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マレーシア鉄道の旅 第2回目 
タイピン(Taiping)−ポートウェルド(Port Weld)線
part 2
2006年7月27日〜29日



(1)ペラ州立博物館
 

ペラ州立博物館開業当初の蒸気機関車(博物館中庭)




(2)鉄路はジャングルに
 タイピン駅を発車した汽車は、ジャングルを走る。ジャングルを抜けて、民家の庭先を縫うようにして走る。

(←)前回のターンテーブルがあった場所から、程なく左側に、かつて鉄道で働いていた職員の住宅が見える。現在も人が住んでいるようだった。
鉄道の跡地である。民家の庭先を走っている。中央のレンガはかつての鉄橋梁の跡である。草がたくさん生えていて分かりにくいが、若干くぼ地になっていて、かつて下に小さな川が流れていたことが確認できる。(→)
(←)線路はまっすぐに伸びている。写真中央に、鉄橋梁の跡が見える。ここをかつて蒸気機関車が煙を吐いて走っていたのである。
枕木の跡である。鉄橋梁を20メートルほど先に行ったところにある。廃線後、枕木やレールは、近所に住む人たちが勝手に持ち去ってしまったという。地中に埋まった枕木は貴重な記念物だと思います。(→)



(3)さらに農園を走る

途中で民家が立ち並ぶところを走る。しかし、民家の庭の中に入ってしまうので、私たちは入ることができなかった。やむなく、別の道を通って、この交差点まで出た。正面の中央が線路の跡である(→)

(←)パームオイル畑の中を走る。このあたりは土盛りが完全に残っていていて、鉄道跡であることが一目でわかる。この風景に蒸気機関車はよく似合う。

子供が三輪車に乗っている。この家の老人にこの道がかつての鉄道の跡地であるかどうかを問うた。そうだ、と言う。自分が若いとき、汽車が確かに走っていた、と言った。(→)






(←)橋梁の跡。立派な石組みである。川岸から撮影。
橋梁の跡。道路から見たところ。パームオイル畑のむこうから、自動車が走ってくる。(→)



(4)高速道路を越えてさらに
 タイピン−ポートウェルド線は南北高速道路で分断されている。高速道路の下を迂回してさらに行けるようになっている。

(←)高速道路の向こう側もパームオイル畑が延々と続いている。この中央の道がかつての鉄道の跡地である。車で走って行くことができる。
途中で鉄道の跡地は車ではいけなくなる。やむなく、別の新しい道を通る。そして、再び、鉄道跡を車で行けるようになる。(→)

 しかし、ポートウェルドの町の近くで、再び、鉄道跡は畑の中に消えていってしまい、わからなくなる。



(5)ポートウェルドへ到着
 ポートウェルドは読んで字のごとく、港町である。現在は小さな漁港のようだ。道行く人々は、中華系の人がほとんどだ。鉄道の話をしてくれたのも、中華系の老人だった。なお、ポートウェルドは現在は「Kuala Sepetang」という名前に変更されている。

(←)町の北側。その向こうのこんもりした部分がパームオイル畑で、そこから鉄道はこちらに伸びていた。この道路が鉄道跡である。
(→)さらに町中に入ると、このように商店街が出現する。この道路も鉄道跡である。赤い車の右側が、かつてのプラットホームの跡地のようだった。
(←)このトタン屋根の下がプラットホームで、左右にひろがっている。奥に見える駅名表示板は移動されており、かつてはこのプラットフォーム上にあったものと推測される。
(→)ポートウェルド駅名標示板。現在は、民家の前に移動されたようだ。文字は英語(上)、アラビア語(下左)タミール語(下中)中国語(下右)である。
(←)これがポートウェルドのかつての駅舎だという。現在は港の事務所として使われている。たぶん、これはポートウェルド本駅から港まで延伸していた、専用線の終点だと想像される。




(6)マレーの将棋盤(ペラ州立博物館で)

 「マレーの将棋もチャトランガが訛ったチャトールと呼ばれていて、遅くとも五世紀には単純な駒で遊ばれており、歩は貝殻が使われていた。多くの村の公会堂には床に将棋盤が書かれていて、将棋が庶民に愛好されていることを示しているという。盤は8×8で対角線の斜線がある。駒の種類は、王、司令官、象、馬、車、歩となっていて、このうちの四種類はサンスクリット語の名称そのままが使われている。」(増川宏一著「将棋」:ものと人間の文化史23.67ページ)

 マレーの将棋は前から気になっていて、博物館などで探していたのだが、ペラ州立博物館でやっとめぐり合った。しかし、将棋盤のみで駒はなかった。この遊戯の名前は「dam」と館員は言っていた。西洋将棋のチェスに押され、マレー固有の将棋は消滅したのかもしれない。




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