このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
アンコールワット再訪
2003年12月27日〜30日
アンコールワット
前回もそうだったが、今回もただただクメール文化の偉大さに圧倒された。
また、このような偉大な文明国家を築いたクメール人が、自らの建築も文字も歴史も長く密林の中に忘れてしまっていたという事実に言葉を失った。
今回は12月の乾季、前回は8月の雨季だった。雨季と乾季ではカンボジアの表情が非常に異なっている。両者の異なりを決定づけているのは「水」である。「水」は治世の根本であったにちがいない。「水」を治める者が国を治める。アンコール遺跡の周囲に掘られた「壕」はその証拠であり、象徴である。王達にとって実は寺院より壕のほうが重要だったのではないかと思えるぐらいだ。
左:アンコールワット正面 これは今回のもの 乾季の影響で芝生も枯れ 池の蓮も非常に少ない。 | |
右:アンコールワット正面 これは前回(2002年8月)のもの 雨季だったので、芝生も鮮やかで 蓮の葉もたくさんあった。 |
日の出前のアンコールワット アンコールワット正面は 真西を向いているので 春分の日と秋分の日は 中央尖塔から太陽が上ることになる。 私たちが今回訪れたのは 12月だったので 太陽はアンコールワットの 右側(つまりやや南より)から上った。 | |
アンコールワットの壁面には 数多くの美女が彫ってある。 これは女神「デパター」という。 豊かな姿態なのだが、 「生々しさ」「肉肉しさ」はない。 可愛らしいのだ。 | |
デバターは 顔の表情、身につけている衣裳、 頭に載せているもの、髪型などなど、 一体一体が 微妙に異なっていって、 同じものはないという。 | |
右:17世紀初め(1630年頃) 森本右近太夫一房という人が アンコールワットを訪れたと言う。 その森本右近太夫が書き記した 「落書き」が残っている。 当時、プノンペン周辺には 日本人町が形成されていたので、 アンコールに参拝した日本人も 多かったと想像される。 | |
アンコールワットの圧巻の1つは 壁画(レリーフ)である。 左:これは水牛に乗った「シヴァ神」である。 | |
右:戦争に向かう「スールヤヴァルマン7世」 |
アンコールトム(バイヨン)
アンコールワットの後方に広がっているのが「アンコールトム(大きな町という意味)」。ここは王宮の跡である。一辺ほぼ3キロの方形で、周囲12キロになる。その中央にバイヨン寺院がある。アンコールトムの中心建造物である。バイヨンは「須弥山(シュミセン)」をシンボライズしたものであるという。古代インドの宇宙観ではシュミセンは神々の住む聖域であり、神々が天空から降りてくる場所でもあった。王は王たることを証明するために、また、人民に知らしめるために、このような聖域を作る必要があったのだろう。日本の古代天皇が巨大な仏教寺院を造営したり、中国の皇帝が壮大な都城を造営したりするのも、たぶん同じようなことなのだろう。
アンコールワットの後ろに 広大な「アンコールトム」がある。 ここはかつての王城である。 左:アンコールトムの南大門 この大門は凱旋兵士を 迎えた門だという。 上部四面塔は 顔の長さが3メートルと言う | |
右:バイヨン寺院正面全景 | |
左:観世音菩薩 バイヨン寺院には 54の尖塔があり、 各尖塔に4面の 観世音菩薩が 彫られている。 バイヨンのどの場所にいても 菩薩のまなざしを 感じることができる |
タ・プローム
12世紀に建てられた寺院。創設者はジャヤヴァルマン7世。もともと仏教僧院だったが、後にヒンズー寺院に改宗されたという。この遺跡は修復を全く施さず、そのままにしてある。熱帯の自然の力を見せるためにそうしてあるのだそうだ。この巨大な樹木はスポアンという。
タ・プロム遺跡を見ていると、アンコール遺跡それ自体が19世紀にフランス人によって再発見されるまで、熱帯の密林に眠っていたということがよく理解できる。恐るべし自然の力、植物の力。
木が倒れないように補強してある。 | 人物と比べて欲しい。 この木の大きさが分かると思う。 |
この寺院全体がこんな状態に保存されている。 | まるで龍が天に昇るようである。 |
サトウ椰子から「砂糖」をつくる
アンコールワットの周辺は農村である。道路の左右にはのどかな田園風景が続いている。12月は収穫の時期、あちこちで農民達がイネの刈り取り作業をしていた。また、農家の庭先では「砂糖作り」をしていた。砂糖の原料は「砂糖椰子(サトウヤシ)」の樹液である。自家消費をする分と、観光客にお土産として売る分があるようだ。
砂糖は「サトウヤシ」という 椰子の木から つくるそうだ。 我々にはどれがサトウヤシの木か 判別できない。 写真の木がそのサトウヤシである。 高さは15㍍ほどである。 | |
梯子がつけてあって 子供なら簡単に登れる。 昇るのは子供の仕事のようだ。 大人は重すぎて難しい。 上にいる子がこの農家の子供。 いとも簡単に昇った。 ウチの子供たちは 大きすぎて(重すぎて)不可。 |
樹液がでるのは「雄株」だそうだ。 この雄株の花の先を切ると、 そこから樹液が流れ出てくる。 真ん中にタケの筒があるのが見えるだろうか。 この筒を椰子のお株の花に取り付ける。 一晩でいっぱいになるそうだ。 「椰子酒」もこの樹液からできる。 椰子酒はこの樹液を天然発酵させたものだ。 ほのかに甘く美味しい。 昔、マレーシアの椰子畑で ご馳走になったことがある。 | |
この帽子の男性が持っているのが サトウヤシの雄株の花と竹の筒である。 | |
集めた樹液をこういう大きなナベでぐつぐつ煮詰める。 10リットルの樹液から1キロの砂糖ができるそうだ。 | |
大鍋のなかはこういう状態になっている。 | |
これが完成品(右)。 丸い棒の形に固め、それを厚さ1.5㎝ぐらいに スライスする。できたては柔らかい。 これを10個並べ、椰子の葉でくるむ。(左) 値段は3本で1USドル(4000リエル)。 お土産だから決して安くはない。 あっさりした自然の甘さ。 料理にも使えるし、 紅茶やコーヒーに入れても 美味しい。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |