。「Friendly」の代わりに「Safety」とあるのは高速ツアーバスの安全問題が話題になった時節柄と言う感じです。

この時は盛岡から「岩手県バス」に乗り継いで北三陸へ向かってますが、右手車窓に海が見えるのはどうでしょうか。津波被害を受けた海岸線を見やるシーンがありましたが、現実世界では山を越えてアクセスするのに、こちらでは海岸線を北上する、という実際には取り得ないルートです。(しかも北三陸を経て北鉄沿線になる袖が浜に行くのには手戻りになります)

ちなみにこのバス、「北三陸はまゆり号」となっていますが、現実世界での盛岡−久慈のバスは岩手県北だと「久慈こはく号」ですね。盛岡乗り換えの設定ですが、そもそもユイとアキが上京しようとした際に、北三陸駅から上野駅行きの夜行バスに乗ろうとしたわけで、それとの整合性は...(まああれは一般路線バスに「急行 上野」の字幕があるトンデモ設定でしたが)

久慈駅にて

一方で細かい話というと、その帰郷シーンで袖が浜に到着した時に、何気に「臨時代行バス乗り場→」という案内板が袖が浜駅のホームに立っているわけで、ユイの父親が北三陸市長選に立候補した際の選挙カーに「証紙」が貼ってあったこととか、妙にこだわりがあります。

帰郷シーンでは身を乗り出して手を振っていました

また、最終回の北三陸駅のシーンでも、2012年のシーンでは八戸線ホームの列車が盛岡支社色で、1984年のシーンではタラコ色、という使い分けも。もっとも、駅頭の群集が一緒では、と言うオチはありますが...

盛岡支社色とたらこ色が並ぶ久慈駅


●結びとしての「あまちゃん」評
「あまちゃん」では「北鉄」こと北三陸鉄道が実は主役ではないか、というくらい、ドラマの節目節目は北鉄を舞台に演じられると言っていい状態です。特に最終回に至っては、畑野までの運転再開と関連行事がストーリーの柱となっているわけで、このドラマの本質は、主人公である北鉄を取り巻く人間模様なのかも知れません。

現実世界では4月に田野畑まで再開

そう考える理由として、番組スタート前の番宣では、「人情喜劇」という触れ込みだったように、クドカン独特のドタバタが鬱陶しいと感じる人も多かった反面、何度か見返すと、シリアスな話を笑いに紛れて押し込む、というか、喜劇なんかではないテーマ性を持ったドラマだと気がつくのです。特に本放送終了後まもなく放映された総集編(3時間バージョン)では、小ネタやくすぐりの部分を削ぎ落としているため、違った印象、シリアスな印象すら受けるわけで、設定そのものに伏線が潜んでいる感じなのです。

久慈駅の展示物

ドラマの舞台となった街が誰がどう見ても久慈であり小袖であり田野畑であるにもかかわらず、「北三陸」「袖が浜」「畑野」と仮名なのは、そういう伏線、影のテーマに空洞化や排他性といった地元批判が含まれることがそうさせたということでしょう。実際、製作サイドから、地元批判が含まれることに配慮しての扱いである旨の発言も出ていますし。

駅は仮名になりました

もう一つ、このドラマが注目を集めたのは、東日本大震災をテーマでなく背景として用いたおそらくはじめてのドラマだったということです。
そこで「あまちゃん」は、定番的な連続テレビ小説が戦争を銃後の世界でしか描写しないように、「震災で破壊されたジオラマ」と、被災地を映すテレビなどを見つめる役者の目を映すだけで震災を描写したのですが、これは安易に刺激的な描写に頼りがちな今のテレビへのアンチテーゼとも言えるわけで、製作陣の表現力を示しています。

さらに言えば従来型の連続テレビ小説は戦争を舞台にする際、戦場や空襲の「本当の」被害の描写は避けるものの、関係者が戦死するといった「人の死」を取り扱うことで悪く言えば「お涙頂戴」のイベントを構築していましたが、「あまちゃん」では震災で登場人物を1人も死なさなかったわけで、定番の「祖父母や親の死」も織り込まなかったことも含めて(どちらも匂わせながらの肩透かしだが)、「不幸」を排除して描き切った事は特筆事でしょう。

直接的な描写はしなかったものの、震災のシーンも、袖が浜での夏ばっぱの携帯が着信した緊急警報に始まり、卓上の花がわずかに揺れるところから異変を感じた瞬間の北鉄車内へバトンタッチし、そこから東京で揺れが強まる様子につながり、北鉄車内に戻り、非常制動での停止という、実は時間軸がつながっている描写は息もつかさぬものがあります。(それゆえに直後が「いつもの」オープニングテーマというのに戸惑いを覚えた視聴者も少なくなかったようです)

小袖に建てられた「津波襲来の碑」

従来の連続テレビ小説が、「女一代記」であり、戦争に翻弄されながらも、戦中戦後を逞しく生きる、という一種の「時代劇」であるのに対し、今回の「あまちゃん」は完全なる現代劇です。
時代背景の解説を兼ねて当時の世相を織り込む傾向が強く、それゆえに主人公の周辺にやたら大きな仕事をする人が集まる傾向がある従来型の連ドラと違い、現代劇でそれをやるといかにもわざとらしく無理がでるため、ミクロの話題に拘っています。

そうした中で、現代劇として視聴者との同時代性を維持しながら、「まちおこし」や「他所者」との関係、さらには震災復興の問題など、現在進行形とも言えるテーマを盛り込んだ「あまちゃん」は、やはり傑作といえます。

小さな灯台







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