このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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マレーシア鉄道の旅 第2回目 
クアラ・ルンプール(Kuala Lumpur)−コタ・バル(Kota Baru)
part 2
2006年10月12日〜16日





(1)コタバル市内点描
  
 「コタ」が町、「バル」が新しいという意味で、コタバルとは「新しい町」ということになる。マレー系の住民が多いのだが、タイの国境も近いので、タイの雰囲気も感じられる。郊外に出ていくと、タイ風の寺院がいくつか見られ、寺院には犬がたくさん歩いていて、まるで犬の寄り合い所のようになっている。これだけでも非常にタイ風である。また、田圃がどこまでも広がっていて、マレーシアで見慣れたパームオイルやゴムのプランテーションとはかなり趣が異なっている。


 コタバルの中心にそびえる時計塔。
 大きな目印になっている。
 セントラル・マーケットの入り口。
 建物右上には、「マーケット:衣服、バティックの生地、ソンケットの生地、革製品及び工芸品」と書かれている。
 旧市内の大通り。バイクの二人乗りは常識。
 クランタン川近くの「レストラン・キャピタル」
 ガイドブックに載っていたので、行ってみたが、別に何の変哲もないマレー風食堂である。
 左に停まっている荷台付きの自転車が非常におもしろい。
 この店はもともとは別の所にあったようだ。
 ホテルの窓からみた市内風景。右に見える川はクランタン川である。
 中央の橋を渡って、ワカバル鉄道駅、そしてタイの国境へとつながっている。





(2)戦争博物館

 十数年前に作られた博物館ということである。展示のほとんとが第二次世界大戦のものであり、日本軍上陸に関するものが非常に多い。

 旧日本軍が上陸して、英軍と戦った地点に建てられている石碑のレプリカである。 

 いわゆる「銀輪部隊」の自転車である。右の写真を見て下さい。
 これはいわゆる「装甲自動車」でしょうか。






(3)日本軍上陸地点

 1941年12月8日夜中過ぎ、この海岸に旧日本軍が上陸した。市内からタクシーに乗って、20分ぐらいかかる。海岸近くに着いてからが、道が細く分かりにくい。運転手さんも何度か人に道を尋ねていた。

 

 日本軍上陸を示した「記念碑」。左手が海岸、右手が川、そしてジャングルである。

 ごく普通のマレーシアの海岸である。
 上陸の記念碑
 記念碑の拡大。
マレー語(英語の上に書いてある)、英語、日本語で説明が書かれている。




(4)ワヤンクリットとマレー凧

 マレー半島東海岸はマレー独特の芸能、工芸が盛んである。ワヤンクリット(影絵芝居)とマレー凧はその代表である。

 影絵人形作家のユソフさん。コタバル郊外のTumpatにその工房がある。なかなか商売っ気たっぷりのオジサンだ。

 名人ユソフさんの作品。
 これはラーマーヤナに登場する猿の将軍、ハヌマーンのようだ。
 工房の奥に小さな劇場がある。ここでちょっと人形を見せてもらった。こんなふうになる。
 ここはマレー凧作家イスマイルさんの工房である。しかし、イスマイルさんはすでに他界されている。(右の写真がイスマイルさんである)
 現在は土産物販売所になっている。

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