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他の鉄道唱歌 Ⅱ  -(新かなづかいに一部変更)-
  
---歌詞中の駅の名のリンクは、一部を除き、以前国鉄(⇒JR)企画”チャレンジ20,000km”達成時の駅名(本人)写真、
          城の名のリンクは、城跡探索のweb page写真---

    地理教育 鉄道唱歌   大和田建樹 作歌 明治33
  
他の鉄道唱歌 Ⅰ  東北地方 −1−  歴史・地理教育 鉄道唱歌 東北鉄道 菜花園主人 作歌 明治33年


 東北地方 −2− 
智育 鉄道唱歌  第1集 、( 第2集 )   東北鉄道 四竃仁邇 作歌、 四竃訥治 校閲、  明治33年

1. 奥羽の 仙台 市町の数をへ32東西南北二里四方人口七万六千余
2. その産物は精功の仙台平や八ツ橋と名取の川の埋木は世に賞められて名も高し
3. 市内の名所算うれば躑躅か岡の桜花赤き心を身に籠て国をぞ護る四連隊
4. 武勇名高き正宗が三百年の其昔築きて住し 青葉城 今二師団の営舎なり
5. 響く喇叭の音高く嘶く駒の勇しく錬えあげたる丹心は堅き鉄橋広瀬川
6. 川の流れは水清く音にも高き瑞鳳寺眺も盡ぬ愛宕山山郭公空高く
7. 飛び北山にしおらしく昔の声を其儘に鳴て吊う青葉社の御霊の宮の山続き
8. 左と右に隣して側に侍り君を守り苔むす石の墓あるは支倉氏に林子平
9. また其外に尋ぬべき名所古跡の多けれど先ず松島を尋ねんと隣の汽車に乗り込ぬ
10.行く路すがら見渡せば玉田横野に森高く東照宮の大伽藍右は稲田の蒼海原
11.宮城野原に吟く虫末の松山宝国寺奥の細道今も猶野田の玉川 多賀の城
12.岩切舘は分れ路左り奥州線路にて利府や松嶋鹿嶋台なれど車をここで降り
13.降る間もなく右となる塩竃行に乗換て話す暇も無き中に早塩竃に着きにけり
14.汽車より降りて共々に竃の祠に立寄り塩竃神社に参詣し千賀の浦より船遊び
15.一棹毎に趣の変る風情や歌におへ絵にも写せぬ千松嶋八百八嶋日本一
16.瑞巌寺より五六堂観瀾亭を見回りて其風景に富山の上より海を眺むれば
17.数さえ知れぬ帆かけ船聖の歌に松嶋やまた松嶋や松嶋やとばかり詠みし例しあり
18.直ぐ松嶋の汽車にのり鹿嶋台にと向うとは周囲五里余の品井沼面積一千二百丁
19.次は 小牛田 の山の神実にや霊験あらたかな世にも鳴子の温泉はこれより左七八里
20.瀬峯や新田、石越の野山も春の花泉有壁隧道打越ばこれより岩手の西磐井
21. 一の関 町其昔征夷将軍田村麻呂築きし の其趾に神に祭れる社あり
22.山路を趣せば平泉此処は藤原清衡が三代つづき舘の跡今は枯野に夢のあと
23.昔を忍ぶ中尊寺慈覚大師の開基にて三百坊の四十塔残るは経堂金色堂
24.九郎判官源の義経舘を右に見てつき随いし弁慶の涙搾りし衣川
25.川の水上五串の瀧は三叉に岩に落つ砕けて泡や雪となり飛橋囲む松桜
26.前沢過て水沢は伊達将監の旧城市高野長英其人も生まれし里はこことてや
27.胆沢郡の金が崎黒澤尻の其なさへ安部の貞任其ひとと黒澤氏の名にぞよる
28.よれてはからむ藤の花巻てよじれる石鳥谷日詰て迅く矢幅駅早 盛岡 の停車場
29.此所は南部の大都会町数五十余りあり人口三萬三四千戸数は大凡八千余
30.土地の重なる産物は馬、米、生糸、梨子、林檎、軸木、羽二重、木綿織、商業、工業、盛んなり
31.猶特有の物産は南部紬や鉄瓶に草履の表、ハンカチフ多く他国に輸出せり
32.洲浜に似たる豆銀糖滋養の多き黄精五葉の松の実片栗の落雁等は名も高し
33.名所古跡を尋ぬれば杜陵公園、八幡社春は梅咲く桜山神社の景色絵の如し
34.石割桜、見馴松鐘や三ツ石、片葉芦夕顔瀬橋、明治橋算へ尽をぬ寺社
35. 好摩 や川口沼宮内次第次第に上り路日本鉄道其中の最も高き中山は
36.海を抜く事一千と四百九十四呎の奥の細道小鳥谷村隧道くぐり橋渡り
37.一戸福岡三戸を行けば剣吉 尻内 の支線に停まり乗替ば八戸湊鮫港
38.それより元に乗り戻り下田古間木を眺めつつ沼崎つづき三本木乙供まてば皆牧場
39. 野辺地 に雪の降り積もり地獄極楽恐れ山此処に生れしいつきに乗りて昔は狩場駅
40.海は遥に茫々と身ゆれど其名小湊に漁る舟は帆立貝鱈捕る業に日を暮らす
41.其日の業に織る布の麻を温泉に涵すため字をへ附けし麻蒸を見る間野内に浦町や
42.停まる車を降りながら侍人々に 青森 や積もる話は盡ねども別れは名ごり惜しまれて
43.此処は入海底深く北海道へ行く舟を送り迎うる大港又弘前に行く旅路
44.新城大釈迦浪岡を越て川部も通り過ぎ弘前にこう着ぬれば南津軽の大都会
45.進めば其名も大鰐に碇が関も面白し過ぎ来し旅路しるさんと矢立峠も面白し
46.今度開けし大館の建物さえも新らしく鷹の巣も亦落成し秋田をすぎて山形と
47.通うは花咲く頃ならん嬉しき君の大恵祝へ奉らん千代や千代祝へまつらん千代や千代


東北地方 −2− 
智育 鉄道唱歌 ( 第1集 )、  第2集    東北鉄道 四竃仁邇 作歌、 四竃訥治 校閲、  明治33年 

1. 東北繁華の大都会其名も著き仙台に名残りとどむる青葉山広瀬の川の鉄橋を
2. 渡れば右に愛宕山ここは長町停車場山に続ける大年寺伊達氏数代の墳墓
3. 昔を志のぶものがたり前に迎えるくろがねの橋はその名も世に高き名取橋にぞあるぞかし
4. 文治五年に頼朝が泰衡お討つその時にここをよぎりて其歌にきょうのいくさに名取川
5. 景季矢立とりいだしいざ君共にかちわたりせんと詠ぜし古の名残もふかき水の面
6. 増田の駅につきぬればここに名高き其松はいともかしこき大君の明治の御代のためしとや
7. 名を衣笠と賜りて幹は千年のその齢葉には常磐のふかみどり君が栄を其色に
8. 三位中将実方の墓もこの地にありときく窓よりのぞむ峯つつき松のまばら生茂り
9. まねくに似たる其状の千貫松は名も高し峯の麓の岩沼に早つきにけりこの駅は
10.東北常磐両線の会うてはわかる二つ岐右は本線山にそえ常磐線は海にそう
11.竹駒神社は千余年ふるき昔に創建られし世にかくれなき御社ぞここに名高き馬の市
12.歩みも早き汽車の旅霞むと見えし森の影はや槻木も越えyけて尋ぬる人に大河原
13.大関山の名も高き有耶無耶関は西の方羽前に越ゆる国境今も古関と称うとか
14.うねる山みち撓る川はや白石に着きにけりここは名に負う伊達氏に其人ありとしられたる
15.武将片倉景綱の世々の居城の在所にてここにまぢかき温泉の中にあらわる青根の湯
16.高く聳ゆる不忘の山の其名も名残にてここは縣の越河や近く名所の多けれど
17.一つ二つを数え見ん下紐関の其跡や厚樫山や国見山伊達の大木戸このわたり
18.山にむかしの其容川にむかしの其態しのぶむかしの其歴史海もかわるか桑折駅
19.ここは名高き無能寺の御蔭の松も尋ねみよここに花さくしろがねの銀山半田もさぐれがし
20.窓にあたりて其左雲に聳ゆる峻嶺は其名もしるき霊山よ昔義良親王を
21.戴き奉る忠臣と其名も高き北畠顕家卿の同胞が義旗をたてしもこことかや
22.しのぶ思も長岡や近く名高き飯坂のその温泉は一里程たぐいまれなるそのけしき
23.ここにまじかき古跡には佐藤庄司の其墓や義経手植の虎尾松数えつきせぬその史料
24.進めば仰ぐ信夫山ここはこの地の公園地松や桜をこきまぜて春のながめや想わるる
25.遥かにあおぐ吾妻嶽空に棚引黒けむり伏してながむる阿武隈の川の流れもいと清し
26.歌に名高き陸奥の信夫文字摺たれゆえとむかしの人の歌いけむ綟摺石もほどちかし
27.市街も近き合図にや汽笛一声福島に早入りぬればこの里は人口一万八千余
28.戸数は三千二百の余官衙の数もいと多く米沢行きの分岐線車馬のゆききもいそかしし
29.進む車の脚はやみ潜る墜道さながらに地軸に通う心地して汽笛の音も物凄し
30.ゆけばまたたく其ひまに吾を松川停車場ほどなく迎う二本松茲は古跡もいと多し
31.名残を信夫綟摺にとどめもあへず別行汽車の歩も庭坂のここの辺の温泉には
32.其名も四方に高湯とて翠巒高く取囲み厚さを避る仙境と尋ねる人もいと多し
34.近くは丹羽氏の封地にて今は名高き製糸場安達が原の旧跡も茲に間近く有とかや
35.是より進む道すがら汽笛の音も忙しく出入もしげき墜道の数は二七の十と四
36.登りつめたる峠道此処は其名も板谷宿名残を惜しむ追分の有し昔のしのばるる
37.やがて本宮停車場茲に名高き安達太郎社遠藤瀧やその外に清水に名所数多し
38.ここは生糸の産地にて日和田の駅の名も高し浅香の山や山の井の古跡も共に世にしらる
39.西より上る其汽車と下る東の其汽車と此処にゆきかう其さまは開けし御代の追分か
40.山形県はこれよりぞ憩う須し其ひまにいざや語らんこの国の地理と歴史の大略を
41.またたくひまに郡山岩越線の分岐道会津に迎う乗換えも此駅よりぞするぞかし
42.須賀川矢吹泉崎ここは名に負う白河や三つの古関のその一つ
43.今は前後にわかるれど元は一つの出羽の国類いまれなる鷲の羽を貢とせるが名の起源
44.元明帝の其御代に越後を割りて出羽を置羽前と羽後に別れしは明治の年のはじめ頃
45.城は明治のそのはじめ砲烟弾雨に跡絶えて唯断礎のそのうえに生うる蓬の影寒し
46.進みゆく方は名も著き下野の国那須の原豊原駅や黒田原送り迎ふる山と川
47.国の地勢は其西と北の一部は海なれど山は七分に其三は平地は川に沿る土地
48.南に高く北低く海を抜くこと米沢は八百尺に其南四百尺余の山形市
49.ここに著る黒磯は原のまなかの街とて四方のゆききも賑わしく探らん場所も数多し

53.殺生石のその跡は今は名のみに埋れて残るは芭蕉か飛ぶものは雲ばかりなる石の上
54.東那須野に西那須野四方の望も際涯なく茅にふける其屋根のただ遠近に見るのみ

60.国の東とその南宮城福島両県と北は秋田に西南は新潟県に西は海
61.野崎矢板や片岡よ氏家を過て鬼怒川の渡る鉄橋いと長く長さは九百五十尺
62.岡本駅もはやすぎて遥かに認むこの里は其の名も高き宇都宮汽車の歩も止まりぬ

65.実方朝臣をまつりける雀の宮をふし拝み程なく着ける停車場にその名残をぞ止ける
66.つづいて渡る石橋のふもとに咲くや桜木の八重も一重も一本に色をかへぬぞ珍しき

69.小金井近く跡方の僅かに残る薬師寺を見るにつけても道鏡が栄華の夢や何ならn
70.保元の頃に築きてし小山の城は亡ぶれど両毛水戸に分れゆく要害の地と知れける

73.間々田を過て程もなく茲は名に負う蕃山の埋めし骨は朽ちぬとも其名は流る古河の里
74.栗橋ならぬ鉄橋の上より遠く見渡せば緩く流るる利根川に浮ぶ白帆の二つ三つ

77.久喜や蓮田は名のみにてゆきかう人の大宮は中山道の岐かれ道茲に名高き氷川神社
78.浦和と云うも名のみにて過ゆく野辺も程近み手折もやらぬ蕨駅見ぞ都の土産にせん

81.長き旅路も赤羽や是より通う支線ありところかわれば品川に王子と聞も頼母しき
82.田端を過て名にし負う道灌山のふることも仰ぐも高き飛鳥山早上野にぞ着にける


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  地理教育  鉄道唱歌   大和田建樹 作歌 明治33年 
         第一集.東海道、 第二集.山陽・九州、 第三集.東北 第四集.北陸、 第五集.畿内、?.おまけ  
 
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他の鉄道唱歌 Ⅱ 東北地方 −2− 智育 鉄道唱歌 東北鉄道 四竃仁邇 作歌、 四竃訥治 校閲、  明治33年
        
第1集:青森行、  第2集:上野・山形行 
 他の鉄道唱歌 Ⅲ  関東地方 −1−  地理歴史 鉄道唱歌 常磐線 東岸堂
 他の鉄道唱歌 Ⅳ  関東地方 −2−  地理唱歌 汽車の旅 ーー以下工事中ーー
 他の鉄道唱歌 Ⅴ  関東地方 −3−  新鉄道唱歌 房総を歌う 
 他の鉄道唱歌 Ⅵ  甲信越地方 −1−  地理唱歌 汽車の旅 
 他の鉄道唱歌 Ⅶ  甲信越地方 −2−  地理唱歌 汽車の旅 
 他の鉄道唱歌 Ⅷ  山陰地方 −1−  地理唱歌 汽車の旅 
 他の鉄道唱歌 Ⅸ  九州地方 −1−  地理唱歌 汽車の旅 
 他の鉄道唱歌 Ⅹ  日本一周   地理唱歌 汽車の旅 

 

 

 

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